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リーダーシップの所在

リーダーシップ。フォロワーシップ。クラフツマンシップ。スポーツマンシップ。スコラ―シップ。

いろんなシップがあるが、どれも中途半端ではいけない。そしてどれも価値があるけど、そのひとつも身に着けるのは簡単ではない。

「井の中の蛙」「他人の土俵で戦う」など、そのフィールドでの専門性がいかに重要かを示し、一定のスキルがあっても「アウェー」では発揮されにくいことを示す表現や文脈はいくつも存在する。

それは、マニュアル通りにやるスキル自体と、そのスキルがカルチャーの中で発揮する権威性が別の価値を持つからである。

おそらく「空気感が醸成された」というときの「空気感」がそれであり、いくら知識を持っていても、スキルや筋肉があっても、「空気」や「文脈」が把握できないとただの邪魔者になりかねない。

何を言うかより、誰が言うかが大事、というとき、それを言う人には権威性が伴っていて、それはあるグループやコミュニティーの中のカルチャーを
十分理解している、というしるしとしての権威性なのだ。

僕は自分自身、海外で暮らす大学生としてある意味「アウェー」で戦いながら、そんなことを考えてきた。

色々やるべき事を考えると、ほとんど無限にやるべきことが思い起こされる。そしてその中に優先度をつけて、簡単なことから始めたり、重要で大変なことから始めたり、段階を踏んでタスクを進めるマニュアルが出来上がる。これは上から与えられることもあるし、自分で作らなければいけない事もある。まずこれが物事を進めえるうえでの第一歩だ。

その裏に、「習うより慣れろ」とでもいえる世界があり、長い時間をかけ、練習を積んで、カルチャーを学び取り、それ自身も自分のスキルの一部に組み込んでいく、という世界がある。

つまり、豊かな視点と独自の視座で、知識やその使い方を身に着け(スキル)、それを特定のカルチャーや文脈に位置づけていく(カルチャーの把握、権威性の獲得)という言語化できない部分を補っていかなければいけない。

様々なスキルを身に着けるのが大事、生涯学習が大事、リスキリングが大事とは言うが、知識を身に着けただけでは何の役にも立たないと思った経験をする人は多いだろう。それは実感として、「リーダーシップ」「クラフツマンシップ」などのスキルを有効に活用するために必要な「カルチャー」の把握が抜け落ちていることが分かるからだ。

実際に学んだ知識をスキルとして生かしたければ、場に飛び込んで経験を積み、知識を捨てて人と関わり、その文化を自分のスキルに組み合わせていくことが必要なのかもしれない、と思った。

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