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傷ついた私とその傷が他の誰かを傷つけてしまうとき

今回・・・自分でも書くのがちょっと苦しかったり、痛かったりする話です。飛躍した例えだと「人間が壊れて鬼になってしまう」ってところでしょうか・・・。

被害者の心の傷が人を加害者に変える?!

ACやPTSD持ちの人たちは、心の中にたくさんの傷=トラウマを抱えていると思います。苦しくてたまらないたくさんの傷。被害を受けてきた被害者の傷です。それなのに、その傷ゆえに人を傷つけてしまう存在になってしまうこともあるそうで・・・。そのことが書かれたもの(=自己愛に関するものでした)を見た時私は、怒りを覚えました。どうして、傷つけられた私が、傷つける相手に対して反撃もせずに我慢してきた私が加害者のように書かれているのかって。

好きでいじめられたり、暴力を振るわれたり、その他もろもろ書くのもイヤになるような事例に耐える人なんていないじゃないですか・・・。これまで必死で生きてきた、何度も死のうとしながらも生きてきた自分の人生を否定されたように感じてしまったんだと思います。

他人は自分の被害や心の傷を知らない

でも。どんなにつらい人生だったとしても、私のことを知らない他人からみたら、関係ない一人の他人でしかなくて。心の傷からということを知らなければ、一人で買い物に行けないとか日々感じている恐怖とか、それらに起因して起こる行動や行動出来ないことが奇異に映ってしまうのもまた事実で。そして一番つらいのは、経験したことがある人でないと理解できない、なかなか理解してもらいづらいことだという事実。

被害を受けたという認識の影響

そして、こうした被害者であるという記憶自体は、はじめは認識しづらく、気付いてから腑に落ちるまでも時間がかかり、それらの長い時間に晒されることで被害妄想のように、また嫌なことをされるかもしれない、周りはみんな敵かもしれないみたいに、人が怖くなったりして毎日を怯えながら送るような状況になることだってある。本人にとってはとても苦しい予期不安ともいえる状況だけれど、それが過剰になって他人を敵視したり、自己防衛に走ったりすると、他人をも傷つけてしまうことになってしまう、そういう存在になり得るということ。

実際、私自身職場でのいじめやパワハラ、セクハラに耐え続けた結果。
「ここでは誰にも助けてもらえない」
「自分以外は敵だ。いつ危害を加えられるかわからない」
「ここでもまたいじめにあうかもしれない」
「他人と関わるとろくなことにならない」
「でも嫌われたくない」
「うまくやっていかなきゃ」
「順応しようとしているのに仕事を丸投げされる」
「苦しいのに誰も助けてくれない」
・・・etc
そして私は人が怖くなって、猛烈な怒りを抱えたままそれを隠して職場の職員と関係してきました。我慢が限界に達すると、適応障害、鬱、パニックを発症し・・・もうどうにもならなかった。字も読めない、動けない、ただただ死にたくなって、敵だらけの戦地だった職場から一旦退避しました。
職場からは逃げられたけれど、問題がもう一つ。両親です。
一緒に住んでいるわけではないけれど、週に一度行かないと電話攻撃や突然訪ねてきたりがあるので、しばらくは仕事が忙しいと嘘をつき連絡等があまりできないと伝えました。もちろん行くことも。
そしてやっと、自分を大切にしてくれる夫との生活だけに専念できるようになって、こんな風にこれまでの自分を振り返られるくらいのところまでになってきた。ここに来るまで2年弱。
心の傷を積み上げてきた年数を考えると、回復は早かった方だと思います。治療は心理療法にかなり重点を置いて。トラウマ外来のある他県の病院まで多い時で2週間に一度。一人では外にも出られない状態だったので常に夫が一緒に行ってくれて。少なくともその状態で1年。その集中治療が随分効果的に働いてくれたのかなと思います。

環境を選ぶ大切さと誰かを信頼し助けてもらう勇気

自分の性格が悪くなってしまうようなそんな職場環境は、自分にとって良くない職場だし。傷を背負ってしまうようなことや我慢してしまうことが多い職場なら変わった方がいいかもしれない。特にもともと心の傷が多いと、傷つきやすいし、過剰防衛しないといけない状況に追い込まれることも出てくるかもしれないから・・・。でも、経済的な理由で(特にこのコロナ禍では職を変わるのも大変だったりするし)職を変われないのであれば、信頼できる人に助けてもらう勇気を持つことはとても大切だと思います。

壊れてしまった自分を元に戻していく

今日こうやってこの記事を書けているのは、夫はもちろんだけど、「あなたのために職場で矢面に立ってもいい」と言ってくれる友達がわたしのために行動してくれたから。この時点で自己愛が顔を出しているような気もするけど、自分の要求や欲求はどこかで自分で満たしてあげる必要もあると思っていて。自分一人で出来ないときは誰かにも手伝ってもらう必要がある。そのためには、【自覚する】⇒【要求・欲求を満たして安定化を図る】⇒【安定してきたらよくない状態を改善する】ていうプロセスが必要なんじゃないかって思ってて。私は今自覚を経て、安定化と改善の段階にいるんだと思います。改善の段階にいると思えるのはこの記事が書けているから。このままじゃいけないって思えないと、こんな風に痛いところをえぐりながら記事を書いたり出来ないと思うから。

自分を大切にする=安定化=他人を大切にする

自分を大切にすることが他人を大切にすることに繋がると、よく色んな本や記事で読んだけど、こういうことも含まれるのかもしれないな~なんて。
結局「自分を大切にすること」っていうのは、安定化を図ることに繋がっているんじゃないかな。自分を安定させて人のことを考えられる余裕をたくさん作ること。人に共感できる自分を作っていくこと。余裕がないと人のことなんてかまってられないから(笑)

特に、自分のことで精一杯だと人のことまで考えが及ばなくなる。それを自己愛だと表現するなら、その状態を取り除けば、本来の優しさだったり人を思う気持ちだったりが戻ってくるんだと思う。トラウマを抱えた人たちは自分のことで精一杯になってしまうことがたくさんあると思う。でも、本当は優しくて思いやりのある人だからこそ傷ついてしまったっていう側面もあると思う。
だからこそ、自分を大切にすることを他の人たちよりも重点的にやらなきゃいけないのかもしれない。

感じやすく傷つきやすい人ほど自分を甘やかそう

本来の性質で傷つきやすく感じやすいHSPさんや、親との関係で心の傷を抱えるACさんや、社会での人間関係で傷を抱えてしまったPTSDさんも、何よりまず自分のケアを一番に考えて。どうか自分のことで精一杯になってしまわないように。私みたいに自分の傷で誰かを傷つけてしまわない様に。どんな理由があろうとも、それまでの事情を知らない他人からみたら加害者になってしまう。そんな風にならないように。自分にたくさん愛を注いで甘やかして労わってあげてください。

あなたの幸せが周りの人たちの幸せだって、そういうことなんじゃないかなって思いを巡らせてみてください。

たくさん傷を背負って頑張って生きてる誰かへ。

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