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いつからか自分の意見が言えなくなった私

多分、これにもメンタルダウンが関係しているのだけれど。
休職後社会復帰してから、私は職場で自分の意見が言えなくなった。
以前ははっきりとこうしたい!!って言うタイプだったのだけれど。いつの間にかそれが出来なくなっている。そんなことに最近気づいた。

大きな要因として、完全にダウンしていよいよ社会復帰も難しいかもしれないとなったときに初めて、人の痛みを理解したのかもしれないということがある。
そんなことを思ったのはあの時が初めてなんだけど、そこから振り返ってみて、私はなんて傲慢だったのかと自分が恥ずかしくなった。どこかで人を見下すようなところがあったように思う。人として未熟だなと思ったのを今でも痛みとともに思い出す。
私にとってメンタルダウンしたことは負の側面ばかりではなく、自分に圧倒的に不足していた人間力のようなものを気付かされたことも事実で。それは酷い痛みを伴ったけれど、私はそれくらいの酷い状況にならなければ、きっと理解できなかったと思っている。そういう意味では必要な経験だったんだと思う。病気の直接的な原因となったことは、自責の必要はないと信じているけれど。

多分私は、他人に興味があまりなく、わがままなんだと思う。
すごく極端な言い方をすれば「自分以外どうでもいい」とか「自分さえ良ければいい」といった感じだろうか。我ながらひどいな・・・。

そんな感じだったから、そりゃあ人とぶつかるぶつかる。打たれる打たれるっていう人生だったんだと思う。最終的に粉砕骨折するように心の軸まで折られて今に至る。それを思えば、いまこうやって社会復帰した自分の力は結構強いなと思う反面、私がこれまでのようにスムーズに生きられないのも納得がいく。仕方ないよね、粉砕骨折ならと思う。

酷い痛みと酷い自分を知った私は、他人を思いやることの大切さを知った。加えて「自分の言葉が誰かを傷つける」というトラウマも抱えていて、余計に人に意見を言うことが難しくなった。「人を傷つけずに自分の意見を言うにはどうしたらいいか」がわからないから。
そこでアサーティブコミュニケーションの本を読んでみたりした。前よりはましになったと思うけど、少しずつ前進している感じ。
また加えて、自分の気持ちがその場ではよくわからないというのもあってなかなか難しいのもあるのかもしれない。

今の私の目標は自分の意見が言えるようになること。
こうしてみたいとか、これがいいとか、やってみて失敗してもそれはそれでいいと受け容れて前に進んでみることだ。

意見を言わないと、当たり前だけど「承認した」と思われて。あとで話が違うとかそういう揉め事のような状況を引き起こしたりすることもあるのだなぁと知った。そうなると、あとになって一人モヤモヤを抱えることになってしまうし、さらに悪いことには「実はあのときこう思ってた」って後になって、陰でいうようなことにもなりかねない。それは嫌だし自分の性に合わない。その場でいうのが難しい時は・・・まぁ、それはそれで仕方ない。その時出来なかった。そんな自分を受け容れることが大事なのかなと思う。

でも。以前と違うのは「人を傷つけることを言わない」というのは肝に銘じておこうという前提に自分が立っていること。
人を責めたり、傷つけたり、不快な言い方にならないようにその時の自分が出来ることはやりたいと思っている。それでも相手に嫌な思いをさせることはあると思うけど、それはもう相手の受け取り方次第だから仕方ない。

4月から新しい年度が始まるけれど。良い転機と思ってとりあえず、自分の目標として「自分の意志を伝える、表明する」を掲げておこうと思う。初めからうまくはいかないけれど、少しずつこれもまた前に進めたらいいな・・・。

愚痴や陰口とはなるべく距離を置きたいのと、自分軸も大事にすることを両立していくためにも。少しずつ自分が思う道を進んでいきたい。

これが今の私の意思表明ってところだろうか。


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