次の一手

未来を予測することはできない。でも結果が分かっていれば、それがどんな要因でその結果となったかは推測することはできる。結果を見てあの時どうすれば良かったかを論ずる事はできるけど、次にどうすれば望ましい結果が得られるかは誰も分からない。

僕にはこんな経験があります。フットサルの試合中、僕はゴールキーパー、味方はフィールドプレーヤー。お互いの見える状況は違うので、それぞれが選択するプレーは異なります。僕は彼にこうして欲しいと思ったけど、彼はそうせずに失点してしまった。僕がボソッと「ああすれば良かったのに」と言ったら彼は「俺はこうするのがいいと思ったんだよ!」と顔を真っ赤にして怒った。

確かに失点してしまった事で僕の意見は正しかったように見える。でも、僕が指示したプレイをしても失点しなかったかどうかは分からない。やはり次の一手をどうすれば良かったのか。確定的に論じる事はできない。とても残念なのは彼とは二度と一緒にプレイできない事、それは昨年末の事でした。

結果からこうすれば良かったは誰でも言える事、でも分からない結果を予想して最善の次の一手を打つことは無駄ではない。むしろ結果を怖がって何もしない事の方がやってはいけない事ではないのかな。成果に結びつくかどうかは分からないけど、僕は結果が出る次の一手を投じていきたい。

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