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My favorite100 #08 エヴァ(NOTネタバレ)

こんにちは、はじめまして。なぁこと申します。
2021年は「継続していく」ことを目標に掲げ、毎週ただただすきなものを100になるまで紹介していくという連載を年始からはじめました。ランキングではなく、リストから気分でピックアップしてテーマを決めております。
このnoteを偶然見つけ、読んでくださった方のなかに、おなじものがすき!って方がいたらうれしいな〜!という気持ちで更新中です。

#8 エヴァンゲリオン

新劇場版のラスト「シン・エヴァンゲリオン」はまだ観ていない。万感の想いとかじゃなくて、ふつうに仕事だった。健康診断で休みが潰れ、また仕事だからすぐに映画館にはいけない。ネタバレを踏みたくないからインターネットは最小限。だけど一日ネット断ちすると、一日のうちに世界線が変わる。ああ、なんて不便な時代なんだ。とくにツイッターは行きにくい。おかげで推しの雑誌掲載情報を知るのが遅れた。それでもやっぱりまっさらな状態で観たい。エヴァは。


「新世紀エヴァンゲリオン」という作品のことは、たぶんずっと意識にあった。どこへいくこともなく、うっすらとぼんやりと意識の底にずっと横たわっていたのだと思う。
「新劇場版:序」が公開されるすこし前、どうしてだか「エヴァ」は突如として底から剥がれ、わたしが完全に感知できる場所まで浮かび上がる。そのとき、猛然と「エヴァ観なきゃ。わたしはあれを観なきゃいけない気がする」と強迫観念めいたものに襲われた。結果的にそこからずぶずぶとエヴァの世界に取り込まれていくのだが、まさにあれは取り込まれたと言うのがいちばん近い。まだ若かったし、世界も狭くてメンタルを安定させる術をきちんと身につけていなかったわたしにエヴァは容赦なく精神攻撃をしかけてきた。エヴァを観て、部屋のすみで膝抱えちゃうような、シンジくんかよって状態になったし、泣けて泣けてしかたなかった。人生のその時点において、劇薬だった。ちなみにテレビアニメでいちばんすきな話は第22話「せめて、人間らしく」ですが、旧劇場版「Air/まごころを、君に」はそれ以上にわけわかんないくらいすきです。でも感情への干渉とその振れ幅が判断基準になっているだけで、たぶん愛として語れるわけじゃない。あのときにエヴァを愛しているか?と訊かれたとしたら、手放しでうなずくことができたかどうかはいまだに懐疑的だ。
なにせ、奥の奥に沈めて蓋をして溢れないように慎重に慎重にやり過ごし、焦点を合わせないよう触れないようにしてきた自分の暗部がいとも簡単に剥きだしにされた。そのうえそれを引き出され、握り潰され、潰れてぐちゃぐちゃになったところを切り裂かれ、踏み潰され、血まみれでのたまわっているような気分になる。声をあげて泣き叫び、転げまわる無様な自分を見せられている気がする。制作者の意図はどうであれ、わたしにとってはそういう作品だった。愛なんて抱けないでしょ、そんなん。だけど顕現したものまで見て見ぬふりはできなくて、結局わたしはわたしと、あるいは世界と対話することとなり、くっそ死にたいって思ったけど、同時にくっそ生きたいとも思えた。

年齢を重ね、おとなになり、新劇場版3つの鑑賞をとおして、わたしはエヴァに描かれる「再生」がすきなのだと気がついた。破壊は起きる。人生も心も日常も、突如として、もしくはじわじわと。ずっとなにごともなく平坦に続く道などなく、またフラットなままの心など存在しない。感受性だとかメンタルだとか個人的なそういうものに大きく左右されないひとだって、たとえば天災によってなすがままにしかなれないこともある。だけど、いつか再生する。どれだけ絶望しても、希望や光が萌す瞬間がわずかに訪れ、傷つきながらもまた前進しようとする、その繰り返しによってここまで生きてきたのだと思えた。だからまた生きていける。それはエヴァによって教えられた気がするんだよな。


完結編である「シン・エヴァンゲリオン」の公開にあたって、エヴァのことを考えているときにふと、わたしはもうエヴァをエンタメとして消費できるようになっていることに思い至った。むかしは、見返すとしたらメンタルの状態を選ぶ作品だと認識していたけれど、わたしはもう旧劇のエヴァを観ても部屋のすみで膝を抱えたりしない。いつからか、あのとき没入していた物語の外へ出ていたのだと思った。それは祝杯をあげるべき事態だった。まさに手を叩いて「おめでとう」ってやつだった。年を取ったからっていうのはあるんだろうし、現在の庵野監督から旧劇のような表現はおそらくもう出てこない(シンは知らないけど、ない、もしくはあったとしても似て非なるものになるかと思っている)って確信しているところもあるけれど、強くなったねわたしって思いたいよね。宇多田ヒカルの『One Last Kiss』の一節

誰かを求めることは 即ち傷つくことだった

にあるように、思春期に比べて求めることをやめた結果、傷ついてないだけなのかもなあとも思えたけれど。エヴァの世界ってこの一文に集約されるところありますよね。
だけどそれでも、いまは手放しでエヴァを愛していると言える。正直シンジくんやアスカのことハグしたいよ。そして「シン・エヴァンゲリオン」を観て、さようならって言いたい。



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