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「ヴィア・ドロローサ」おまけ

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※※※

「シー・ウァレース・ウァレオー」

※※※

僕は、痛みを愛している。罰されることを、愛している。
僕は、子どもを愛している。美しさを、愛している。

人より少しだけ、手が届く範囲が大きいと知っている。
人より少しだけ、倒れにくいことを知っている。
人より少しだけ、愛されやすいことを知っている。

───ほんとうに?

「…ああ」
黒い部屋で、目を覚ます。
また、片手が首をつかんでいた。

※※※

なにもない、無機質な部屋。
本当は生活の色々があるのだけれど、僕にはその景色はいつもよそよそしく思える。

ゲームのエディットモードみたいな、淡白な空間。
ただ生活するためだけの、なにもない空間。

布団のなかから起き上がり、適当に着替える。
日はまだ昇っていないけれど、僕は二度寝というのが怖くてこれまでやったことがない。

散歩に出掛けよう。
黒い部屋から、暗い空へ。

僕の住んでいるところは、人通りが少ない。
まだ眠っている世界を、風の匂いを嗅ぎながらぼんやりと歩く。

僕は今日も、生きている。
この世界に、生きている。

胡蝶の夢。
夢と現実の間のような感覚を楽しんで、黒い部屋へと帰っていく頃には、日が昇り始めている。

身だしなみを整えて、仕事の準備をする。
そうしてまた、朝が始まる。

※※※

人前では、僕は笑顔を忘れない。
それが一番、効率が良いからだ。

怒ったり不機嫌でいることは、エネルギーを無駄に消費するし、周りに不快感を与えてしまう。

ハキハキと明るく接していれば、同じように明るいエネルギーを返してもらえるし、嫌なものは勝手に逃げていく。

そうしているうちに、だんだんと怒り方がわからなくなってきた気がする。
怒るほど重要なことが、あまりないからかもしれない。

とはいえ。
仕事の都合上、叱らなければならないことも多い。
それがすごく苦手というか。
逆の立場だとしたら、聞き入れないだろうと思う。

苦手なことを無理にしても、仕方ない。
出来る人に任せて、適当に逃げる。

雑務の大部分は、人的リソースを使ったシミュレーションゲームのようなものだ。
TODOリストを効率よく捌けるように、関係するみんなの適性や性格を見抜いて割り振っていく。

もちろん、逃げられない部分もあるけど。
そこは僕がちょっと頑張れば良い。
そうして残ったものが、僕たちの本分だ。

※※※

「先生。わたしは、おかしいんでしょうか」
可愛らしい1年生の田塚(たつか)さんが、僕に深刻な顔で話しかける。

大抵の中学生にとって、教師なんて「大人代表」としか見えないだろう。もちろん、悪い意味で。
信頼されるよりも、反抗の対象となることの方が大きい。

「ずうっと、ずうっと、苦しくて言葉がうまくでないのが嫌なんですが、きいて、くれますか?」
たどたどしく、区切りがわかりにくい話をする。おとなしくて、可愛い子だ。

「もちろん」
「ありがとう、先生。…私、いじめは、よくないと思うんです。でも、いじめないと私がいじめられるんです。
学校は、いじめなんていけないといいます。でも、私のお母さんは仕事でいじめられて泣いてます。そうなりたく、ないんです。
いじめられるくらいなら、いじめた方が幸せになれるんでしょうか。
大体、みんなどうしちゃったのか、わからないんです。この間まで、普通に仲良くしてたのに。教えてください。私は、どうすれば良いでしょう」

こんなふうに言いながら、田塚さんは僕を信用していない。けれど、力にはなって欲しい。
うまく行かないのは私のせいじゃなくて、周りのどうしようもない奴らのせい。そんな、いじけた感情が伝わってくる。
有馬先生なら大人を舐めるなと言いそうだけど、僕はこの年頃の子のそういうところが可愛いと思う。

「田塚さん。まず、話してくれてありがとう」
先回りのお説教など、求められてない。
とりあえず、いじらしい子の力になろう。

「順番に話していこうか。答えられないところは、そう言ってくれればいい。まず、いじめがあるのは、クラスかい?それとも、部活かな?」
「塾、です。学校のことなんて、先生に言えるわけ、ないじゃないですか。いくら、私でも」

おずおずという。嘘だなと思うけれど、話しやすいならそれで良い。

「そうか。今いじめられてる子とか、いじめてる子のことを教えてほしい」
「ええと、その…」

「そんなの言えるわけないでしょう。分かってないですね、桑名先生」
ドアが開き、びくり、と田塚さんが震える。


「…人の悩み相談を盗み聞くものではないですよ、凜先生」
「すみません。でも先生、私がここに来るようにさりげなく誘導してませんでしたか?勘違い?」
「勘違いです」
「ふーん。まあいいです」

相変わらず、デリケートとは無縁な鬱陶しい同僚だ。僕よりもこの場に適任かもしれないが、押し付けるのも早計だったか。

「凜、せんせ……なんで……」
田塚さんは凜先生に怯えている。日頃の評価が良く分かる。
「生徒指導の帰り。田塚、ハキハキ喋りなさいよ。気に入った人にすり寄るために態度変えんの、女に一番嫌われる奴だよ」
「だって、だって」

「あんたがいじめに加わろうが加わるまいが、クラスの奴らは田塚を悪者扱いするよ。理由なんて後付けで、あんたが気に入らないだけだから。
田塚もそれを分かってるから、先に桑名先生だけでも抱き込もうとした。頼るのは悪いことじゃないけど、そこで変に弱い者ぶるから、ますます鬱陶しがられるの」

しょうがないじゃん、と、田塚さんは目に涙を浮かべた。
「だって、私は強くない。凜先生や、みんなみたく、ちゃんと仲良くなれないの。だから守って欲しかったの」
「で、あざといだのなんだので憎まれたか」
下手くそだなあ、と凜先生は苦笑する。

「田塚。自分の行動は自分で責任を持ちなさい。大人や友達に、《周りに流されていじめても許される理由》とか、《嫌いなやつを潰してくれる武器》をもらいにくるんじゃない。そんな無責任な奴らは簡単に裏切るし、その時に助けてくれる人がいるとは限らないんだから」

中学一年生には少し、早すぎる説教の気もしたけど。
この手の話は、凜先生に一日の長がある。

「だいたい田塚は、諦めが早すぎんのよ。普通に気後れせず接したら、ちゃんと仲良くしてくれる友達だって、きっといる」
「…そんなの、いないよ」
「いるよ。まずは、あんたの心を吐き出してみなさい」

「…うるさい、おばさん。化粧下手なんだよ」
田塚さんは、低い声でうめくように言葉をひねり出した。

「あぁ?なんだその態度…」
「あはは、田塚さんきついなー。怒っちゃダメですよー、凜先生。あなたのまいた種だ」
「ヘラヘラしないでよ、ニヤケ先生。何考えてんだかわかんないって言うか、馬鹿にしてるかんじが、ムカつく」

流れ弾が飛んできた。顔がほころぶ。
キモッ、と呟き、田塚さんはしばらく押し黙る。

「こんな、私でもですか。こんなひどいこと考えちゃう、私でもですか」
照れて顔を伏せる。
精一杯の反抗だったようだ。可愛い。

「ま、今みたいに何言っても許されるって訳じゃないけどさ。考えるのは自由でしょ、そのくらい」
こほん、と凜先生は咳払いをする。


「だけどまあ、僕じゃないけど周りを馬鹿にしすぎかな。期待しなさすぎ、とも言う。
できれば悪口の言い合いとか、相手に媚びるだけじゃなくて、田塚さんの好きなものの話を素直にしゃべれる友達が出来たら良いね。
それこそ、学校なんかに縛られずにさ。今はいろんな出会い方がある」

僕は同じ趣味の人には会えていないけど、部活や生徒会は楽しかった。
優介がサギくんとゲームで仲良くなれたように、なにかで繋がれるのは良いことだ。

凜先生は肩をすくめる。
「ま、バカはいなくならないけど、安心しなさい。田塚の周りでいじめだのなんだのがホントに行きすぎたら、私が何とかしてあげる。て言うかシメてきたあとだし。
桑名先生もいるしね。この人、偉そうなだけじゃなくて、本当に偉くなる人だから」
「…うん」

「その代わり、田塚も嫌な奴だからっていじめなんかすんなよ。あと、本気で死にたくなったら、体の自由が効くうちに今みたく吐き出しなさい。私でも誰でも良い、あんたが信じられる誰かにね」

被害者の顔をしてきた生徒に、二人で色々と語りすぎたかもしれない。

まあ、さらっと言ってくれたように、問題のグループには僕が手を回して凜先生の制裁が下っているので、あとは田塚さんの気持ちの問題だ。

「ねぇ、凜先生、桑名先生」
田塚さんは、本来の彼女のそれらしく、意地悪に笑った。

「二人は、いつ結婚するの?」
「……?」
「えー、やっぱりそう見える?似合っちゃうかぁー」
「うん、なんか今の、口うるさいお母さんと頼りないお父さんみたいだったから」

じゃあね、と、お礼も言わず田塚さんは出ていった。

✕✕✕✕✕

そんなこともあったね。
田塚さんの卒業式を見る前に、凜は異動してしまったし。
僕も、色々あってあまり学校にいられなかった。

でも、嘘はつかない。世界がどんなに狂っていても、僕は生徒を見捨てない。

田塚さんは卒業式の日、僕に「いつもありがとう」と言った。
凜先生にもよろしく、と。

あのときが最初、だっただろうか。
ちょっとは、特別に感じたのは。

だからさ、僕はまだ信じられないでいる。

君はよく殺したとか、傷つけたとか、子どもを見ることが出来ないだとか言ったけど。
君が子どもを傷つける様を、僕は直接見たことがない。

ましてや、自分の子どもをそうするなんて。
あの日、男の子があんなに傷だらけだったのは、錯乱した凜の虐待なのだと考えれば説明がつくけれど。
僕にはまだ受け止められない。

そして、杏はどうしてあの日死んでしまったのか。そこには何があったのか。
わからないことが、とてもとても多い。

だけど、ほとんどのことはどうでも良いんだ。
それらは過去でしかなくて、今僕がすべきことはそれを紐解くことじゃない。

✕✕✕

雄基(ゆうき)。
あの日の男の子の下着に、マジックで名前が書かれていた。

この子は、面白いくらい僕に懐かない。
いつかの僕のように、大人を異物のような目で見据えている。
友達がちゃんと作れたら良いけど。

「おかーさん、どこ?」
彼がそういう度に、どうすれば良いか分からなくなる。
「おかーさんにあいたい」
「ごめんね、雄基」
僕は母親どころか、父親にもなかなかなれない。
杏が生きていたら、どうだったか。いや、きっとよい方向には進まなかっただろう。

雄基は、神様の第二子の未来晴(みくはる)くんと同い年だ。
正確なところはわからないけど、雄基自身はそう主張している。

色々な手続きを行うのがそれなりに面倒だったし、男一人で養子をもらうなんてこともなかなか難しかったので、久しぶりに信者の眩(まぶし)さんやろくでもない皆に作業を手伝ってもらった。

神様に謁見したとき、雄基は羨ましそうだった。
抱っこしている未来晴くんを指差し、僕も僕もとぐずりだした。

困惑する神様に抱いてもらうと、すぐに心地良さそうに眠った。審美眼は僕に似たらしい。

今度は未来晴くんがへそを曲げたので、それ以来そういうことはしてもらえなかったけれど、ずいぶんと神様にご執心だった。

気持ちはわからないでもないけど。
寂しい思いばかりで、ごめんね。

✕✕✕

「なあ、おい」
少し雄基の背が伸びた頃。
僕のことをお父さんとは、意地でも言わない。

だけど、彼なりに面倒を見られている負い目を持っているようで、少しでも早く自立したいと思っている。

「母さんのこと、教えてくれよ」
「いつも言ってるだろう、もう」
「俺は神様の子なんだろ」
「…」
どうして、そんなふうに思うのかな。
そんな、悲しいことを言うのかな。

「だって、お前はあの人にデレデレだし。ムカつくけど、お前の方があの人の旦那よりモテるだろ。何より、ミク。気持ち悪さがお前そっくりだ。本当はあいつがお前の息子で、俺は取り違えられただけじゃないのか。

会ったこともない下原なんて母さんなんか、本当はいないんじゃないのか。お前が勝手に、知り合いと口裏を合わせてるだけじゃないのか」

……。
願望混じりの、戯言だけど。

「雄基。訂正しなさい」
「う…」

「僕はたしかに、神様を敬愛している。君が僕を親と思えないのも、仕方ない。だけどね、君の母親は神様じゃない。下原凜はいるんだよ、ちゃんと。君に会わせてあげたいと、本当はいつも思ってる」

僕らのエゴは、君には知ったことではないかもしれない。
僕は君の親ではないかもしれない。
それでも、そこだけは譲れない。
「許してくれ」

「…その、ごめん。謝るから、そんな人殺しみたいな目をすんじゃねーよ、怖いって」

「あはは、失敬。…雄基。最近、下原って名乗ってるんだよね。なんでかな」
「お前が好きじゃないからだよ」
「そっか。だけど、僕は少しだけ嬉しいな」

「訳わかんねーやつ。…今日のご飯は、何だ?」
「そうだね、仲直りついでに二人でカレーでも作ろうか。ちゃんと教えてあげるから」
「くっつくな、気持ち悪い」
「一人立ちするには、家事は出来といた方がいいよ」
「…ふん」

いつか、雄基が大きくなって、可愛いお嫁さんをもらって、もっと可愛い子どもがいて。
僕のことをまだ嫌いだなんて嘯いて、全然顔を見せないくせに、僕が先回りの心配をするからかえって鬱陶しがられて。

いや、そんなステレオタイプでなくたって良い。どんなに傷を追う道だって、君が行く道ならなんだって良い。

君が幸せになれますように。
ちゃんと君を愛せますように。

…その頃にはさすがに、僕も彼女と仲直り出来ていたらいいな。

僕はいつだって、子どもの幸せを願っている。
そしていつか、幸せになりたいと願っている。


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