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わたしのこと

あー寝られない、、、昨日のブログを読んでだいぶこじれてる感満載でしたね、、、


ま、つらつらと書いていきますょ、、、


どこから書こうか  うん。父方のご先祖は石川県で昔大きな商売問屋を営んでいたそうな。むかーし昔の戸籍謄本を父親が昨年とってきた。それで近くの神社に参りお話を聞いてきた。父親の兄弟も知らない様な話だった。商売を開拓するために蝦夷地へ。まだ見ぬ新しい土地に、私の曽祖父はおりたった。曽祖父がまだ元気な頃、開拓の歴史を本に綴ったものが実家にあった。

周囲は開拓者も多くいる中、一方母方の実家は宮城の伊達藩の家臣で武士。昔の武士といえば、いろんな時代背景から国を追われ逃げる様に、蝦夷地へ。


どちらも状況はちがっても明るい希望をもって、海を渡り蝦夷地、北海道へ来たと


父方の曽祖父は、農業で生活していたが水墨画や書家としてとてもステキな作品を残している。あまり多くを語らないとても温厚で優しいオーラの持ち主だった。

とは対照的に、母方の曽祖父はこちらも農業で生活していたが性格はとても厳しく、私の母にいつもダメ出しをし兄弟でもよく言い争いをしていた。でも勉強熱心で博学、いつも本を読み生活していた。広く開拓した場所が土地開発にあたり莫大な資産が出来たが、息子達の事業にほとんど全てを捧げてた。


どちらの曽祖父も曽祖母も100歳近くまで長生きしたが、母方の曽祖母は認知症を10年患い、一番近くのうちの母がよくお世話をしていた。


書いてて思った。今している仕事は半分は高齢者との音楽療法であり、疲れた時でも街で知らないじーちゃんばーちゃんがいるのを見るとほっこりする。んで、笑顔になる。無駄に優しくしたくなるwwwそれって、4人のじーちゃんばーちゃんの好きな所全部もらって、無条件に可愛がってくれて大事にされて大好きだったからだ


今一番長い施設で、認知症専門棟の仕事はもうかれこれ20年になる。リハビリ施設でもあるので、入れ替えも多く今まで本当に沢山の高齢者に出会ってきた。でも施設の高齢者との嫌な思いは思い返すと無い。


高齢者の生活の中では、私は音楽療法という皆さんの楽しい場面を作るのが仕事で

ケアワーカーさん達がいるから成り立ってる仕事ともいえる


ぬるくて 毎回同じ様な事を繰り返す成長の無い仕事と思っていたが 自分の所為だと気付く

認知症とは身体的にも精神的にも非可逆的な方向へと向かう症状であり 病気ではなく脳の基質変化だと言っている医者


実際に対応しているとそんな事はどうでも良く、とにかく話して関わって思う存分生きることを照らして、笑顔を見る事そこにいつも全ての力を注ぐ


自分のこと書くはずが、じーちゃんばーちゃんから登場してまった、、、この先長いなwww


またじぶんのこと続きます








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