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まだ早いけど現状からアフターコロナを考えてみる(1):『日常』が分からなくなる

中国武漢発の新型コロナウイルスは長期戦へ

北海道と札幌市が緊急共同宣言を発しました。

北海道の鈴木知事と札幌市の秋元市長は、新型コロナウイルスの感染者が、再び増加する傾向にあるとして「北海道・札幌市緊急共同宣言」を出し、今月14日から来月6日まで札幌市の小中学校と高校、そして近隣の道立高校を再び臨時休校にすることを決めました。

北海道といえば日本国内で最初に新型コロナウイルスの感染拡大が懸念された地域です。現在は収束に向かっていると思ったのですが、再び緊張感が高まりました。

発生源である中国でも同様に感染者は完全に無くなっておらず、第二波の危険性が噂されています。

中国は11日、新型コロナウイルスの新たな感染者が増加したと発表した。移動や渡航を制限する措置が解除される中、当局は海外からの渡航者や無症状感染者が、新型コロナ感染拡大の第2波を引き起こす可能性について警戒している。

当初は春になれば収まると楽観してましたが、思った以上の長期戦になろうとしています。科学的見地による対策が確立し、インフルエンザと同程度に共存できる関係になるまではこの生活が続くのではという気がしています。

長期化に伴って現状に最適化しすぎる

ところで、新型コロナウイルスとそれに付随する騒動が収まった後の世界は大きく変わるという意見が散見されます。私も世界は大きく変わると考えています。変わる規模ですが、この状態が長期化すればするほど世界が大きく変わっているのではと考えています。

長期化が見込まれる前提であれば現時点で「アフターコロナ」を考えるのはあまりにも早すぎるのは承知しています。承知はしていますが、現時点で起きている現象から長期化された後のアフターコロナで我々の生活がどう変わるかを考えてみたいと思います。

まず大きく「現状が長期化するとどうなるか」を考えます。我々の生活が現状で最適化されます。

例えばテレワークです。週末に家電量販店の店頭を見ると、商品の配置が既に変わっていました。1階の1等地となる売り場には以前はスマホ周辺機器が配置されてました。その1等地にはテレワークコーナーとなっていたのです。具体的にはWEBカメラなどのビデオ会議用の危機や、運動不足解消のためのフィットネス用品です。

おそらくテレワークを強いられている多くの方が自宅での業務環境を整えていると察します。長期化すればするほど自宅で過ごすための環境の整備が進んでいくはずです。

そして、最適化されてしまうと、私達はその生活を手放さなくなります。

「日常」が分からなくなる

現在は多くの方々がこの閉鎖的な生活を嫌だと思っていると察します。それはいくつか要因があると思います。ひとつ大きな要因として、人間は安定して安心できる環境を維持しようとする性質があるからだと考えています。生物学や心理学で言うホメオスタシス(恒常性)というものです。環境が変化すると人間は自然と元の生活に戻ろうとしてしまいます。

現在は閉鎖的な状況を嫌だと思っていますが、この状況が長期化することで閉鎖的な現状が逆に「日常」となります。感覚的には「慣れた」状態になり、人々はこの生活に安心感を覚えます。いざ緊急事態が解除されたときに、大抵の人はホメオスタシスが働いて元の日常に戻ることに抵抗を感じるのではと予想します。

人々が現状の「新しい日常」から「元の日常」に戻ろうとしたときに、新しい世界が生まれます。安心して過ごしていたはずの日常は既に古い価値観による生活となってしまっており、かつて日常だったはずのコトやモノが非日常となります。もはや何が私達の日常なのか分からなくなります。それはあらゆる地域のあらゆる分野で細部に渡り発生します。結果として、私達の生活が大きく変化するはずです。

そして具体的に考えていこうと思ったのですが、結構な文量になってしまいそうなので、この記事はここで締めます。引続き、明日以降もアフターコロナについて考えていこうと思います。


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