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My favorite100#5 8cmのハイヒール

こんにちは、はじめまして。なぁこと申します。
2021年は「継続していく」ことを目標に掲げ、毎週ただただすきなものを100になるまで紹介していくという連載を年始からはじめました。今回で5回目です。ランキングではなく、リストから気分でピックアップしてテーマを決めております。
このnoteを偶然見つけ、読んでくださった方のなかに、おなじものがすき!って方がいたらうれしいな〜!という気持ちで更新中です。

#5 ハイヒール

わたしは平均よりも身長が低い。
これには『成長ホルモン分泌不全性低身長症』という病名がついており、小児期に成長ホルモン注射による治療を受けた結果、現在の身長があるのだけれど、それでも150センチ以下と小柄だ。
ちいさいとき「チビ」とからかわれるのが嫌で嫌でたまらなかった。ストレートにそう言う男子にはもちろん、女子にも「ちいさいね」って言われるたびに傷ついていた。ひねくれた子どもだったわたしは病気であることを言い訳にしてはいけない気がしたし、というかそういう『特別さ』のようなものというか『ふつうじゃない』感覚が恥ずかしかったし、まわりに隠さなければいけないことだと感じてもいて、しょうがないと開き直る潔さを持てなかった。
年齢を重ねていくにつれ、ちいさいことを揶揄したひとたちは、手のひらを返すように「ちいさいほうがかわいいよ」「ちいさくていいね、うらやましい」と言った。世界が反転しても、幼いときの傷が救われるわけでもないし、「あんなに言ったくせに」と素直に受け取れず性格の悪い自分にも直面する。あげく「ちいさいと痴漢に遭いやすいでしょ?w」なんてとんでもないことを言うひともいたし、結果的にわたしのなかにずっと棘のまま巣食い続けた。


運動ないしはアウトドア(インドアだからほとんどしない)仕事(棚に手が届かないのは困るけれど)などヒール靴が適さない場所以外において、また規則に反してしまう場合を除いて、わたしはつねに高いヒールを選んでいる。
最初は上述のとおり、コンプレックスからでしかなかった。できるだけまわりの身長に合わせていくことで埋没したかった。「あのちいさいひと」と周りの人間に共通認識的なラベルを貼られるのが苦痛だった。だけど同時に、スキニーデニムをすこしでも良さげに履きたいからという願望もあった。背が高いひとが着る洋服はほんとうにかっこよくてうらやましかった。
そうやって長年ハイヒールを履き続けるうちに、ヒールを履くと背筋が伸びる自分に気がついた。すっと視界があがり、足を前に押し出してくれる力があると知った。歩くときにご機嫌になれるし、ハイヒールという造形そのものの美しさや、履いたときに浮き出る骨や突き出されたかかとのかたちも「なんかいいな」と感じるようになり、いつのまにかわたしは誰のためでもなく、わたしのコンプレックスのためでもなく、ただ自分自身が好きだからハイヒールを履くようになっていたことに思い至った。
そりゃ足は痛い。だけどわたしには必要だった。たぶん、戦友みたいなものです。ここまで歩いてこれたから。


今、時代が変わりつつあることを好ましくと思うのは、たとえば体形だとか性別だとか年齢だとかがどうであれ、以前より好きなものを好きなように身につけていい空気になっているように感じるし、その境界線に意味を見出さないひとが増えているんじゃないかってこと。一方で、当然いまだにそこで判別していく空気も残っていて、作られてしまった世間のスタンダードによるしわ寄せが、いろいろなところで今も苦しみを生み続けている。
なんかもうかたちなんてなんでもいいじゃないか。もともと心のかたちはだれひとりとしておなじじゃない。これまでのスタンダードなんて溶けちゃえばいいのになあ。人間、でいいじゃん。もう。

わたしはこれからもきっとハイヒールが大好きだし、選び続ける。いつかルブタンのハイヒールを買うという誓いにも似た願望だってこの胸にある。だけど、この記事を下書きしているときに、ワンピースにスニーカーだっていいかもなってことをつらつら考えていたのもあって、プライベートのためのスニーカーを一億年(体感)ぶりに購入した。ディスプレイを眺めながら、ピンと来るものがなければやめようと決めて、どれにしようか迷って選んだ一足を履いた瞬間、これだっていうフィット感。なんだかできすぎている気もするが、人生にはそういう瞬間が訪れることもある。きっとこの記事を書いたからなんだろう。なんてことないベーシックなNIKEのスニーカーなのだけれど、この靴であたらしい場所へ歩いていけるかもって思ったら、帰り道でなんかちょっと泣けた。

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