SCPに対する個人的見解

なぜ、こんなにもSCPに惹かれるのか考えてみた。

小学生の頃から、怖い話やオカルト的な物が好きだった。意味が分かると怖い話、に関しては凄く調べて、話の内容やその中に隠された[恐怖の要素]を知って楽しんでいた。
また、オカルト的なものや人外をテーマにした漫画やアニメといった創作物を中心に見ていたと、今振り返ると思う。

さらに付け加えるなら、人の感情やマイノリティにも関心があり、心理学や性的倒錯、哲学や倫理学といった一種の思考術・人の信ずる物、千差万別興味を抱かずにはいられない性質を持っていた。

以上の趣向は、現在でも続いている。
これらの要因から、SCPのような我々からして見れば、[非現実的存在]を好ましく思うようになるのは、必然的とも言えるだろう。

初めはSCP-040-JPやSCP-173といった、有名SCPから入ったのだが、あまりのSCPの多さにあまりハマらなかった。雰囲気や物語性は好きだったけど、熱心に違うSCPを調べようという気力は無く、面白いものがあるんだなあって思ってた程度だった。

再びSCPを調べようとした理由等は割愛する。しかし、確かに熱心に色々なSCPを見てみたいという気持ちで見ていたのは本当だった。
そんな中、特段SCP-2316に惹かれるものを覚える。

▹SCP2316: http://scp-jp.wikidot.com/scp-2316

(一言添えるなら、ページを見た後、
  option>page Sourceを押して見て欲しい)

※以下は、SCP-2316の内容が分からなければ、理解が難しくなります。
ネタバレ?もあるので注意。



誰かに救いを求める一方、誰かにもこの苦しみを共感してほしいが為に、自分と同等の苦しみを味わって欲しいと思ったことはないだろうか。
どうしてそれを無いものとして、押し入れに押しやってしまうのか。
それを捨てたって、君のものだった事実は消えないのに。捨ててしまった君の一部はきっと、君が戻ってくることを望んでいるのに。
口を動かせないような物体でも思い出でも何でも、それらは一様に、君を構成する部品の一部だった、これからも。無視される悲しみを知っている筈なのに、どうして自分の一部という大事な存在を、ぞんざいにしてしまんだい?




つまるところ、私はSCP-2316の事をきちんとは理解出来ていない。彼らが本当に我々に引き起こす作用や2316-1の思いを完全に把握することが出来ていない。
それでも惹かれているのは、自分の悪い癖の一つである【持論の普遍化】によるものだろう。上記で述べたような見解(持論)が、さもSCP-2316からの情報だと曲解し、好ましく思う、という事が起きている。

(※余談にはなるが、続けて「推し」や「好き」といった感情そのものについても綴れそうだが、今後に回す事とする。)



理由も無く、もしくは無意識的に、ある対象に対して焦がれる思いが分かる。
それは湖に限らない。
私も何処かに帰らなければならない気持ちがあるのだ。何かが呼んでいるから、そう思うのかもしれない。
もしその場所に気づいてしまった時、
彼らと同じように、
目を覚ますことができるのだろうか。

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