残酷でどうしようもないのですが?

こんにちは。岡崎です。イギリスで暮らしていたのですが、夏なので日本に帰ってきています。

やることが多いのに一向にかたづきません。いろいろと大変です。

褒められたり、見つけてもらったり、評価されたりはしないようです。それには僕の力量が足りていないみたいです。

僕自身がやるべきことを十分できていないのかもしれません。もっといろいろやる気を出して取り組めばいいのでしょうか。集中できていないのかもしれません。目標設定が甘いとか、おおよそそんなところでしょう。

評価されていないだけで実力はついているのか、実力がついていれば評価されているはずなのか、よくわかりません。でももっと頑張った方がいいのは分かります。

にわかなので、よくわかりません。この世の中、僕含めてにわかばっかりで駄目ですね。なんでこんなことやってんだろう、とも思いますが、まあいいでしょう。

自分はよく、「よくわからない」ばかりで自分の主張がないと怒られていましたが、本当によくわからないので仕方がないのです。一日が48時間あればいいのにな。無理しないで頑張ろうとは思えど、無理しないで生きていくことなんてできやしません、たぶん。もっといろいろ読んで、もっといろいろ書いていくべきなのでしょう。それが正しい態度なのでしょう。働け、自分。

なんだか、辛いと偶に思ってしまいます。僕は音楽が好きです。クラシックと俗に呼ばれる音楽が好きなのですが、苦しいです、最近。

僕の学生時代について書かせてください、少しだけ。高校はいわゆるスポーツ高校で、全国大会プレーヤーのいる環境で、友達もみなスポーツに全力でした。そんな中、共通の趣味について話せる友達がいないままに中学・高校の6年間が過ぎ去ってしまいました。

クラシック音楽が得意な先輩もいたのですが、なんというか、その人は演奏家として立派すぎて、話しかけられませんでした。親が音楽家で、なろうと思えば音楽家になれるほど高い演奏技術を持っている人で、むしろ演奏や練習に対して不真面目だったのは僕の方で、おこがましくてクラシック議論はできませんでした。

そういう訳で、好きな音楽の、例えばラフマニノフとかハイドンとか、鈴木慎一とかカール・ベームとかパールマンの演奏とか話せずじまいの中学・高校でした。

在学中はそれでも自分の趣味として存在しているだけで良かったのですが、大学に入ってから、それがすごく酷くつらく堪えるようになりました。ベンゲロフのバイオリンを聞いたとか、ランランを聞いたとか、シベリウスのバイオリン協奏曲に感動した話とか、フランクのバイオリン協奏曲で泣いたとか、最近チャイコフスキーとバレエにハマってるとか、エルマンのLPをやっと買って泣いた話とかを、誰とも共有できないのが辛くて、残酷だと思います。不平等です。そもそも本当は、インターネットとかで「つらい」とかも言わない方がいいのは分かってるんですけど、現実世界で愚痴れる人がいないので、今日だけは言わざるを得ないです、ごめん読者よ。

何なんでしょうか、僕って。何年も練習しているのに楽器ひとつもまともに弾けないし、死んだほうがいいですか?

まあまあ、冗談ですけど、それにしても、本当に好きで、感動したり、楽しかったり、嬉しかったり、泣けたり、恐れ多く思ったり、そういう話題を共有できずに、世界に自分一人だけしか頼れる人がいないのかもしれないと思うのは、とても心細くて辛いなあ、と思います。

だれか、ハイドンのメヌエットが素朴なくせにどんなにいい曲か分かり合ってくれる人はこの世界にいないのかーーーーーーーーーっ…….。まあ、いないか。クラシック好きなんて、かっこつけてるみたいで逆にかっこ悪いし。

はああ、せっかくイギリスに留学していてベンゲロフとパールマンとランランを聞きに行った話とか、バレンボイムを聞きに行った話とか、ザルツブルグ音楽祭まで行った話とかを自慢して、盛り上がれる友達が欲しい人生だった…。クラシックって、好きというだけでちょっとキモいみたいな風潮あるかもな。俺がそう思ってるだけか?もう分からないよ…。辛い。もういや。

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