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ゆきつもどりつ、煩悩。

こんにちは、岡崎です。唐突ですが、パスタについての主張を聞いてください。その次に、この前行った美術館について、その次に僕の最新の考え事を聞いてください。

▶パスタの茹で汁は、良い物であると思う。セモリナの小麦粉から出た少し厚みのある液体が、茹でるときの塩と混ざって、色々なパスタソースにそのまま使える至高の食材になる。チーズソース。バジルソース。トマトソース。ミートソース。アンチョビ。イカ。ラグー。ラム。パンチェッタ。グアンチャーレ。辛いのもよい。シーフードもよい。茹で汁を使ってそのままスープパスタで食べるのもまたよい。最初から浅いパンで茹でて煮詰めてソースにしてしまうのもよい。ベジのパスタとか、焼く系パスタもいいけど、やはり茹で汁をレシピに組み込むというレシピは面白いし奥が深いと思う。思いついたときは面白い考え事だったが、文字にしてしまうとこれだけか。

▶二つ目。この前、ロンドンのナショナル・ギャラリーに行ってきた。ナショナル・ギャラリーとは、和訳すれば国立美術館。開館200周年フェアで、僕には価値の分からないカラヴァッジョの絵が二つ小さな暗い部屋に飾られていた。カラヴァッジョは、放埓(?)された後故郷に戻る際、病気で客死したらしい、という知識を得た。

午後1時くらいに入って、ぼーっと名画に囲まれながら3時間くらい、歩き回ってはソファーに座って持参してきた本を読んで、また歩いて、4時半を過ぎて疲れてくるまで滞在していた。ルーベンスの部屋も見た。博物館も美術館も好きだが、最近はフラッと中を散歩するだけだ。

どうも美術史を調べたりテーマを作って見に行くという事が出来ていない。たるんでいるのかも?なんなら美術作品より、EURO24の準決勝の試合(イギリス対スペインだったかな?)を見るためにトラファルガー広場にたむろしているビールを持ったおっさんや若者の群衆の方が記憶に残っている。
というか、イギリスではパリオリンピックよりEURO24の方が盛り上がってた気がするのは僕だけですか?これからか?

トラファルガー広場のWaterstonesの前に居たストリートバンド。
まあ、正直、恐らく本人たちも惰性の習慣で演奏していたと思う。
訳もなく50ペンスTIPを払ってしまった。生活費なのにどうしたことか。

▶三つ目。恐怖について。少し怖い。分からないことが怖いし、何が怖いのか分からない。自分がここで今どうすべきかが分からない。選び取ることが、漠然と、怖い気がする。なぜ人はこうも、時に、停滞した流れや淀んだ空気の内部に永遠に留まりたいという願望を抱くのだろう。

「頼むからもう何も言わないでくれ!」と心の中で思うような切実な感じ。

なにか自分の失敗を反省しなければ、状況を改善しなければ、前を向かなければ、工夫をしなければ、現状を変革しなければ、というような気がする場合はどうしたらいい。

努力か。やはり努力しかないか。

特定の分野や能力において才能の有る人がいて、同じように比較的才能の無い人がいる。ただ社会では、才能がない人にも居場所が用意されることがある。割と、才能が無くてもそうして生きていく人も多い。才能が無い人も社会には必要だ。社会はいろいろな役割を果たす人が同じ仕事をすることで成り立っている。

そして、才能が有ろうと無かろうと望む結果に近づくための絶対的な前提として、全力で取り組んで、ありとあらゆる努力を試してみることが必要だと言える。今の自分は、フルで努力をしただろうか。まあまあかな。自分に言い聞かせるようにnoteを書いている。まあ、なんか書いていてすっきりしたし、また明日から前向きに頑張れそうだ。いい気分。ある意味で鈍感、別の見方をすれば、諦めの悪い人間が僕だ、良くも悪くも。

それでは、また。

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