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日本大学芸術学部を卒業しました

しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。

漱石は(というより“坊っちゃん”は)なにを言っているんだと高校生の私は思ったが、今となっては坊っちゃんに完全同意できる。
流行病で最後の1年がふいにされようが4年経てばとうとう卒業してしまったし、苦情を云う訳にもいかなかった。
今年卒業するギャルたちは定型文「濃いメンツと濃い○年間」をSNSに書き込めたのだろうか。

美大でも芸大でも音大でもなく、位置付けの曖昧なこの学校を、ついに4年間一度も的確に説明できないまま卒業することになった。
はじめましての人に大学名を聞かれたとき「日芸です」と答えてしまうと私の中のインターネットが「日大だろw特別感出すなやw」と煽り散らかしてくるので毎回「日大です」と答えていた。そんなことを気にしている人のほうが少ないということは私がいちばんわかっている。

そもそも私が日芸を受験したのは、4年間も興味のないことを勉強するのは無理だと思っていて、高校生のときに興味があったのはテレビと音楽と映画くらいだったからだ。
いわゆるメディアの勉強ができる学科はもっと賢い大学にもあって一応そっちもぼちぼち受けたけど、センター英語が3割しか取れなかった学力では普通に受からなかった。

今は制度が違う可能性もあるが、私が日芸を受験した年は8学科を半分に分けて2回の日程で試験が行われていて、同じ受験日の学科でなければ併願が可能であった。
当時は映画よりテレビドラマに傾倒していたので放送学科を志望していて、別日程の中で最も近いのは映画学科だな〜と思ったので映画も併願しておいた。
結果、放送学科は落ちて映画学科に受かった。

は?

シン・ゴジラか。面接でシン・ゴジラの話をしたのがよかったのか。
※シン・ゴジラの公開年でした

私は映画学科監督コースの1年生として入学した。
いくつかあるコースのうち監督コースを受験したのは、なんとなく映画学科の中で人数が少なかったし、受かったらかっこいいな〜と思ったからだ。嘘みたいに薄っぺらいが大マジだった。

5カット程度の短い映画(動画)を初めて課題で撮ったとき、私は監督には致命的に向いていないとすぐにわかってしまった。頭の中で「こうしたほうが良い」というイメージができていて、もう一回やり直したら理想に近づくかもしれなくても、演者や補佐をしてくれている学生に「もう一回お願い」と頼むことが私にはできなかった。
それは実習に臨む学生としては気遣い/優しさだとしても、クリエイターとしては妥協である。そして妥協を許さないほどの情熱も私にはなかった。

全員ではなくとも大半の同級生は監督になることを心の底から目指していて、ここに私がいることはとても不誠実だと思った。そういう負い目があったからなのか、あまり友達もできなかった。いやこれは単に私の性格か。

日芸で留年せずに専攻を変えられる唯一のチャンスである1年から2年に上がるタイミングで、同じ映画学科の中の理論・批評専攻に転コースした。文章を書くのは幼い頃から好きで、もしかしたら得意かもしれないと思い始めているタイミングだった。放送学科への転科を希望しなかったのは、映画学科に受かったのも何かの縁かと思ったからだ。

1年の必修と2年の必修を同時でやっていたから、いちばん暇だと言われている大学2年生は地獄のように忙しかった。適当に受験した報いに他ならない。

ところで日芸は途中で辞めてしまう学生が結構いる。私の肌感覚だからアテになんないけど、やっぱり芸術学部という特性もあって他の学校より多いんじゃないだろうか。
著名な卒業生とされている先輩たちも実は中退していたりする。爆笑問題両名とか、宮藤官九郎とか。
怠惰で留年したり中退する奴はもちろんいるけど、半分とまでいかなくともそこそこの人数、「もう大学辞めても大丈夫だわ^-^」という理由で辞めていく。私はそれに憧れている節が少しだけあった。それに、卒業したとて就職せずにフリーランスでやっていく人は本当に多い。
創作する人ばかりの環境で、課題でたまに映画評を書く程度の「生めない私」はなんだか恥ずかしくなってくる。CD屋でバイトしていたけど、プッシュされている新人アーティストの棚が日芸生だらけになってきた時は冗談抜きで気が狂いそうになった。
他大学の友達が就活に必死になっている時期、やっぱり日芸は全然そんな雰囲気じゃなくて、それどころか「私は就活する方の人間か〜」とちょっぴり凹んでいた。

それでも辞めずに卒業できた。いざ卒業証書と学位を手にしてみれば、何かを成し遂げた錯覚が起きるから恐ろしい。卒業式では元いた監督コースの子たちが優しさで集合写真に入れてくれたりして、お前ら……1人残らず大成してくれよ、そんなに喋ったことなくても親友の体で自慢するから……と本気(マジ)で思った。私を親友の枠でエースタジオに出せ。ウェルカム鶴瓶でやっていく。

あんまり褒められた大学生ではなかったけどストレートで卒業できたし、ずるずる同じバイト続けたし、低く低く設定したハードルでなるたけ甘やかして自己採点するなら合格だ。
知りたくなかったこともたくさん知ったし、総合して良い学校だとは全く思わないし、最後の1年の施設費返してほしい(対面授業ゼロだからね!!!)。これまで感じた嫌な気持ちを卒業の瞬間に帳消しにするのが本当に癪なので「なんだかんだでいい4年間でしたv」とは口が裂けても言わないが、これからは出身校を聞かれたら「日芸です」と答えてみようか。

ところで、卒業論文で賞を貰った。卒制や卒論や学業成績で貰える賞はいくつか種類があるのだが、賞によって副賞が違う。他に受賞していた子はなんかかっこいい盾とか、なんかかっこいい盃(?)とか貰っていたので、私はなんだろ〜ワクワクと思って開けた。

時計1

?????

時計2

シンプル電波時計??????????????????????????????????????????

教授、卒論審査の日に遅刻しかけたの根に持ってる?????????????????????????

スクショ


読んでくれてありがとうね