同情の彼方へ

そうさ、猫の手を潰す必要なんで何処にもない。とてもおとなしい猫だし、悪いことなんて何もしやしないんだ。それに猫の手を潰したからって誰が得するわけでもない。無意味だし、ひどすぎる。でもね、世の中にはそんな風な理由もない悪意が山とあるんだよ。あたしにも理解できない、あんたにも理解できない。でもそれは確かに存在しているんだ。取り囲まれてるって言ったっていいかもしれないね*1。

猫の手を潰す。元首相を銃殺。民族浄化。
彼らは狂っているのか。
「人間は全て倒錯している。」
そうだ、ぼくたちも狂っていたのだ。

「オドルンダヨ、誰よりも上手に」*2。

サカキバラショウネンは「普通の」中学生ではなかったか。
ヤマガミヨウギシャは「普通の」ヒトではなかったか。
アイヒマンは「普通の」夫であり、父親でなかったか。

彼らは狂っているのかもしれない。だがぼくらもまた、、、。

線路に人が飛び込む。
乗客は迷惑そうな顔をする。
青白い顔、浮腫んだ脳。
干上がった血、堆積した膿。

流れはどこへ行ったのだろうか。

「神がかった感応力」*3
どれだけの人がこれを持っているだろうか。

問題は倫理なのだ。

「一人が死ぬことで云万人に迷惑をかけることになる。」
千切れた電線。濾過しすぎるフィルター。

「最大多数の最大幸福」。
おまえの墓につばを吐いてやる*4。

「ウクライナの方々のために寄付を!!」
鈍った感情。それをよしとする社会。

「戦争では何万人もの人が死ぬ!!」
だれがそんなトロッコに乗るのか。
いいや、乗りすぎている。

「カンボジアに学校を建てよう!」
なんのために?だれのために?

彼らには何も見えない。

質より量。いいや、量より質ではないか。

「他者の顔は無限から到来する」*5。
これでは弱い。

「右手に左手の行うことを知られるな」*6。
そんなこと問題ではない。

「右頬を叩かれたら左頬を差し出せ」*7。
なんという美徳。吐き気がする。

いつから人間は感情を押し殺し始めたのか。

近代社会の専制。終末。Lezte Mensch*8。

人は人。自分は自分。

極端な個人主義。

ではなぜウクライナの人々を、、、。

道徳?いいやそれは義務だ。

人間性の義務化。圧力としての定言命法。

重要なのはこんこんとした「流れ」だ。

感情の、情動の、言語の、関係の、人間の、

Communication/交通。

同情の彼方へ、あるいは同情とは別の仕方で。

他人事なんてものはない。他人事にできない。

ー不能と暴力と努力の狭間にー


*1 村上春樹『1973年のピンボール』講談社。
*2村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』講談社。
*3石牟礼道子『苦海浄土--我が水俣病--』講談社。
*4ボリス・ヴィアン『おまえの墓につばを吐いてやる』   
   河出書房新社
*5エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』岩波書
   房。
*6『マタイ福音書』、6-3-4。
*7同書、5-39。
*8ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』河出書房新
   社。

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