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「カウントダウン」(単話)

 (1)神保 幹人①

好きな漫画の連載がいつか終わるものだと知ったのは、いつのことだっただろうか。
小さい頃は毎日の密度が高すぎて、目の前のものがまるで永遠にあるかのように思えていた。

少し大きくなって何かの計画を組んだりすると、時間というものは当然に流れていくんだと感じる。それがなんだか寂しいことに思えるのか、カレンダーや時計がどうにも苦手だった。
1年が365日しかないことを、1日が24時間で終わることを、明日が今日になり昨日になっていくことを突きつけてくる無慈悲さが好きになれなかった。

おれは今、友人の秋矢(あきや)の部屋に忍び込み、ちょっとしたいたずらで彼のスクラップブックを覗いている。
秋矢には、思い出深い日付の日めくりカレンダー片をスクラップする変な趣味があった。
紙切れに何があったかメモするわけでもあるまいに、それだけで思い出せるものなんだろうか。

あの日はあるかな、なんてめくってみた。
秋矢が振られて、ひどく落ち込んでたから、適当に遊びに誘った日。
お前実は良いやつなんだなといわれた思い出と共に、スクラップブックでその日付を見つけた。繊細だなあ、やっぱり。

それじゃ、ダメ元で、あの日は…
…ないか。ま、仕方ない。
おれにとってどうでも良い日でも、秋矢にとっては大事な日ということもあるし。その裏返しだって、ふつうにある。
こういうことがあると、世界というのはおれの頭のなかだけじゃなくて、それぞれの奴らに等しく降り注いでいるんだなと思える。

「神保(じんぼう)?」
そうして黄昏ていたら、部屋の主が帰ってきた。
「お邪魔してるよ、秋矢」
「…いや、だって、お前」
「うん、おれはもう死んでるよ。でもなんか、あっちの世界の手続きが遅れて成仏に時間がかかってるみたいだ。余生ならぬ余魂、って感じで、まだこの辺をふらついてる」
先週死んだはずの同級生を見て青い顔をした秋矢は、ゴミ箱から一枚の日めくりカレンダーを拾い、言い訳のようにスクラップブックに挟んだ。

※※※

(2)秋矢 卓①

「呪うつもりなんてないってのに」
神保はヘラヘラと笑っている。生前からというか、ずっとこんなやつだった気がする。適当で失礼で空気が読めなくて、変なやつ。

こいつがつい1週間前に、旅行先の事故で死んだというのが未だに信じられない。
目の前の神保は幽霊というには質感がありすぎて、かえってなんとなくその存在を受け入れることが出来た。俺は神保の葬式には行けなかったから、夢に化けて出てきたのかもしれない。

「うお、なんだこのぴかぴかメダルは。秋矢はやっぱ変なこだわりあるよな」
「勝手に漁るな。てか、幽霊って普通モノ触れないんじゃねーのか」
「触れるもんは仕方ないだろ」
本当に緊張感がない。

「…こんなとこにいねーで、神保の家族に会いに行けよ。みんな泣いてるだろ」
「もう、最初に行ってきた。たくさん泣いたし、泣かれた」
あっけらかんと言う。
「たださ。蛇足、って言うとあれだけど、ちゃんとお別れを言えすぎちゃったんだよね。すぐ成仏すると思って、本当にその場の奇跡みたいな感じで大々的にやって、スーッと去っちゃったから。そしたらまさかのロスタイム。今から行ってもグダグダでしょ」
ドラマじゃあるまいし。
家族なんて、そんなかっこつける存在じゃないだろうに。

「いやー、例えばあれよ?転校する友達を運ぶ車を手を振って追いかけたら、その車が渋滞に捕まって延々追い付けちゃうくらいの気まずさ。おれはもう消えるから良いけどさ、みんなはおれを思い出にして生きていくんだ。どうせなら綺麗な方がいいじゃん」
そういうものなのだろうか。
幽霊になったやつの気持ちなど、分からない。

「秋矢はさ。死ぬ前にこれだけはしたいこととか、あるか?」
俺の私物の物色をやめ、神保は窓を見ながら言った。
「…お前の方が身近な話題だろ、神保。今からでも間に合う」
「それが、全然思い付かないんだ。流石にもう残り時間も少ないだろうに、嫌になる。人生計画でも立ててれば別だけど、おれは計画と言うやつが一番苦手なんだ」

計画。計画もくそも、ないだろう。
だって、俺達は明日事故に遭う可能性なんて無視して毎日を過ごしている。
神保だって、自分が今年の日めくりカレンダーより先に寿命を迎えるだなんて思わなかっただろう。

「そうじゃないよ、秋矢」
神保は穏やかに笑う。
「おれは賭けに負けたんだ。事故死になったけど、ほとんど自殺みたいなもんだ」

※※※

(3)神保 幹人②

夢を見るだけの時間がいつか終わるものだと知ったのは、いつのことだっただろうか。
小さい頃は毎日の密度が高すぎて、大人までの距離がまるで永遠にあるかのように思えていた。

自分はきっと、なにかをなすんだと。
なにか大きな存在に、なっていくんだろうと。
遠い夢のように、漠然と思っていた。

なんとなく学校に行って。
なんとなく卒業して。
なんとなく秋矢たちとの同窓会に行ったある帰り道。
ふっと、自分をまとう全能感のようなものが途切れた気がした。

明日の予定を気にして酒を切り上げ、来週までの納期に間に合わせる段取りをして、惰性で付き合う彼女へ記念日に贈るプレゼントを考える。
そんな自分を、小さかったおれが冷たく見つめている気がした。

少しの間、カレンダーや時計を気にせずに生きてみよう。
そう思って、一週間の旅行に出ることにした。
計画性のないおれは有給休暇もろくにとらずにたくさん余らせていたから、引き継ぎだけちゃんとしてれば会社に怒られることもなかった。

時計ももたず、何にも縛られずぶらぶらと過ごす。
そうしているうちに、いつか見たなにかを捕まえられるような気がしていた。
これが最後のチャンスだと、なんとなく分かっていた。

知らない人に話しかけた。その人が良い人ならば、縁を繋いでくれるだろうと思った。

「神保」
秋矢の泣きそうな声が聞こえた気がした。
フッと目の前が暗くなり、なにもかも分からなくなった。

※※※

(4)秋矢 卓②

神保は、狂った男に優しく話しかけてしまい、海へ投げ出されてそいつと共に溺れ死んだと言う。
まぬけというか、警戒心がないというか。
俺はそこにいなかったけれど、神保が俺の声を聞いたとすればそれは思い出と重ねていたんだ。

神保の旅行先は、学生時代に俺と二人で行った街だった。
俺が振られて死にたいくらい落ち込んだときに、雑に慰めてくれた。
その日の日めくりカレンダーは、ちゃんとスクラップブックにいれている。

多分、神保はあの日の俺を慰めたみたいに、誰かの助けになることで倦んだ自分を肯定したかったのだろう。
だけど、そんなお仕着せな偽善が許される時期には限りがある。物語みたくそこから絆が芽生えることもなく、不審者へ不用心に絡んだ神保は不格好な結末を迎えた。

「おれは、さー」
背伸びをして、神保は言う。
「いつだか秋矢を慰めたとき、初めてなにかを出来た気がした。だから、もう一度そういうことがしたかったんだよね。無計画に、適当に」

「神保は、いつも俺をどこかバカにしてたよな」
「同じくらい、秋矢を頼りにしてたよ。今はそう思う。だからさ。
あの旅行の日付の日めくりカレンダーがあって、嬉しかったし。
俺の中の何かが切れたあの同窓会の日が、秋矢にとって残す日じゃなかったの、少し寂しいな」

神保は、まるで転校で友達と引き離された子どもみたいに泣いた。
それを見て、俺の友達は死んでしまったんだなと、初めて心から思えた。

※※※

(5)神保 幹人③

「神保の成仏のためには、時間を忘れる賑やかさが必要だろう」と、秋矢は方々に声をかけた。
「ほら、追悼パーティだ」

だけど写真にすら映るおれの幽霊の存在を、大人になった同級生のほとんどは信じない。趣味が悪いイタズラだなんて、秋矢が嫌われてしまったり。イベントごとをやるには、予定が詰まってしまっていたり。
それはそうだ。もう、そういう時間は過ぎてしまっている。

「参ったな。いつ消えるかも分からないし、仕方ない。二人でやるか」
「最期が秋矢と二人きりかあ。変なやつ同士お似合いかもな」
「家族や恋人のところに行っても良いってのに」
「…そしたらおれは、おれじゃなくその人たちの家族や恋人で終わる気がするから、良いんだ。秋矢くらいがちょうど良い」
「なんだよそれ」

本当は、寂しさはある。
もっとみんなに会いたい。色々な話をしたい。
生きている内に、なにかをしたかった。それがなんなのかはとうとう分からなかったけど。
でも、人生の終わりはやりきれないくらいでいいのかもしれない。

秋矢と、時間を忘れてだらだらと話をした。
彼の妙な趣味や、昔の思い出話。
出会った頃の話や、卒業してからのこと。
眠たくなったら寝て、起きたらまた話した。

秋矢の仕事は大丈夫か聞いたら、そんなことを気にするなと誤魔化すように笑った。色々あって充電中らしい。

青春には、終わりが来る。
人生にも、終わりが来る。
夢や生き方、それを生むエネルギーの総量にも、見えないリミットが刻一刻と迫ってくる。

毎日、時計は進み、カレンダーはめくられる。
無慈悲に、無機質に。

でも。
考えても考えなくても、それは同じだ。

文化祭の本番前。
合格発表の待機時間。
新年を迎えるカウントダウン。
そんな、期待と共に待ち受ける時間もある。

おれは見つけることが出来なかったけれど。
何かの新しい始まりと区切りは、大人ならきっとこう迎えるべきなのだろう。

「「乾杯」」

※※※

(6)秋矢 卓③

あの神保の幽霊と過ごした時間が、夢だったのか本当だったのか、俺は今でも分からずにいる。
会社を辞めてフラフラしていた俺をみて、これ見よがしにアイツが慰めに来たのかもしれない。

神保が来た日からいつの間にか彼が去るまでの間、日めくりカレンダーはめくられていなかった。
そうでなくても時間感覚を失いがちな生活をしているので、カレンダーすら信用できないのは危険だ。

俺は神保と過ごした日付の日めくりカレンダーをめくり、一枚一枚丁寧にスクラップブックに入れた。

神保はリミットだとか、カウントダウンだとか、過ぎ去った時間が消えてしまうのを惜しむようなことをよく言っていたが、俺の考えは少し違う。
過去は消えるのではなく、このカレンダー片のように積み重なって、自分を見守ってくれている。何にもなれない俺達が、何かをした足跡が残っている。
だってそう考えないと、あまりに寂しいじゃないか。

正常になったカレンダーは、まだ3割近く残っている。
このカウントダウンが終わるまでには次の働き口を見つけないとなと思いながら、俺は宴のあとのゴミを片付け始めた。

《終》

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