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「HSP気質」と「幸福・充実感」と「仕事選び」に必要な「コントローラブルな生き方」について。

今回は、生きづらさを打開するための「コントローラブルな生き方」についてのお話です。どうしてそれが生きづらさを打開するかの私論を書き綴りたいと思います。

「自分軸・他人軸、コントローラブル」とHSP

最近「自分軸」「他人軸」という言葉をよく耳するようになって、AC・PTSD・HSPである私はこれまでとても他人軸で生きてきたなという自覚があります。もちろん、今は自分軸へ移行している最中ではあるものの、他人軸が染みつきすぎていて、いかんいかんと思うことも多いです。でもまだ、移行している最中だし、完璧は求めない様にしているからそれはそれでいいと思っています。

でもね、仕事も生き方も「自分でコントロール出来ている」と感じられると幸福感や充実感、満足感に繋がるというフレーズをみかけて。

たしかにそうだけど・・・。と私は思ったわけです。

HSP気質だと、気質だから自分がどれだけ自分軸!!と思っていても、外部刺激を無意識的に敏感に感じ取ってしまうため、否が応でもそちらに気を取られて、中々自分自身に集中出来ない、まず自分を整えるということがなかなか難しい状況になってしまうのは仕方のないことなんだと思うんですね。

ということは、軸は自分軸であっても外部刺激からの影響はとても大きいという状況はある意味変えられないわけです。

となると、自分で人生のハンドルを握ってコントローラブルに生きていくためには、自分が過敏に感じ取ってしまう刺激からなるべく離れられる環境を選ぶことはとても大切になる。

もしくは、それらの刺激に晒されていても、気持ちの切り替えがしやすい環境であったり、そういう部分に理解のある人たちが多い環境であったりを選べるとだいぶ変わってくるはずです。

自分軸を立てた後、それを立たせ続けるには。

自分軸はしっかりあるにしても、その軸をまっすぐに保つことが難しいようなイメージですかね。HSPでない人に比べて、自分軸をまっすぐに保つために、より多くの取捨選択が必要になってくるんじゃないかなって。

ただ。自分のためにそういう選択を重ねるのって意外と難しくないですか?
なぜなら、環境ってもちろん自分が形成して自分が影響を及ぼす部分もあるけれど、自分以外の誰かだったり物だったり状況だったりが影響を及ぼすところのほうが比率的にも格段に大きくて…
自分が環境に影響を及ぼす部分は変えられるけれど、自分以外のところは正直、自分ではどうしようもない。そこを変えようとすると、かなりの労力を要するし、それをやろうとすると疲労困憊してしまうんじゃないかと思うんです…
実際、何もわかっていなかった頃の私がそうで、メンタルダウンした一因にもなっていると思っています。自分以外を変えていくのはとても難しい。

じゃあどうしようかと考えた時。
他があまり介在しない環境に身を置くか、自分に合った環境を自分で作り出すかです。

仲間とソロキャンプすればいいと言われて

友達が言ってくれた言葉に、「みんなでソロキャンプすれば良いんですよ」ってフレーズがあったんだけど。確かにそうだなって。

仲間は必要。でも、一定の距離(きっと普通の距離よりは離れた距離感)を保って、基本自分のことは自分でやるテリトリーを設ける。そうすれば、コントローラブルと他との協調を、同じ目的に向かう人たちと共有出来ると思ったし、そういう距離感と関係性がわたしには良さそうだとも思った。

それが幸せを感じていける方法かなって。

それを選ぶということ自体も大変だけど、幸せや充実感は今よりもたくさん感じられるんじゃないかと思えました。

今の私を具体例に。

今の私で言うと、「今の仕事をやめて、収入減は覚悟しつつも、複業体制で頑張ってみる」という選択になります。
今の職場は完全なるトップダウン型組織ですし、上からの命令は絶対です。意見を言っても「いいからいいから、はいはい」で終わりです。
ちょっと無理なんです。方向は同じ方向に向かうにしても、せめてやり方だけでも自分の納得する方法でやりたいと思うのですが、なかなかそれを認めてくれる上司は少ない。
私にとっては、自分でコントロールできる部分がほとんどない組織だと感じてしまっているし、正直もうしんどくて。周りに合わせるのがしんどい。合わせれば合わせるだけ、自分は疲弊してしまう。それに人員の入れ替わりも多いので、たとえ自分が変わらずとも常に周りは変化する状況が常。

もっと早くに自分がHSPだって気付いていたら、早くにやめていたと思うこの職場。なんていうか、HSPの苦手を詰め込んだような職場だから。
そりゃ、病んじゃうししんどいよね・・・って思うもん。

私も面倒くさい奴だと思う私の性質

すこし問題だなというか、面倒だなって自分で思うのは。
人との距離感はなるべく縮めたくないけど、だからといって交流がないのは寂しさを感じてしまう性質もあって。ある種のわがままなのかもしれないけれど、ある程度理解してくれる人とは繋がっていたいという本音があります。やっぱり仲間は欲しい。同じ方向を向いて頑張る仲間。

でもね、そういう自分の本音からくるわがままって、ちゃんとかなえてあげた方が他人のためにもなるかもしれないと思ったりもするんですよ。
だって、すべてではないにしても。どうしても譲れない部分がかなえられた職場で働けば、ある程度他のことには寛容でいられる気がするし、他人にも優しくできる余裕が生まれる。そうすれば、他の人にとってもいい人でいられるし、自分もそういられることで満足できるじゃないですか。

やっぱ、「あいつちょっとね~」って言われるよりも、「結構好きだよ、あの人」って言ってもらえるほうが嬉しいに決まってるし。
自他ともに一定以上の満足が得られる状況は、やっぱりHSPさんはものすごく吟味を重ねないと厳しいものがあると思うのです。

HSPに乗っかって敏感さんや気にしいさんも!

もうHSPさんじゃなくても、人より気にしてしまうことが多い人や、自分で敏感だなとかもっと気にせずにいられたらなって思う人も、こだわりが多いなって思ってる人も、なるべく早くその性質を受け容れてよりよい人生を自他ともに生きていけたら良いのにって思うし、私自身も、だいぶ遅くなったけど、そうしたいと思う。

自分のために、ひいては他の人のためにも、どうしても譲れない部分は譲らないで生きていく勇気も必要!!このある種カオスな時代を生きている私たちは、きっとそういう生き方に変わっていく、時代の先駆者のようなものなのかもしれないとさえ思う。

自分で用意できる自身を支えるものに対する需要

だからこそ、自分を支えてくれる・自分で用意できる何かに対する需要が高まってきてるんじゃないかと私は思うのです。
それが、スピリチュアルな世界だったり、新たな考え方だったり、これまでを破壊するような何かだったりするわけです。
私はそういう新しい自分を支えてくれる・自分で用意できるものは積極的に取り入れていきたいし、正直、いいとこどりしたい。
だって、人生が楽しく幸せだと感じられながら過ごせればそれでいいと思うから。

だからこそ幸せの秘訣だと思う「自分で選ぶこと」や「自分で自分をコントロールできるもの」を大切にしたいと思うのです。
スピリチュアルな何かを選んで幸せを感じるならそれも良し。
科学的なエビデンスを求めて安心を感じるならそれもいい。
新しい考え方に納得して、それをやってみるのもまた良し。
自分自身の中で消化できるもの(=他人に迷惑がかからないもの)なら、別にそれで幸せならそれでいいじゃないって思うんですよね・・・。
自分が笑顔でいられるための秘訣、あったら生きやすそうって思うから。

やりたいことや好きなことがわからない人は

ただ。みんながみんな、これをやってみたいとか、こんな風に働きたいとかがはっきりしているわけではないじゃないですか。
そんな時は、やりたくないことをやらない。これに尽きる。

何もかも一旦すべてリセットしてしまうとか、そういうことではないのだけれど。
これは断捨離にもつながっていて、やりたくないことを排除すること(=いらないものを捨てること)で、自分の本質や本音と繋がっていって自分の中の優先順位や本当に必要なもの、譲れないものをあぶりだす、いわば、不要なものを不要なものとしてそぎ落とす意味での「やりたくないことをやらない」です。
好きなことややりたいことがわからなかったにしても、「このやり方なら続けられる」とか「こういうことならやってもいい」ことに出会える可能性は高いと思います。

今日は熱がこもって長くなってしまいました・・・。
今すごく自分で自問自答していることなので、自分に向けてのメッセージ性のほうが高いかもしれません。
頑張って踏み出しなよ、わたし!!ってw
この自分へのエールが誰かへのエールにもなるとうれしいな~とも思っていますが😅

今日のこの記事を読んでくれた方には、本当に感謝です。
多分それだけですごく嬉しい。ありがとうございます。
わたしがんばれるかな~・・・頑張りたいな~・・・


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