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積み重ねる→変化する?

人は鏡で自分の全身をみるとき、脳内で勝手に2割くらいは理想の姿に補正しているらしく、絶望を感じている高田です。

noteを初めて1ヶ月が過ぎました。
何事も、3日、3ヶ月、3年という「3」という数字が一つの山場になるようです。あと2ヶ月続けて、3ヶ月がんばることができれば3年はもつ、ということ。

ただ、その積み重ねるものがなんなんのか?が結構重要でして、どーーでもいい話題ばかり続けていたって意味がないわけです。

中身のない(質量のない)ものをどれだけ長く続けていたとしても、「続けた」というだけであり、それで何かを得れたか?という問には返答できない。返答したいことがあるなら、それなりに質量をもって提供すべきなのです。
※例えば毎日続けるだけなら「高田です」だけをずっと投稿してもいいわけです。

あれ食べた、ここ行った、これ買った、あの人に会った、などなど、基本的に誰も得しない情報提供は質量がないと判断されるでしょう。

・あれを食べたら体にこんな変化があった
・ここに行くとこういう体験ができて、非常に有意義かつ自分の意識がかわる
・これを買うことで作業効率がこんな風に変わり便利になった
・あの人に会うとこういう示唆をもらえて、自分の○○な考え方が甘いと反省できた

という感じであれば、まだ質量が少しあがるかな?

ただの情報共有や作業報告では無意味、というのは会社の無駄な会議でも重々理解しているはず。

それを提供することに、誰になんのメリットがあるか?を念頭にし、何事も発信していかなくては時間の浪費で終わります。

さらに欲をかくなら、それをわかりやすくシンプルにかつ愛情もって伝えることをしないと、この時代のネットワーク環境では選ばれません。
グーグルで答えがすぐ出てくるような生活に慣れているので、以前のように辞書をひいてアトランダムな情報を得よう、ということはあまり考えにくい。

これこれ!これが知りたかったのよ!

に、ちゃんと答える。

そんなことができるように、考え方も表現の仕方ももっともっと向上していく必要を再認識した月曜日でした。

今日も一日、程よくがんばりましょう。
よい月曜日を。

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