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「反◯◯」を掲げない方がよい理由

日本維新の会の音喜多駿議員が『「反◯◯」でプロフィールを埋めたり自己主張する人、攻撃的で無礼な人が多い説』という表題の動画を掲載しており、えらく共感しました。内容としては音喜多議員へ無礼な発言をする人はプロフィール欄に「反◯◯」というのを掲げている傾向が多いというものです。同議員は反対の姿勢を掲げていると心が荒んでくるのではないかと分析しています。割と納得感がある話でした。

言葉を投げかけるとき、たとえば相手に10の否定的な言葉を浴びせたとします。それは自ら相手に言葉を伝えるのと同時に、自分自身にも10の言葉が降り注いでもいます。なぜなら私達は自分が発した言葉も自分の耳で聞こえるからです。SNSにしても、自分で書き込んだ言葉は自分の目に入ってきます。

逆に肯定的な言葉を発し続けると、自分の気持ちも前向きになります。私はそれをサッカーの応援で感じています。応援をしているとチーム状態がどれほど悪くても「頑張れ」「いいよ」「その調子」という言葉を何度も発します。負けても「次は頑張ろう」と鼓舞します。すると試合が終わった頃には前向きで元気な気持ちになります。

いわゆる言霊です。言葉に魂が宿るというと胡散臭さを感じますが、普段の生活の中でも実感する場面が多く存在します。

否定するにしても「反◯◯」という掲げ方にも問題があると思います。これをするとゼロイチ思考に陥りかねないのではと考えます。例えば「反原発」を掲げると、原子力発電を一切肯定できなくなります。実際は運用可能な資源のない日本では原子力発電は貴重なエネルギー源です。最近は暖房需要に伴う電力不足が問題となっています。こういう時は安定的な電力供給元である原子力発電も選択肢の1つとして認めなければならないこともあるでしょう。この時に反原発を掲げていると、生きるために少しでも原子力発電を容認しただけで自己矛盾に陥ります。

ゼロイチ思考から自己矛盾に陥ったとき、訂正して軌道修正できる人であれば問題ないでしょう。これを頑なに貫こうとすると、より大きな力で覆いかぶせる必要が生じます。それが暴言であり、人格否定といった的はずれで攻撃的な言論に発展します。そしてこれが先の言霊へと発展します。意図せず自分自身で負の循環を作ってしまっています。

プロフィールに「反◯◯」と掲げていなくても、誰しも全否定したくなるような存在はあるでしょう。そう思ったとしても、それは家族や親しい人に伝えるだけに止めておいてください。後戻りできなくなって自分で負の循環を作らないためにも、あまりそれは広く表明しないほうがいいかもしれません。

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