【感想】劇場版Gのレコンギスタ5部作

「『元気のGは始まりのG』ってなんだよ!?」

そんなところから始まった僕のGのレコンギスタの視聴が遂に終了しました。今ならはっきり言える。「元気のGは始まりのGだ」と。
いやあめちゃくちゃ面白かった。良い体験をした、と言う気持ちでいっぱいです。

Gのレコンギスタは、2014年に深夜帯のアニメで当時は「ガンダム Gのレコンギスタ」としてガンダム作品としてアニメ化されたのですが、当時は難解な設定と他の作品に比べても強烈な富野節で理解が難しい作品として言われていました。でも僕の周りではそれなりに評判良かった記憶がある。良い視聴者に恵まれていたのだろうな。
僕自身はガンダムシリーズをあまり深く触れられておらず、なんなら1stガンダムも劇場版3部作で済ませてる人間なので、テレビでガンダムを追う、という経験をしたのはSEEDDestinyぐらいの話なのです。
そんな人間がGレコをテレビで見てるわけもなく、ガンダムシリーズを見るってこともそうそうないだろうなあ、と思っていました。

ところがここ最近、ガンダムに触れる機会を急激に得ることになりました。
というのも、知り合いとアマプラで色んな映画を見ようという事をしている最中、去年大ヒットした「閃光のハサウェイ」を見よう、という話を切欠にして、僕はそのついでにアマプラで配信してた「逆襲のシャア」を見直し、更に今上映中の「ククルス・ドアンの島」を見に行き、やっぱりガンダムって良いなあとなって。
そしてそんな折に、「Gレコ映画版完結記念でアマプラなどで劇場版Ⅰ~Ⅲが無料配信」という話が舞い込み、Gレコに詳しい友人に話しを聞いたところ「毎年やってたのが今年完結する」という話を聞きました。
まぁそういう事になったら、今ガンダムが勢いづいてる僕の中に更に新しいガンダム作品を見るのは決して悪くない、と思いみんなでGレコⅠ~Ⅲを視聴しよう、ということになったわけです。

そんでもって実際に見たGのレコンギスタなんですが…
確かに初見だと話についていけない! でも…なんかすごい勢いがあって面白い! というのが素直に有りました。
全体的にキャラクターがみんな陽キャなので、誰が何をしたとしても(序盤の姫様を除いて)後腐れがなく動いている為にその勢いが結構心地が良い。難しいことを考えようとすると話が進むので、ある意味アニメの体験としては凄い正しいんじゃないのかなと思います。アニメって娯楽だと思うので。
ただ勿論話がちゃんとしていないというわけでなく。主人公であるベルリはG-セルフを動かして最初こそノレドやラライヤと一緒にキャピタルに帰ることだけを考えていましたが、デレンセンとの決着を機に戦闘への向かい合い方を変えていき、アイーダも初期こそ恋人のカーヒルを殺された恨みをベルリにぶつけていきますが、メガファウナを守ってくれるベルリを見て徐々にではありますが信頼を寄せていき、本当に自分がすべき事を見定めようとしていきます。
とにかく、見てシナリオを理解すればするほど細かな描写にちゃんと理由があって、彼らの会話もちゃんと(本人たちの理解はさておいて)つながっていく、というのを頭ではなく心で実感していけるのです。アニメというよりも小説を映像で読むって体験してるような不思議な心地。

そんなめちゃくちゃ面白かったGのレコンギスタを遂に先日最終章である「GのレコンギスタⅤ 死線を越えて」まで視聴した、という事で久々にクソ長感想記事を書いてみようかなと思った次第です。
当たり前ですが全編通してのネタバレを容赦なく言っていくので、これから見に行く人は出来ればこの記事を見ずに、でもまあもしこの記事を見て映画に興味を持ってくれたのならそれも良しと思うので、そんな感じで読んでもらえると幸いです。


1.キャタクターのこと

1-1.ベルリ・ゼナム

僕らの主人公、ベルリ・ゼナムくんです。

何というかこの作品の方向性を象徴するようなキャラクターで、溢れ出る陽キャのオーラから解き放たれる楽天的な雰囲気が全くガンダムっぽさを感じさせません。まぁGレコは一応ガンダムと言えばガンダムって程度だかららしさと言われてもとは思うけれど。
ベルリとアイーダしか乗れないG-セルフを使いこなし、その圧倒的な強さを以て本来味方であるはずのキャピタル・ガードと戦い、疑念を感じながらも一目惚れをしたアイーダのためにと奮闘します。

しかし、キャピタル・ガードの教官であるデレンセンを自分の手で殺害してから、表面上はいつもの明るさを保ちながらも精神にかなり影響が出ており、可能な限り「相手を殺さない」戦いを心がけるようになります。
自分がどういう状況にあるのかを理解するようになり、初期の頃は海賊船であるメガファウナから友人であるノレドと共に脱走を企てようとしていたのですが、デレンセン撃墜で何かを悟ったのか自発的にメガファウナに協力して今起きている戦争を止めるよう動くようになっていきました。
その後もまぁG-セルフもベルリ本人も強いので、並み居る敵を簡単に落としていきます。ガイトラッシュとか普通にやってたら勝てる機体もパイロットも絶対にいないと思うんだけどな…

その後は自分の出生の秘密とそれによって初恋の相手であるアイーダが実の姉であることを知ってかなりメンタルをやられます。それでもその場やアイーダの目の前では取り乱さない辺りが凄い出来た子なんですよね。
凄い楽天的に見えるんですけど本質は凄く「良い子」というのが色んな場所から見て取れます。特に自分が拾い子と言うのは知っていたらしく(ノレドがアイーダに言う場面があるので流石に本人が知らないとは思えない)、その上で義理の母であるウィルミットとは実の親子のような良好な関係を築き、母親の為と自らキャピタル・ガードに志願したという部分も含めてそういった要素は描かれていました。
ただその「良い子」であろうとする余り、表立って自分の鬱屈を出そうとしない部分があり、それが爆発しかけるシーンが不定期に見られるんですよね。一番わかり易いのが自分の出生を知らされた後に偵察という名目で単騎出撃してトワサンガと一戦交えるシーンでしょうか。メガファウナから造園が追いかけて来くるとトワサンガ兵が逃げて、ケルベス中尉からどうやって戦ったのか問われた時に、思わず「撤退させただけで殺してない」と叫び出してアイーダ達を唖然とさせます。
直前で捕虜にしたリンゴ・ロン・ジャマノッタとの戦闘でも間一髪でビームサーベルをコクピットに直撃させかけたこともあってか、この辺りはメンタルの不安定さが目立ちますし、この後もどんどん不安定なメンタルの中で戦いを強いられていきます。特にⅣのフォトントルピードなどで受けたダメージがヤバいのは画面からも見て取れます。あんなの誰でもドン引きだわ!
この直後のマスク戦がマニィのジーラッハの登場で水入りになった際の「すごく怖かったんだぞ!」はこの辺で不安定になったメンタルの爆発だったといえます。

ただそれでもベルリのメンタルが最後まで壊れないのはちゃんと親の愛を受けて健全に成長したことによる元来のメンタルの強さと、メガファウナにいる仲間たちがちゃんとベルリのメンタルをケアしてくれる所にあります。
幼なじみであるノレドは特になのですが、ラライヤは記憶を無くしてても取り戻してからも指針の一つで、アイーダは姉と判明してからは一個人としてベルリを見守り、元教官であるケルベスは女子陣にはかけにくい言葉をかけてやり、メガファウナクルーはみんながベルリとG-セルフの力に感謝をして彼を全力でサポートしています。
僕はリンゴの「要するにみんなを守ってほしいんだよ、G-セルフの力で!」のセリフが凄く好きで、ベルリ本人が圧倒的な力として捉えて殺戮しか出来ないと思っているG-セルフを「みんなを守るもの」という捉え方をさせるために凄く役立ったんじゃないかと思うんです。特にこのセリフの直前に「自分の明確な意志で対峙した相手を殺した」というシーンが有っただけに。

そこからもまあ、ベルリを精神的に追い詰める相手との戦闘があるのですが、最後まで壊れずに要られたのは間違いなくメガファウナという居場所があってのことなんだろうな、とは思います。
でも最後は一人旅に出てしまった。とはいえもうG-セルフに乗って殺し合いをしなくて良くなった、というのはベルリにとって一番望むべく結末だったのでそれで良いのでしょう。大学に戻り今後を考えようとするアイーダを見て「僕はG-セルフのことしか知らない」と言いながら頭を抱えるシーンは、自分が散々言ってきた「母はキャピタルの運行時刻のことしか頭にありませんから」に対する因果応報なのでしょう。意外と規律に縛られた似たもの親子ってこと。
ベルリ、判断力も理解力も高いんですけど、自発的に考えて自分なりに行動するって事は余りしてないんですよね。大事な部分を考えて理解して道を見つけることは出来るけど、大筋の部分で意外と流されて行動してしまうタイプ。そういう所が行動力と思考力の塊だった姉との違いだなと思いますし、それに自分でも気づいてしまったのがこのラストシーンに込められてるのかなあと思います。
それでもそこから「自分の目で世界を見よう」と行動できるのだからやはりベルリは強い子で良い子なんだと思います。彼の旅路が幸せであることを願うのみ…大事なパートナーも居るしね。


1-2.アイーダ・スルガン

僕らのポンコツ姫様。

初登場時から「凄い優秀な機体であるG-セルフを作業用MSのレクテンで捕獲される」というとんでもなくダサいスタートを貰った彼女なのですが、もう序盤は話が進む度に彼女のポンコツ具合を生暖かい笑顔で眺める時間が続きます。
寝巻き姿のまま捕獲されて(しかもその中で寝てる)、メガファウナに戻れば専用機のG-アルケインはまるで活躍できず、挙句の果てに戦闘力のない大気圏グライダーを発見次第ドヤ顔で撃ち落とそうとする始末。しかも乗ってるのがベルリの母親であるウィルミットだったので危うく主人公の母親を殺すメインヒロインという斬新すぎるデビューを果たすところでした。
本人も最序盤で「私って…時々こうだから…!」と自虐しているのですが、視聴者としては「時々…?」と疑問符が浮かぶこと請け合いです。
乗機のG-アルケインはお陰で最後の最後ぐらいしかまともな活躍シーンが有りません。と言うかフルドレスになるまで活躍したときあったか…?

しかし、話が進むごとにちゃんと成長していくのが姫様。
戦闘では相変わらず活躍できませんが、姫様のメイン活動は「政治」方面になります。アメリア国軍最高責任者であるグシオン・スルガンの一人娘として、メガファウナを海賊船として駆り様々な場所に突撃してはその情勢を知って次の行動を起こすべく動きます。
この作品の主人公はあくまでベルリだとは思いますが、話の軸になっているのは間違いなくアイーダだと思っています。基本的にアイーダが行きたい所に行く話ですからねGレコ。その途中の邪魔者をベルリが排除していくっていう道筋なのは多分最初から最後まで一貫してます。

序盤は恋人(と本人は言ってるけど実際どうだったんだろうなあ)であるカーヒルを殺された事で、アイーダはベルリに対してとにかく辛辣に当たるのですが、メガファウナを守り続けてくれたことで徐々に信頼を向け、そして出生の秘密を知り血の繋がった姉弟である事を知った事で自分なりにしっかり吹っ切れます。この辺の吹っ切れ方はベルリよりもかなり上手なんですよねアイーダ、一度自分の中で整理がつくとその後は余程重要なことじゃない限り気にしないのはアイーダの良い所だと本気で思います。
そして自分なりに未来をちゃんと考えるのも姫様の良さ。クレッセント・シップ内でこれからどうするかを討論した時に、自分が教えられてきたことが「アメリアの理論」と言われた後、ベルリに対して「私は間違っているのでしょうか」と面と向かって聞けるのはアイーダの強さの本質だと思います。
その後もおつらい出来事はあるにせよ、自分の道を考え、悩みながら必死に見つける姿は最初期のポンコツ姫らしさは全く無い、立派な「姫様」に成長した姿があったと思います。

好きなシーンはたくさんあるんですけど、クレッセント・シップに初めて立ち入ったときの「姉さんって綺麗ですね」に対する「私は綺麗です!」は滅茶苦茶姫様らしさと姉らしさが出てて良いシーンでした。姉の自覚を持ち始めてから急激に成長したところがあるので、何だかんだ言って本質的に姫様なんだなあと実感する。
「私は人類の女性として健康!」も好き。


1-3.ラライヤ・マンディ

チュチュミィ!
序盤は記憶喪失で幼児のような扱いを受けていたラライヤですが、徐々に記憶を取り戻しトワサンガに行く頃にはすっかり元気になりました。
記憶取り戻すと何ていうか凄い職業軍人っぽさが強くてちょっとびっくりしますね…記憶を失ってた頃とまるで別人じゃん…

正直な所、ラライヤの事が一番良く解ってません。
ただ話の流れを見るに、トワサンガ出身でドレット軍所属でありながらレイハントン家のレジスタンス側に肩入れしていたのだろうという推測が立ちます。そうでなきゃG-セルフを見たロックパイがあんなにキレないでしょうし。
なんでレイハントンコード所持者じゃないのにG-セルフに乗れるんだろうって思ってたんですけど、ドレット軍で正式に採用されなかったG-セルフ(多分採用されないようにコンペで提出したと思われる)を偵察用って名目で保持して、正規パイロットとしてラライヤしか乗れないようにしてたのが先にあった、と考えるのが自然でしょうか。そもそもレイハントンコードで動かせること事態が(想定された)バグだもんね。それを知っていたからベルリがG-セルフから降りてきた時にフラミニアさんは真っ先にレイハントン家に案内したわけでしょうし。

まぁラライヤの話からだいぶズレたのでその辺は置いておいて。
ただメガファウナの基質を作るにあたって一番重要だった人物な気がします。クリムもラライヤには甘かったし、メガファウナの人達も記憶を失って幼い子供みたいになっているラライヤを邪険にすることなく丁寧に接していました。
それは彼女がトワサンガの人間だと判明してからも変わらず、また彼女自身もトワサンガに戻ることはなくメガファウナの一員として戦い続けました。それはノレドを中心としたメガファウナの人達の支援があってこそだと思いますし、宇宙の人とも通じ会えるという一番の前例になったのがラライヤだったのだろうと思います。そのお陰でリンゴが捕虜から人員になるの滅茶苦茶早かったしね。

この作品、ちゃんと理解し合えば簡単に敵対しなくなるっていう作品なので、それを一番最初に実践してみせたキャラクターと言えるかも知れません。もし記憶失ってなかったらキャピタルヤバかったかもしれんな…


1-4.ノレド・ナグ

ノレド・ナグ大勝利!
ノレド・ナグ大勝利!!!
ノレド・ナグ大勝利!!!!!!!!!!!

取り乱しました。
僕が一番この作品で好きなキャラです。最高のエンディングだったな!!

何というか作品におけるヒロインは間違いなくアイーダでありラライヤなんだと思うんですけど、ベルリにとっての日常の象徴であり「女」として一番必要なのは間違いなくノレドだと思うんですよね。僕はこういう戦時下における日常を与えてくれるキャラクターが大好きなんですよ。
あとスカートが短い所も好きです(

ノレド、Ⅰ~Ⅲぐらいまでは特に顕著なんですけど、徹底してベルリの後をついて回るだけのキャラクターで、物語の大筋に関わることがまずありません。ただ、だからこそベルリは戦場でのストレスを経た結果の本音を比較的ぶつけることが出来るし、ノレドもベルリに対して深く突っ込んだ話をすることが出来ます。
ガンダムの幼なじみヒロインは、主人公に対して甲斐甲斐しく尽くすことが出来るって部分はほぼ共通してると思うんですけど、戦争という環境で変わっていく主人公への対応の変化ってのは大分違うと思うんですよね。1stの幼なじみ枠だったフラウ・ボゥは戦争でニュータイプに目覚めて人知を超えたアムロに対して明らかに身を引く態度を見せてましたし。
ただノレドはベルリが何処まで荒れても全く変わらずに傍に居てくれます。マジで甲斐甲斐しい。
頑張るベルリをちゃんと褒めるのも、だらしないベルリをちゃんと叱るのも全部ノレドの仕事です。今時こんなにいい女早々おらんぞ…!?

また、ラライヤの面倒をみるのもノレドの仕事です。ラライヤが記憶を取り戻してからもちゃんとメガファウナに居てくれた最大の要因は間違いなくノレドにあると言って良い。
あと最初は恋敵だったアイーダとの仲がどんどん良くなっていくのが嬉しかったです。アイーダがベルリと姉弟だと解ってからは寧ろ姉弟仲を心配するような余裕も見せたり、最終戦直前には遂に呼び捨てにするなどすっかり同じ戦いをする仲間としての信頼が垣間見えます。アイーダからも「ベルリにはノレドさんが居るもの」と信頼を勝ち得ております。
それはそれとして二人が姉弟って知った時の「あたし、勝ったと思った」は滅茶苦茶可愛い。まぁ異性を好きになる感情がどれだけ強いかは本人がよくわかってるだろうしな!

そんな風に戦いからは遠く離れ日常の象徴だったノレドですが、Ⅳで遂にモビルスーツに乗ることに。とはいえ複座式のG-ルシファーのファンネル担当なので、操縦担当のラライヤに比べると余り戦闘に関与してる感はないんですが。どちらかと言えば戦闘中でもベルリのメンタルケアを出来るというのが一番重要なのかもしれない。
個人的にはノレドには日常側の存在で居てほしかったのでパイロット昇格をせずにメガファウナでベルリを待ち続けるポジションであってほしかったのですけど、でもまぁノレドに「待ち続ける女」は似合わないよな…そもそもからしてアイーダを助けようとするベルリをまず追いかけることから始まったもんな…

そんなノレドさん、GのレコンギスタのEDで最高の結末を迎えることが出来ました。なんかTV版では置いてかれたままだったらしいね! マジで良かったねノレド! ベルリは一人だと無茶する人間だからやっぱノレドみたいなブレーキが絶対に必要だと思うのでそういう意味ではお似合いだと思います。最後のシーン凄くこう…すごくえっちだったんですけどパンフ見たら「まぁそういう事にはなってないよねあの二人」って言われてて「ぼくもそうおもう」ってなりました。
なんかこう、このまま暫く旅を続けて五年後ぐらいにシレっと結婚してメガファウナに報告に来て欲しい。僕はベルノレ気ぶり勢です。


1-5.クリム・ニック

手間は手間だったが、移動ポッドのダーマでこのダハックを運んで、プランダーと4本のビームサーベルを使って見せれば、天才は天才だろう!

女で一番好きなのがノレドなら男で一番好きなのはクリムです。
天才はなんというか面白い。他の作品だったら3枚目で終わるようなキャラなのに、ちゃんと強くてカッコいいのが本当にズルい。それでいて愛嬌もあってユーモアも持ち合わせており、戦況を見極める能力にも長けて相手の行動に対する洞察力も深い。無敵かこの男?

この手のキャラにありがちな「慢心からくる失態」みたいなのが殆どなく、むしろ「慢心して高慢ちきなのに妙に成功する」という描写が目立ちます。だって天才なんだもの。
作中のモビルスーツのインフレが進む中、最終章の序盤まで量産型の宇宙仕様ジャハナムで普通に戦うし、なんならG-セルフ以外がまともに戦いすら出来なかったロックパイの乗るガイトラッシュを相手にして、ビームマントのスキをついて有効打を与えたのは彼だけです。しかもその時に乗ってるのジャハナムだし。マジで頭おかしい。
高慢だしゲスみたいな高笑いとかもするんですけど、あくまで自分への自信で満たされているので他人を見下すことはせず、身内に優しいので妙に許せちゃう。記憶喪失のラライヤ相手の優しい対応もなんですが、実力を認めたベルリを執拗に勧誘してみたりする辺り実を言うと同年代で同性の友人に結構飢えてるのかも知れません。まぁ戦争する軍人なんて大体クリムより年上だし、ベルリみたいに年齢が近くて話しやすい上にちゃんと強いやつはクリム的にもお気に入りになるよなあ…

正直どっかで死ぬんじゃないかと戦々恐々としていたのですが、死ぬどころか恋人のミックを戦闘中に救い、挙句の果てに実の父親を「息子を戦死させた扱いにして餌にする大統領なんざ死んで良い!」と言い切ってクレッセント・シップで潰そうとするなどエネルギッシュすぎて笑ってしまいました。この人はよっぽどのことがない限り死なんわ…と実感。デレンセン教官に追い詰められた時ぐらいじゃないか死にかけたの。
ミックさんと世界旅行に出るつもりらしいので、そこで天才Jrを仕込んで来るのかも知れません。クソ生意気なウッソみたいなの出てきそうだな…

ベルリが後半どうしてもメンタル的に追い詰められるシーンが多いので、最初から最後まで高いテンションでMS戦を楽しんでいるクリムの存在はかなり癒やしです。あくまでMS戦を楽しんでいるだけなので、人の命を奪うことには固執しないのもポイントで、そういう意味で最後まで戦争に飲まれずに自分のやりたい事をやって帰っていきました。凄く好感度の高いキャラ。
あととにかく名言が多い。「わかってしまったなあ!」はなんかすごく使いたくなるセリフです。


1-6.マスク

最初に出てきた時笑い堪えるのが大変だったじゃねーか!

なんか作中ではみんな「一体誰なんだ…」みたいな空気を醸し出してたし、恋人であるマニィですら一発では気づかないのでなんか笑ってはいけないシリーズみたいな気持ちで彼の初登場シーンを見てました。
アイーダ救出する時に普通におったやんけお前みたいなの~!

そんなマスクさんなんですが、マスクを付ける前は凄く頼りになる好漢って感じだったのにマスクを付けてからやたらハイテンションにG-セルフを追い詰める役回りを演じることになりました。
が、乗り換えたり強い味方を付けてもG-セルフとベルリ・ゼナムが強すぎるせいで全く勝てないという不遇の星。でも女性にはモテモテなのであんまり不遇を感じません。

ついでにバララの話もしておきたいんですけど、この作品はなんというか「振り回される男を見ているつもりでその男に振り回される女」が凄く目立つ気がします。なんかこういう言い方すると最近怖いけどね。まぁ「男同士の間に入るな!」をよく言う監督の作品だし…
バララとマニィは特にその傾向が強く、バララは「嫉妬を戦場に持ち出すと死ぬ」と言われるほどに解りやすくマニィへの対抗心を剥き出しにしてユグドラシルに乗って戦った結果、G-セルフに圧倒的な力で倒されてしまいます。脱出の描写があったので生きている可能性はあるかも知れませんが。
そしてマニィはというと、恋人であるルイン=マスクを守るべくビーナス・グロゥブで奪ったジーラッハを持ってキャピタルアーミィに帰るところまでは良かったのですが、何とかルインにベルリとの和解を持ちかけるも「クンタラの誇り」を盾にしたルインの言葉に絆される形でベルリに敵対する形を取ってしまいます。
なんというか面倒な男引っ掛けた結果がコレ、って考えると本当にGのレコンギスタって作品で良かったなというか。これがZガンダムだったら絶対に無意味に死んでたよマニィ。

とはいえルインとマニィの関係性は結構嫌いではなく、特に最終決戦前に大気圏突入をするシーンが有るのですが、そこでマスクを外し「ルイン・リー」としてマニィに弱音を含めた覚悟を話すシーンは凄く好きなシーンです。マニィの前で、マスクという縛りを失ってようやく打ち明けられた言葉は「こうするしかお互いが生き延びる方法はなかった」という、恋人であるマニィを誰よりも気遣うルイン・リー本来の姿だったのが凄く良かったんですよね。マニィも「一緒に死ぬかもしれない」という言葉を真っ向から受け入れる滅茶苦茶いい女なのが伝わってきます。この辺りからお互いベルリへの敵愾心が増すように感じます。馬鹿らしいと言えば馬鹿らしいのかも知れませんが、「クンタラの誇り」に命を懸けた男のために命を張ることを決めたシーンだとも思うので、僕はやっぱり嫌いになれません。ルインの一言一句を全部即答ってぐらいの速度で受け入れるマニィは本当にいい女だと思うよ。ベルリには気の毒だけど。

戦後はG-セルフもなければカバカーリーもなく、最早戦う意味が無くなったためかマニィとともにクレッセント・シップの出港を見送っていました。何というか本来はこういう優しい男だったのだと改めて感じさせるシーンだし、そんな男でも戦争で人の命を奪える場所に来てしまうと変わってしまう(変わらざるを得ない)というキャラクターだと思うので、やっぱり嫌いにはなれないですね。
何よりマスクでいる時のルインめちゃくちゃ面白かったしな…なんか隙あらば「バララァー!」って叫んでた気がする。


1-7.メガファウナの人達

やっぱりハッパさんがメインヒロインだと思うよ(

冗談はさておいて、ベルリやアイーダ達にとっての実家であるメガファウナもまた魅力的な人達ばかりでした。父親のようにアイーダを見守るドニエル艦長に始まり、元々アメリア軍所属の人達はとにかく優しい。フライスコップに忍び込んだノレドとラライヤを見て「金魚の水を変えてやらんとな」って言えるの、戦闘後とは思えない気遣いですよ。
キャピタル・ガードからウィルミットを迎えに来るついでにそのままメガファウナの護衛にあたったケルベス中尉や、ドレット軍の尖兵としてメガファウナに攻撃を仕掛けるも捕虜になり、そのまま味方となったリンゴ・ロン・ジャマノッタ少尉。そして最終回後になりますが、ジット団として最後まで戦い間近で仲間を失ったにも関わらず「レコンギスタ」を果たしたクン・スーンと、旅の中で様々に仲間を増やしていきます。

メガファウナは元々はアメリア軍の所属でありながら「海賊部隊」とすることで軍属であることを誤魔化してきたわけですが、その結果としてアメリアだけでなくキャピタル、トワサンガ、ビーナス・グロゥブとあらゆる場所に暮らして生きてきた人達が独自に行動できるごった煮部隊として動くようになっていくのです。
なにせ指揮を執るアイーダが何より「好奇心と行動力」の人なので、アメリア軍としての動きなんかよりもアイーダの知識欲で全てが決まります。この作品がやたらノリで動く9割の要因がここにあると思う。
でもメガファウナの人達も全くそういうのを気にしないというか、もとの所属がアメリア軍なの全員忘れてねえ? ってぐらい気軽に動きます。まぁ言い出すとそもそもアイーダの父ちゃんからして結構ノリで生きてる感じあったからな…血筋だな…いや義父だけど…
この辺も含めて「親子は血筋ではなく育ち」っていうのが伝わってくる所好きなんですよね。ゼナム親子も思考回路そっくりだし。

でもほんとこのメガファウナあってこそGのレコンギスタって話は楽しいものになってると思うんですよね。下手に軍属とかにしちゃうと上の命令で縛られて行動できない! みたいな展開が結構ありますし、この作品の冒険感を出しているのは間違いなくメガファウナが自由に動けるからというのは間違いないと思います。まぁ一応軍属なんだけどな! 最早途中から自分たちがアメリア軍なの忘れてんじゃねえかなみんな。最後の最後にはアメリアの大統領轢き殺そうとしてたし…
僕はドニエル艦長が結構好きで、手間のかかる子供たち(特に姫様)の親代わりとして凄く頑張ってると思うんですよね。ベルリがメガファウナに協力してくれるようになってからは彼のメンタルケアもしっかりこなしています。一応捕虜扱いの人が人殺しをしてしまった時に「休ませてやろう」ってちゃんと判断できるのマジでよく出来た大人ですよ。でもノレドの全裸見たのだけは許してない(

何にしてもこの楽しい旅路を盛り上げてくれたメガファウナのみんなにはとても感謝。そしてハッパさん本当にありがとう。なんでパーフェクトパック作っちゃったんですか。強かったけども。
リギルド・センチュリーの技術者は何というか怖いもの見たさでヤバい兵器どんどん復活させていくよね…


1-8.ライバルのみなさま

沢山の敵と戦いました。
とはいえこの作品において一番ライバルとして長いこと活躍したのは前述したマスクなので、何というか「強敵のみなさま」といった方が正しい気もする。カーヒル…デレンセン…キア…終わったよ…!
こうやって並べると各勢力の最強候補って全員ベルリが手にかけてるんだなあ…いやキア隊長は事故っちゃ事故だけどさ…
一番ベルリを追い詰めたのがフラミニアさんってのが面白いよね(

僕の中で一番印象深いのはやっぱりロックパイでしょうか。何というか僕の中でGレコっていう作品の雰囲気が変わった切欠のキャラだなと思ってます。今まで地球上、大気圏内でのんびりとやってた作品が急に戦争の空気に変わってしまった感じがするのがトワサンガから、というのも大きいのでしょうか。「地球人」を見下す物言いって凄くガンダムっぽいなあってのが一番印象深く残ってるんですよ。短気なくせに委員長気質だし。やなやつやなやつやなやつ!
ただG-セルフの無茶苦茶さに付き合わされた一人でもあって、とんでもない出力のビームマントを普通に封じられて吹っ飛ばされて自軍に帰り着いた時の「一生懸命頑張ったんですよお!」の泣き言が凄く面白いやつだと思ったというか、そこで結構好感度上がりました。
ただこれがあるからこそ死んだ瞬間が切なかったですね。「戦場で女の名前を叫ぶのは~」みたいな発言ありますけど、その上で身を屈めながら「助けて…!」って叫んで爆散するのは直接手にかけたベルリにもメンタルにダメージが行ったしてる僕も結構辛い気持ちになりました。結局この戦争を代表する、おもちゃを与えられてはしゃいでるだけの子供の一人だったんだなと思うと、そのために命を懸けてしまったのが凄く可哀相に思えます。

あと僕的にはベッカー大尉が好き。いかにもやられ役っぽく出てきて本当にやられ役っぽく退場して暫く出てこなくなったと思ったらなんかシレっと再登場してて笑いました。まぁその場で笑えない大量殺戮兵器が出てきてしまったので本人的にも笑えなくなったのですが…
比較的軍人として戦争ごっこではないちゃんとした戦争を体現しようとしていましたが、戦力のインフレについていけなくなった印象です。なんというか本当に無体な兵器が大量に出てきたもんね…



2.作品全体を考える

「あの人達は、大きな玩具を与えられてはしゃいでいる子供なんです!」

ラライヤのこの言葉が全てだったなあ、と全編を通して見ると改めて感じる。
Gのレコンギスタ、戦争をやってるんですけど戦争自体がそもそも滅茶苦茶久し振りというのも合って、全員戦争のことがよく解らずに「ただ強いMSに乗って相手を殲滅する」みたいなのが全員の中にあります。一番早くこの歪さに気づけたのが、この世界で最強のMSに乗ったベルリだったというのがこの物語で一番大きな事だったんだろうなと。

トワサンガ、ひいてはビーナス・グロゥブのレコンギスタもそうなんですけど、別に戦力を用いる必要ってなくない? っていうのがあるんですよね。彼らの目的って「地球への帰還」でしかないし、特にトワサンガのドレット将軍はその目的に非常に忠実でした。考えてみればトワサンガもスコード教の一員で、地球を羨み妬みこそすれど、本来敵対する理由はないはずなんですよね。
ただ、キャピタル・タワーなるものを作ってバッテリーの供給を定期的に行うのを見ると、強い兵器を持っている地球に対して武力は絶対に必要だ、と考えるのは自然なことです。そういう時に「ヘルメスの薔薇の設計図」なるものから強力な兵器が生産できる、とわかればやはり準備してしまうもので、そして手に入れた強い兵器を持ってしまうとやはり人間は使いたくなってしまうものなのだなと。
それが結果としての武力交渉に繋がり、遠慮のない宇宙戦争へと発展するっていうんだからまぁ人間って生き物は仕方のない奴らだということです。

その結果として戦争には戦闘の素人が大量に溢れることになります。戦闘の怖さにビビり散らかしてしまい、思わず狂乱して戦場に突撃していくビーナス・グロゥブのテンポリスの兵隊さんは凄いリアルに恐慌が伝わってくるようでした。
ドレット将軍は「本物の軍人を育てるには後100年かかる」と言っていましたが、確かにこの状況を見れば間違っていないのかも知れません。戦争のルールが理解できずにとりあえず強力な兵器で相手の艦隊を撃ち抜いてみたり、不意打ち上等な戦術を仕掛けてみたり、「それやっちまったら戦争だろうが!」って感じの行動ばっかり。いや実際戦争になるんだが。
比較的こうした戦時の教育が進んでいるのが軍事大国アメリアを仮想的に出来ているキャピタル・ガードでして、自分たちの世界で言う所の警察・自衛隊になるんですよね。作業用MSの実戦操作訓練や、宇宙での活動の危機意識を持っている彼らが一番命の危機というものを知って、教官であるデレンセンやケルベスはそれに忠実であるという印象を受けます。優等生だったベルリも然り。

そうなると実は面白いことがあって、「信念を持った戦争ではないから人が簡単に組織を鞍替えする」であったり、「戦争は命を懸けるほどのことじゃないからあっさり投降して味方になる」みたいなことが発生します。この辺りは特にトワサンガからメガファウナに来たリンゴ・ロン・ジャマノッタ少尉が解りやすいでしょうか。
彼はメガファウナの偵察目的でドレット軍から出撃したのですが、G-セルフの強さに機体が破壊されてしまったので捕虜としてメガファウナに辿り着くことになります…が、その5分後には和やかにメガファウナクルーと談笑してたりします。捕虜でしょ君!?
そして元々トワサンガから偵察に来ていたラライヤがメガファウナのクルーとして活動しているのを見て、若い女の子を戦線に送り込むドレット軍に見切りをつけてメガファウナに鞍替え。なんか普通に乗機のモランに乗ってベルリたちの手伝いを始めます。
…このように「敵対していた人」という前提はあっても「敵軍」という意識が殆どないので、納得がいかなければ割とあっさり味方に引き入れられます。
マニィとかも直前までキャピタル・アーミィ所属だったのに偵察してたついでに帰れなくなったらそのままメガファウナに居着いてG-ルシファー強奪という戦果を上げました。ちなみにそのままジーラッハに乗ってキャピタルに帰りました。自由すぎるだろこいつら!

Gのレコンギスタは作品の監督の人が監督の人だけあってまぁ自分勝手な主張を繰り返すキャラクターばっかりなんですけど、人間としての倫理が失われているわけではないので会話がちゃんと可能です。
そしてその対話案件に成功すると戦時中であっても無駄な敵対をせずに戦いを終わらせられる、という物凄くちゃんとした部分が存在します。
ただ、如何せんどいつもこいつも戦争に踊らされてるので中々そういう機会が訪れないのが難しい所。ロックパイとかはマッシュナーの影響もあってか戦争を止めるという選択肢が殆どなかったキャラですからねえ。

こいつら戦争に踊らされてんな~ってのがよく解るシーンなんですけど、キャピタル・アーミィの司令官であるジュガン司令(なんかドレッドヘアの褐色肌の方)が、「戦場を見に行くぜ!」とかいってフライスコップで大気圏内の戦場に出ていったのが物凄く印象的でした。軍の偉い人がこのテンションですよ!?
案の定、MS戦に巻き込まれてあっさり撃墜されました。何というか、他人の命だけじゃなく自分の命に対しても理解が浅いんですよね…ちなみに「他人の戦争で死んでたまるか」と自分勝手なことを言っていたガランデン(キャピタル・アーミィの戦艦)の艦長は生き延びたみたいです。やっぱり命を大事に考えた瞬間に結果が変わるんですかね。
全体的に「戦争に飲まれた」、或いは「戦争を楽しんじゃった」人達はみんな良くない結末を迎えた感じがします。あくまでベルリ(というかG-セルフ)に拘っただけのルインが無事だったのはそういう所があるのかなと。彼は彼なりに「独裁者の血筋がG-セルフ持ってちゃダメでしょ!」って理論あったし。いや言い訳くせーって言われたらその通りだとは思うけど。

でもまあ、こういう「理屈」が大事なのかなって思うんですよね。理屈を盾に戦争してる人は多いんですけど、でも理屈を掲げることでやっぱり正しく見えちゃうもんですし、理屈を通そうとするのは「生きようとする意思」に他ならないと思うんですよ。
レコンギスタも「戦争の言い訳」でしかなくなってるんですけど、クン・スーンみたいに「あくまでレコンギスタを目的とした」からこそベルリの行動を見て投降する例もありましたし。キア隊長も戦闘する前にベルリとちゃんと会話できてれば割と生き残る目があったのかなあと寂しくなります。



3.実際に動きたい、って思える作品

「想像しなさい!」
「世界は、四角くないんだから!」

この作品を見ていると常々感じるのは、「言葉で聞いた情報だけでは何も信用できない」って部分です。それを端的に示していたのが、序盤のアイーダのこのセリフに込められてるのかなって感じですね。

Ⅳの序盤のシーンで「クレッセント・シップの外に出て目測と実際の距離を測ってみよう」みたいな感じでみんなで屋外教習を行うシーンと、その後にクレッセント・シップ内でビーナス・グロゥブに着いたらどうするか、みたいなことをみんなで話し合うシーンがあるんですけど、この2つがGレコですごく大事なシーンなんじゃないかなって思うんですよね。作中においてかなり平和な最後のシーンにもなるので印象的です。
みんなで宇宙服姿でクレッセント・シップの外に出て、あそこまでの距離が何キロぐらい?ってのを語りながら実際の距離を教えられて「あんな距離走ってたの~?」って危機感もなく話し合う所、凄い教習を受けてる感じがして良いんですよね。

で、この辺がどういう所に繋がってくるかって言うと、最終決戦におけるクン・スーンの「ダハックってこんなにビームが強力だったんですか…!?」って独りごちるシーンなんですが。これつまり、自分達が作った兵器の強さを「数字」としてしか理解できてなかったってことなんですよね。
ジャイオーンでビーナス・グロゥブを傷つけた責任を自分の命で支払ったジット団のキア・ムベッキ隊長からしてそうなんですが、この人達そもそも軍人どころか戦闘員ですらない「研究者」なんですよね。なので自分達がヘルメスの薔薇の設計図をもとに作り上げたMSの性能を数字上で理解してても、実際にそれがどれぐらい恐ろしいかを理解してなかったと思うんですよ。そもそも実際の戦闘とかしたことなかっただろうし。だからこそのクンちゃんの台詞だし、ジャイオーンの事故にも繋がると思うんですよね。

この他にも、大気圏突入時に「冷却フィルム貼ってもらったからヨシ!」って言いながら戦闘での細かいフォルムの変化に気づかず大気圏で燃え尽きてしまったサラマンドラであったり、「正式採用されたんだからこっちのが強いやろ!」って言って明らかに普通の機体であるモランでG-セルフに果敢に挑んでくるドレット軍の人達だったり…とにかく「貰ったデータ」でしか物事が見れない事で失敗をする人が非常に多く、「物事を想像できなかった人の末路」が次々と描かれていきます。

コレに対し、クレッセント・シップで実際に「数字」と「実物」の違いを確かめたメガファウナ組はその辺りの意識をしっかりと認識できており、自分達が使う兵器の凶悪さの認識や、けっして脳死で戦争をしてはいけないということを強く理解しています。
特にベルリはG-セルフというあからさまに凶悪な機体に乗って居ることに対してかなり自覚的です。コレに関してはデレンセン教官を自らの手で殺してしまった時の事をケルベス中尉に告白して居ることからも解ります。ベルリは実体験として「G-セルフは強力だから扱いには十分気をつけないといけない」というのを解っているし、それによって大事な人が死んでしまう、殺してしまうという可能性もよく理解しているために数字と実物が違うものだとよく解ってるんですね。

「じゃあ、数字しかなくて実物が見られない時はどうするの?」という時にメガファウナ一行がどうするのかというと、「じゃあ私達で見に行きましょう」とアイーダの提案で様々に旅をするんです。ここがメガファウナ組と他の登場人物達の圧倒的な差になるんだと思います。
解らないことはまず見に行って自分で調べる。そして見たことから次にするべきことと自分がどうするかを考える、という「Gのレコンギスタ」のメッセージが込められているのだなと思うんです。
アイーダの突撃癖は戦闘においてはポンコツな結果しか生まないんですが、作品全体を通してみれば彼女の行動力があってこそ戦争は集結したのだなと改めて感じるんですよね。じゃじゃ馬娘であったからこそ、「世界は四角くない」と知れたんですよね。
何事も決して脳死で終わらずに自分で見て考えて行動する。とても大事なことをGのレコンギスタは教えてくれます。



4.最強のMS、G-セルフ

「僕は…G-セルフの義務を果たす!」

後半になるに連れてMSの性能が右肩上がりで上昇していき、最終的には全方位に向けて鞭上のビームを出してみたり相手のビームを吸ってみたり無線ビットを出して無差別に攻撃してみたりとなんでもアリな状況が続くんですが、そんな状況下においてベルリ自身の戦闘能力も相まって最後まで無法な強さを発揮しきったのがG-セルフというモビルスーツでした。

この「Gのレコンギスタ」という作品のすごい良いところなんですけど、話が仮によく分かんなかったとしてもモビルスーツ戦がメチャクチャかっこいいんですよね。ざっくり見ても勢いがあって良いし、何回も見ると細かい動作が突き詰められてて何度見ても楽しい。
そしてその中で主人公機と言うだけあって何度も戦い、何度も勝利するのがこのG-セルフです。

このG-セルフ、とにかく強い。
元々結構強いMSであったのでしょうが、レイハントン家の力で「子供達を絶対に生き延びさせてやるぞ!」という意志の力が垣間見えるのか、えげつない戦闘力を誇ります。メガファウナのハッパさんも「こんなに強いのはお前たちを生かそうとしてるからだよ」とお墨付き。

素の状態でもビームサーベルが伸びたりライフルで一撃で敵を撃墜したりするのですが、バックパックによる換装で更にその強さを増します。なんかこの世界に存在するバックパックは全部G-セルフの為に考えられたんじゃないかってぐらいG-セルフしか装備できないし、G-セルフもベルリもそれを使いこなしてしまうので手に負えません。しかもG-セルフは一度使用したパックの効果を、パックを外しても使えるという意味の分からない性能を持っているので滅茶苦茶無体な強さで戦場を駆け回ります。
最後に登場した「パーフェクトパック」は、映画のパンフレットにも直々に「今までのパックの性能が全て発揮できる!」と書かれています。バカの機体か?
実際の戦闘でも「高トルクパンチ(高トルクパック)」「全方位レーザー(大気圏パック)」「アサルトモード(アサルトパック)」と全部乗せセットを打ち込んでロックパイを撃破していました。実際そこまでしないと厳しい相手だったのは間違いなんだけどやり過ぎ感が否めない。

そしてパーフェクトパックに搭載された「フォトントルピード」が「絶対兵器」の名に恥じない行動を見せます。
名前の通り「光子魚雷」なるもので、反物質を戦場に撒き散らして触れた相手を装甲ごと削り取って「消滅」させ、発生したエネルギーをG-セルフに回収して本体が回復するという、人の心を完全に無くしたものだけが使える装備です。対人で使って良い武器じゃねえよコレ!
どう考えても宇宙怪獣とかそういう地球外生命体相手に使うスーパーロボット系の武器なんですけど、G-セルフは普通にばらまきますし、何ならコレを前提とした機体の構成になっています。マジで人の心がねえよ!
ベルリは一度低出力で使用後に戦場を完全に焼け野原にしたのを目撃し、その後は完全に封印しました。当たり前だろ!!!

最終決戦時には対戦したマスクも「G-セルフは悪魔か!」と思わず零してしまうほど圧倒的な強さのMSです。その時のマスクの機体であるカバカーリーも大概ヤバい性能してる筈だし、G系統としてかなり優秀なジーラッハも随伴してたはずなのに、バッテリー切れ直前のG-セルフと2対1でほぼ同等ってのがヤバさを助長します。子供を守るためとは言え世界が壊れたら意味ねえだろうがよ!

しかしマスクの執念が実り、G-セルフはカバカーリーと相討ちという形で大破することになりました。その時もきちんと脱出パックであるコア・ファイターが問答無用で作動しベルリは生存します。
ハッパさんが言った通り、間違いなくG-セルフは「ベルリとアイーダを守るための機体」だったわけで、最後まで彼らを守り通して破壊した、というのはG-セルフの本懐だったと言えましょう。
彼らの戦いと時同じくして戦争も終結に向かったため、G-セルフは修復されることなくギアナ高地に放置されることになりました。あくまで戦いの中でベルリとアイーダを守るものなので、戦いが終わってしまえば不要だと二人も判断したということなのでしょう。以て「G-セルフのレコンギスタ」は間違いなく成った、ということなのかもしれません。

どうでもいいんですけど、フォトントルピードの使用スイッチ余りにも簡単な所に付け過ぎじゃない? 左手の親指だけでカバーの開放とスイッチのオンを可能にするのヒヤリ・ハット案件でない?
なんかこう、G-セルフが攻撃を受けた衝撃とかでベルリがレバーを握ってたら誤操作で普通に発動して戦場をそのまま焼け野原にしてしまいそうな…あ、寧ろそれすらも「ベルリを守るため」なら想定内なのか。
マジで悪魔だなこの機体???


5.おわりに

「元気のGは 始まりのG」

この意味のよく解らないフレーズから始まった僕のGのレコンギスタ体験、ここまで色々と語ってきましたが、最初に見た時は「?」が沢山浮かぶ作品だなあという感じでした。
というのも、流石は富野監督作品と言うべきか、会話の勢いについて行けないんですよね! 劇場盤はそれでも比較的説明セリフが含まれているということらしいのでビビっております。
特にGレコはキャピタル、アメリア、トワサンガ、ビーナス・グロゥブと最終的に4つの勢力が入り乱れ、更にそれぞれの勢力に穏健派と過激派が存在し、更にメガファウナ内はそれらの組織の穏健派が居着いたり別行動をしたり敵に回ったりと、状況がまるで安定せず、誰がどの組織に居るのかというのを考えている内にそいつが別の組織に行ったりします。マジで頭痛くなること請け合い。
こういうのを見てると確かに理解が追いつかなくて大変だなあというふうに実感する次第です。TV版はもっと勢いとノリで進んでいたらしいので、人によっては酷評される出来だというのもまあ納得は出来ます。

ただ、僕は割とこういうの心地良いタイプでして。
なんというか、アニメって言うよりも「漫画」とか「小説」に近い読み方ができる作品なんじゃないかなと思うんですよね。読みながら自分の中で反芻して、あぁ、と思った時に前のシーンを見返したりすることで理解が深まるタイプといいますか。
僕は実を言うとアニメの視聴がすごく苦手なタイプで、アニメって見るのに体力を使うんですよね。というのも、「ながら見」というのが余り出来ないタイプなんです。2回目の視聴の時は横で流したりするっていうのに躊躇いはないんですけど、最初の視聴の時は他の全ての情報を遮断してアニメだけに集中したい、っていうタイプなので、新しくアニメを見ようという行動に踏み切るまで滅茶苦茶時間がかかるタイプです。
加えてアニメってテンポがアニメ側に委ねられる所が余り得意ではなく、漫画や小説みたいに自分のスピードで読んで、気になった所を読み返したりする、っていう感じで少しずつ咀嚼して情報を入れていく、っていうのが楽しいタイプなんですよね。

そういう時に、この「情報の洪水」を行わせて「あぁこれは全力を出して見ていいアニメなんだ」と思わせるGのレコンギスタ、僕の視聴スタイルに合ってたのかもしれません。
アニメって媒体はどうしても気楽さを求められるものですが、この「明らかに人を選ぶ力強さ」を持つGレコは、気楽に見るよりもちょっと強気に見るぐらいが楽しく見られるのかもしれません。
全力でアニメを見させて貰った、という満足感でいっぱいです。

そんなわけで今日も僕は「BLAZING」を聞きながら帰宅するのだった。
散々「Gの閃光」の話しておいてなんだけど、僕自身は「BLAZING」が一番好きなんですよね。なんというか作中のベルリとアイーダをそのまま描いたような歌詞がすごく胸に刺さるのだ。
Gのレコンギスタ、色々あるんですけどやっぱりこの作品はベルリ・ゼナムとアイーダ・スルガンの物語だと思うので、その二人をまっすぐに描いた「BLAZING」は凄くいい曲です。キルラキルの後期OPを歌ってた人って聞いて凄く納得しました。アレもまさに「纏流子の歌」だったもんね。
Gレコが理解に難しいなと思ったらこの二人を中心に物事を考えてみるのをオススメします。新しい世界が見えてくるはず。
早く劇場盤Ⅴの円盤を買えってロックパイが言うんだよぉ!

どうでもいいんですけど、劇場版用に作ったドリカムの「G」って曲も好きなんですけど、監督とドリカムの対談であった「若い人に訴求したいから頼んだ」からの「米津玄師の方がいいですよ」でだいぶ笑いました。ドリカムそれで良いのか。まぁいいのか。
監督もラブライブとか見たらしいし次はアイドルアニメとかどうかな。米津玄師がOPで。星野源でも良いよ!(

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