現代文の授業の基本的な考え方

 現代文の授業の目的を一言で言うなら、「筆者(作者)の視点・問題意識を内面化させる」という点に尽きる。高校一年生の教科書に収録されている評論、『水の東西』を例に考えてみよう。

 「筆者が何を主張しているのか」を理解させることはそこまで難しいことではない。「日本人は西洋人と違って形のないものを恐れない(だから目に見える噴水よりも「鹿おどし」を好む)」ということを言っているに過ぎない。読解法の観点で言えば、日本文化と西洋文化の対比を抑えること、日本文化の具体例が「鹿おどし」であり、西洋文化の具体例が「噴水」であることがつかめれば、高校一年生としては最低限のラインをクリアしたと言って良い。

 だが、少なからぬ高校生は、これでは「わかった」とは実感できないであろう。「そもそも筆者は何故こんなことを主張しているのか」がよくわからないからである。
 日本人が西洋人と違って、積極的に形無きものを恐れない心を持っているという知識にそもそもどういう価値があるのかわからない。どのような価値があるのかわからない情報をインプットして、求められる形にアウトプットすることができるようになったとしても、一般的にそれを「わかった」とは表現しないであろう。彼はその情報をどのような場面で何のために活用すればいいのかを知らない。だからこそ、「筆者はなぜこのような主張をするのか」を知らなければならない。筆者がその主張をしなければならないと感じた動機、つまり、筆者自身の体験からくる視点と、問題意識がどこにあるのかをつかまなければならない。現代文における「読む」活動は、突き詰めれば全て、その書き手の世界を解釈する視点、問題意識を理解し、自分の世界観に取り込むことを目的としている。
 
 『水の東西』は、西洋近代の思想を相対化し、日本の伝統的な価値観を再評価することを意図した評論である。この点を生徒に理解させるためには、「現代」とは「近代」の諸問題が浮き彫りになった時代であること、「近代」の思想、つまり、西欧の伝統に根ざした思想の中には、「自然は人間によってコントロールされ、可視化(造形)されるべきものである」という共通認識があり、その認識が「壮大な水の造形」「目に見える水」であるところの噴水という芸術を生み出す土台となっていること、日本にはそのような西欧的な自然観とは異なる自然との付き合い方があり、現代ではそれが見直されているということなどを理解させる必要がある。

 『水の東西』は短い評論ではあるが、話を広げる余地はいくらでもある。むしろ、限られた時間の中で、どの程度ポイントを絞り込んで伝えていくかを考えるべきであろう。いずれにせよ、『水の東西』に限らず、現代文の授業づくりの根幹には、「筆者(作者)の視点・問題意識の内面化」という共通した目標を据えるべきだと私は考えている。この目標さえ達成できれば、筆者が主張する内容それ自体は、大抵の場合入試などでも二度とは読まないのだから、細かいことは忘れてしまっても差し支えない。それよりも「筆者(作者)の視点・問題意識の内面化」、大学入試という文脈に絞ってよりわかりやすく言えば、「アカデミズムの世界において一般的な視点・問題意識の内面化」こそ、現代文の授業を通して徹底されるべき究極の目標であると言える。

 少なくとも大学進学を希望する生徒であれば、大学の教員や、彼らが好んで読む作家の価値観・世界観を理解し、それに適応した言葉を使いこなせなければならない。大学というコミュニティーに参加するための最低条件は、大学という世界の価値観・世界観を理解し、肯定し、そのルールに従うことを表明することである。現代文の教科書や入試問題とは、そのエッセンスを取り出せば要するに「インテリ・知識人の世界に対する視点・問題意識」の集積なのであり、個々の文章に示された結論が大事なのではない。国語の教員の役割は、一見無関係にさえ見える無数の文章に、どのような共通したエッセンスが隠されているのかを可視化することであろう。

 注意すべきなのは、「筆者(作者)の視点・問題意識の内面化」を強く進めることによって、生徒の思考が画一化されてしまうことである。これを避けるためには、生徒が理解したばかりの「筆者の視点・問題意識」さえも相対化するような視点を授業者が与える、という工夫があり得る。文章の内容を一通り説明した上で、筆者の主張に対する反論を書かせる、などの活動もあって良い。
 とはいえ、学校の教科書や入試問題に使われる文章において、「筆者の視点・問題意識」にはそれほどたくさんのバリエーションがあるわけではない。それは学校の授業で扱われる教材という特性から言って当然のことである。まずは、それほどバリエーション豊富とは言えない「視点・問題意識」を吸収することを目標とすべきなのであって、その先のことは、中学や高校を卒業した後にも、一生かけて追求できることなのだと思う。

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