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【自分歴史】短大生編①

想定外の進学、しかも本当は高校で終わる予定だったバレーボール部への運動部推薦で入学。高校、短大ともに推薦だったので、いわゆる受験という経験がありませんでした。

短大生活を振り返ると、一言「めちゃくちゃ楽しかった!」です。

まず第一に部活動が本当に楽しかった。

入学したときには、大学リーグ(大学と短大が一緒だったので、大学リーグで試合をしていました)では3部でしたが、短大卒業時には1部まで上がることができましたし、何より部活で一緒だったメンバーが楽しい人ばかりで良い思い出です。

記憶にあるのは、監督が高校時代と大きく違いました。

ある程度の練習メニューの指示はあるものの、実際の練習の進め方は

「君たち、高校3年間あれだけみっちりやってきたんだから、もうほとんど自分でできるでしょ?」と言われ、改善点や練習メニューを自分たちで組み立てていくことができたことです。

「あ、こんな自由なんだ」とその時パァ~と視界が広がるような感覚がありました。今までのギチギチでカチカチのバレーボールはなんだったんだと。
反面、基礎がある程度あるから応用がきく、ということもここで知りました。守破離という言葉はまだこの時には知りませんでしたが、それに当てはまるくらいの感覚でした。

自分たちで作り上げていく、更に結果がちゃんと出るって、なんて楽しいんだと。幸せなことに、この時にはチームメイトもほとんど同学年で、若干のイザコザはまぁあったものの、基本的に同じような「苦しい部活動」を経験していた人たちだったので、話が通じやすかったこともあります。

また、アルバイトを始めて自分で実際に働いて賃金を得る、という大変さもこの時期に学びました。アルバイト先は某牛丼チェーン店。当時は狂牛病で牛丼がなく豚丼しかなかったときで、お客さんから「お前んとこ牛丼屋のくせに、なんで牛丼置いてないんだ!!!」と罵声を浴びせられた思い出があります…。ここでも理不尽な大人っているんだな、と確認してます。あとは、失礼ながら単価が安いところには一定数の変な人がいるんだな、とも思いました。笑
※もちろんいい人もたくさんいましたよ!!

短大は2年間。その後大学へ編入すれば、まだ同じメンバーでバレーもできましたが、バレーがしたいがためだけにまたもや親の負担を増やすのも違うな、と思い、きっぱり2年で卒業しました。

その間の就職活動で、今の会社に入ることになりますが、よくもまぁ受かったな。と思うほどの適当さです。

そもそも、当時の短大生は2年生の春から就活をスタートし、夏休み前には内定をいくつかもらい、秋くらいにはインターンやアルバイトなどでその企業に務める、という流れでしたが、私はなにせ部活動が楽しくて仕方なく、2年生の夏休みも朝から晩まで遊び呆けていました。
夜中ずっと友達と遠方にドライブして、夜明けとともに海辺に落ちてるゴミでサッカーして、そのまま潮干狩りして一回シャワーしに家に帰り、お昼からまた友達と遊び、間に部活にいったりバイトをしたり、終わったらまた集まって心霊スポット巡りわやする、という今では考えられない行動をとってました。親にもよく怒られてました。いま思い返しても大学生とは言えない生活ですね‥

ですが、この時に「誰がなんと言おうと、この時にはやりたいことを本能のまま思いっきりやりきって遊び尽くした」という感覚が、これからの社会人生活でも糧になっていきます。

次回、ついに就活開始!なにも準備しないで挑む面接編に進みます。本当になにも準備してなさすぎ!

ではまた!

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