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こどもの日を迎えたお子さまへ、そしてこどもだった私へ

幼いころ、母が言っていたこと。
「自分の一生を書けば、誰でも本が作れる」(いまでは、本づくりは容易でないことを重々理解しています)
まぁ、母は作家ではなかったが、私の中では一番近い物知りな大人だった。
そんなことを思い出したので、自分自身のことを振り返りながら、こどもの日に考えることを残しておきたい。

物心ついたある日、「一人っ子はワガママ」と世間が言っているのを認識した。その時はまだ、私のワガママという実体さえ形成されていなかっただろう。
でも、周囲の声が多くなるほど、こどもながらにワガママは言ってはいけないと悟った。すると、要らぬことを言わぬよう、日常の出来事や感情を共有しない子になった。

振り返れば、ウチがバラバラな家族だったことも関係していた。新築の一軒家の中で、母と私が一階に、父が二階に住んでいた。一つの家族が二世帯住宅のように分かれて暮らし、お互いに干渉し合わない生活。私はトイレやお風呂、キッチンに行くたびにドキドキしていた。廊下で父に顔を合わせないように聞き耳を立てながら暮らしていたから。
週末や夏休みでも家族旅行には行かなかったので、3人そろっての家族写真は一枚もない。

核心的な出来事はなくとも、幼稚園のころからずーっと感じていた。両親は一緒にいても幸せではなく、お互いを必要としていないと。
外から見れば綺麗で完璧な家だけれど、その中にいたのは誰も本音で話さない崩壊した家族だった。

かろうじて、学校にいる時間は、家の嫌なことを忘れて過ごせていた。
だがある日、「〇〇ちゃんは、お父さんのお話しないね」ってクラスメイトに言われ、はっとした。ウチのことバレたくない!
それから、友だちとでさえも正直に話すのが辛くなってしまった。

学校から帰っても共働きの家には誰もいない。ワガママと呼ばれたくないから、お留守番できるいい子でいよう。それに、誰とも話さない方が突っ込まれなくて安心だ。
でも、近所にいた父方の祖父母が心配し始めたので、彼らの家に寄って母親の帰りを待つようになった。そこでは、一輪車も、ローラーブレードも、ポテトチップスも、炭酸飲料も惜しみなく買ってもらえた。一緒にパンケーキを揚げてドーナツみたいにしたり、永遠になくならないアイスバーを思う存分食べたり。自分の家にいるときには、できないことばかり。

そうしていれば、私たちは、父と母の話をせずに済んだのだ。ふたりの間に流れる違和感には、もちろん祖父母も薄々感づいていた。その祖父母の感づきを知りながらも、疑問を投げなかったこどもの私。
父が生まれ育った土地で、母の味方してくれる人は誰もいなかったと思う。

母は必死に働き、私を食べさせ、学校にも行かせてくれていた。かたや、父は働いているのかどうかも分からない人だった。
だから、父方の祖父母の家で甘いおやつを食べて、楽しく遊んでいること、母に後ろめたくなっていた。もし、あの時、こどもの私が何か行動していたら、状況は改善できたのかもしれない。

そうやって、家族とは名ばかりの大人たちに囲まれて育った。
いま思えば、誰も信用できずに素直に頼れることはなかったし、愚痴やワガママに聞こえそうなことは言わないようにふるまっていた。自然と大人が大嫌いになった。非情だが、それは頑張ってくれている母も含めてだった。
何より一番嫌いだったのは、無力な顔して裏切り者の自分自身だったのだけども。

それから年月が過ぎ、大学に進学する為に地元を離れるときが来た。大学時代には、自分と好みや考え方が似ている人たち、同時に、そうではない人たちにも出会うことができた。
さらに、日本からも飛び出した。私を理解してくれる人が、世界のどこかにいるかもしれないとの一心だった。

そしていま、(一応)大人という立場になって思うことがある。
こどもは、自分を信じてくれる大人が側にいるだけで、ちょっと救われる。真実を話してくれた大人を覚えている。自分がしたことで、心から笑って感謝してくれた大人をまた喜ばせたいと思う。
それは、血のつながった家族でなくてもいい。例えば、近所の魚屋さんやスーパーの店員さんでも、駅ですれ違う学生さんでも、学校の先生でも、友だちの家族でも、オンライン上のYouTuberでも、海外のミュージシャンやダンサーでも、ドラマやアニメのキャラクターたちであっても、自分が信じられる先輩なら誰だっていい。

現在は、私と出会った子たちが心から笑ってくれる瞬間が素直に嬉しい。
幸いにも私の幼少期は過ぎ去った。もうあんな思いをしたくないし、もう誰にもあんな思いで諦めて欲しくない。ワガママになる前に、ワガママを止めないで。『我がまま』、そのままでいいと思う。

ただ、「あなたのそのまま」が通用しないときだってあるかもしれない。そのときは周りの人たちを含めて、「私たちのそのまま」と一緒に考えてあげると諦めずに進んでいけるよ。
それから、世界は広い、味方も敵もごろごろ現れる。ただ不思議と、どこかあなた自身やあなたの知っている人に似ているところが見つかる。それなら、その先へ進んでいくのは辛すぎないはず。

もし、疲れたり、怖くなったり、寂しくなったりしたら、美味しいご飯を目指してちょっとずつ歩き続けてみて。そこには、一緒に作ったり、食べたり、話したり、歌ったり、踊ったりする人たちと自分がいる。そんな素敵な瞬間に立ち会わないのはもったいない。

あの日、「ワガママはすべて悪だ」と何の根拠もなく決めつけて、静かに罪悪感でいっぱいだったこどもの私。けれど、いま信じるのは、私が『我がまま』を胸に留めて毎日を過ごしていくことが、一番の親孝行になるかもしれないということ。本当にワガママな人だと笑ってくだされ。

こどもの日、おめでとうございます!バンザーイッ!

(家庭環境は人それぞれですので、私が経験してきた家族の形を誰のものとも比べてはおりません。結局すべて『我がまま』になるための過程だったのだと思います、とりあえず。)

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