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くじらの骨をみつけて

 打ち寄せては引き返す。風が強く吹いて波の勢いを強くする。大きめのtシャツがなびいて、体の前面に張り付いた。砂浜のはしに建てられた堤防の上から見えるものは、砂浜と海、そして空だけである。夕方の海は、黄金の太陽から流れ出るオレンジ色に染まり、その輝きを淡い紫色の空と灰色の砂浜が挟んだ。

 どうせなら全て輝かせてくれよ、とそれを見ていたカヤは呟いた。錆びた歯車のような心だった。ギシギシと雑音がして生きるのに不便だと思っていた。黄金に輝く太陽の油を浴びたくて、倒れるようにして堤防を降り、波打ち際に向かった。

 海まで少し距離があったため、靴に砂が入らないように目線を落とし、ゆっくりと足跡をつけた。波音の大きさで海との距離を測れることが小さいころのカヤの特技だった。昔の感覚を呼び戻してみたところ、もうそろそろだと感じたので視線を上げたが、海はまだまだ先だった。
「鈍ってるな。」
こんなしょうもない特技でも継続的な訓練がいるのだなと反省した。カヤは今年で28になる。
 そこから海の方を見ると、波打ち際に太陽の光でキラッと輝く、白く細長い物体を見つけた。と同時に錆びた歯車が勢いよく回り出した。


 歯車がまだピカピカだった頃、同じ場所、同じ時間帯で、同じものを見つけたことがある。
「ねえねえカヤくん、これもしかしてくじらの骨じゃない?」
下を向いていた幼馴染のサラサラとした長い髪が風になびいて、カヤの目を奪う。ろくにものも見ずに「そ、そうじゃない」と適当に言って、怒られたことがあるのを思い出した。彼女の名前はソトだった。その時ソトは、くじらの骨を拾って
「これカヤくんが持っといてね、今日の思い出。」
と言って嬉しそうに渡してくれた。カヤはドキドキしていた。ソトの奥に見える太陽が全てを明るく照らし、澄んだ心音が優しく海を揺らしていた。


 物体に近づいてみると、あの頃と同じようにそれは鉄骨の一部だった。亜鉛メッキの白さびで白く見えていたから、くじらの骨だなんて言ったんだな、と思い返す。28歳のカヤはそれを拾わなかった。その鉄骨はただの鉄骨だったからだ。灰色の砂浜に埋もれて見えにくいはずの白い鉄骨は太陽の光を享受して輝いていた。どこからやってきたのかもわからないこのゴミに対して、太陽は優しく接したらしい。そして、あの時ゴミを拾ったソトにも優しかったことを思い出して、じわじわと視界がぼやけた。

カンカンカンカン!

静寂の中で突然遠くから大きな音が聞こえたため、カヤはびくついて目をぎゅっと閉じた。そういえば、堤防の奥に鉄道があり、1時間に1本電車が来ることがあるのを思い出した。再び目を開けると、晴れ渡る空にたった一片しかない雲が太陽を隠してしまっていた。


 15年前、ソトは列車の脱線事故に巻き込まれて死んでしまった。突然のことで、カヤは全く実感のないまま葬式に行き、ソトの親の計らいでお骨拾いにも行った。白く小さくなってしまったソトのかけらを1つだけ手に取ると、涙が一粒こぼれ落ちた。辛くて、悔しくて、寂しくて、全く手離せなかった。ソトの親は、「それ持ってっていいからね。」と骨をカヤに与えたのだった。


 カヤは波打ち際のぎりぎり濡れないところに座ってあぐらをかいた。雲の塊がそろりと移動し、再び現れた太陽を見つめながら、ポケットからあの日の鉄骨とソトの遺骨を取り出した。まずは遺骨を目の前の砂の上にそっと置いた。それから鉄骨を自分の右側に、そしてさっき見つけた鉄骨を手繰り寄せて左側に置いた。なんとなく先端を海に向けた。

 太陽の下端が海岸線に隠れ始めると、海は電源のつかないテレビの液晶画面のようになってきた。空を絶妙な解像度で写している。

「そろそろ夕日が沈んでしまうな。」
カヤは最後の光を浴びようとしてしばらく目を閉じた。秋が近い夏の時期だと、夕暮れは若干肌寒くなってくるが、太陽のおかげで体の前側はかなり暖かかった。

 満足して目を開けると、そこには神秘的な光景があった。やや黄色い空と融合して境界が滲んだ半月型の太陽から、カヤに向かって海の上に一直線に引かれた光の道があった。それはまるで両側に置いた鉄骨から太陽へと続くレールのようだった。あそこが終着点なんだな、と悟った。カヤは今日この遺骨を捨てにきた。

 そのときいじわるな風が吹いて思わず下を向いた。数秒後、先ほどより少し勢いのある波がやってきて、目の前に置いていたソトを連れて行った。いや、ソトがついて行ったのか。自分が送り出す前に行ってしまうなんて、ソトらしいな、と笑った。カヤはキラキラとゆらめくレールの上をゆくソトをじっと見つめて、

「ありがとう、ちゃんと幸せになれそうだよ。」

と声をかけた。遺骨を捨てたら思い出の全てを捨てると同然だと思っていたが、そうでもなかったらしい。太陽が幸せだけを照らして、美化してくれた。とことん美しくなったおかげでカヤはそれを捨てずに済んだ。やっと歯車が出していた雑音は聞こえなくなり、もうあのときの寂しさに追われることはないと確信した。

 カヤは立ち上がって、太陽に背を向けた。背中が温かくなって、行きなよ、と言われているみたいだった。そして、カヤは目を閉じて、押し付けがましい太陽にお願いした。



いつか、白く、小さくなって、ここに戻ってきたら
海の上を走る回送列車に僕も乗せてほしいな。

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