My favorite100 #11 真昼の各駅停車

こんにちは、はじめまして。なぁこと申します。
2021年は「継続していく」ことを目標に掲げ、毎週ただただすきなものを100になるまで紹介していくという連載を年始からはじめました。ランキングではなく、リストから気分でピックアップしてテーマを決めております。
このnoteを偶然見つけ、読んでくださった方のなかに、おなじものがすき!って方がいたらうれしいな〜!という気持ちで更新中です。

#11 真昼の各駅停車
学生のころのはなし。昼に授業が終わるときなんかに、時間が倍以上かかるのだけれど、乗換駅でともだちと別れたあと、あえて各駅停車に乗ってよく帰っていた。
のんびりというよりぼんやりとしてしまう。景色が流れては止まり、また流れるのをずっと眺めている。たまにまどろむ。陽の光が差し込んで、浮遊するほこりが透ける。ゆるゆると時間が進む。
降りるひとも少なければ、乗ってくるひとも少ない。ざわざわとしない。静謐さと、等間隔で刻まれるようなリズムに身を沈め、いろいろなことを考える。その日にあったこと、これから起こるかもしれないこと、誰かがわたしに言ったこと、あるいはわたしが誰かに伝えた言葉。気になっている連載マンガのつづき、イヤホンからちいさく流れる歌詞の意味、今日の晩御飯はなんだろうってこと。携帯電話は見ない。
外側にあるなにかから切り離されて、ただそこにいる自分、そこにいるだけの自分がただ揺られ、運ばれていくような、そういう気分になれることがすきだったのかもしれないし、必要としていたのかもしれない。
それほど時間に追われていないからできることだった。意味もなく昼の各駅停車に乗ることなんて、いまはなくなった。車通勤となったいまでは、電車に乗ること自体、毎日の移動手段というよりも明確で特別な目的と予定がある。誰かとならなおさらだし、たとえひとりであっても、帰るころには夜になって、翌日の仕事のことを考えれば早く帰りたいばかりで、わたしは別料金を出して座席指定の特急にすら乗る。夜は背中を押して、帰宅を急かす。
流れていく夜を眺めるのは嫌いじゃないけれど、いつのまにかぐっすり寝ている。はっと目を覚ますと、もう降車駅に着いているときもあるので注意が必要。
そんないまでも、まれに真昼の各駅停車に乗りたい衝動に駆られる。感覚としてはたぶん、遠くに行きたい、というか、逃げたい、というような心境になっているとき。
とはいえ果てまで逃げられるわけもないので、そういうときは買い物するため、とか理由をつけて、駅だけ決めてひとりで各停に乗ってみる。
なんというお手軽な逃避行。
買い物が目的じゃないので、降りたあとは適当でいい。空いているうちに電車で帰りたいので、そこで時間は使わない。ただ揺られていたいだけ。あのころとおなじように、ぼんやりとした時間と空間を過ごす。けれど、むかしよりも、贅沢さを感じる。その時間の使い方。若いって、めちゃくちゃ傲慢だったんだなあとも思う。時間なんて、いくらでもあるような気がしていた。

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