ことばの「生・変・死」⑪
ことばにも『ミッシング・リング』があった!?
ビジネスでもよく使われる
「大変お世話になっております。」の「世話」。
漢字の通り、始めは『世間の人の話』を意味したそうです。
それが『日常的なもの』へ転じ、現在の『やっかい・面倒』へ
至ったのは江戸時代中期。
末期には「世話が焼ける」なんて言葉も生まれています。
ここで不思議が一つ、なぜ『日常』から『やっかい』に至ったのか。
このミッシング・リングに、私は想像をふくらませました。
今よりもご近所付き合いが多かった江戸時代、
とてもおしゃべりなおばちゃんがいたとしか考えられません。
近所で会う度、世話をはじめるものだから
「また○○ちゃんの世話が始まったわ。」
となるわけです。
始めは楽しく聞いていても、あまりにも常日頃なので当然わずらわしくなり、
「世話=やっかい」に変わってしまったのではないか。
またいつの時代でも話を誇張する人がいたのでしょう。
「大きなお世話ね。(話が大きくなってるわよ)」ということばを
を聞き手が生み出し、話題の当事者が
「大きなお世話よ!(あなたの話は余計な世話よ)」と憤慨したのでしょう。
後期に誕生した「世話が焼ける」も単純には理解しがたいことばです。
近いことばで「手を焼く」ということばがあり、これは本当に手を焼いた
人が『2度と(火に)触りたくない』という経験から生まれたことばだそうです。
同じ時代に存在したことばかどうかは調べていませんが、それを掛け合わせて
「世話を焼く(2度とその話は聞きたくない)」になり、
「世話が焼ける(やっかいな事ばかり持ってくる)」へと転じたのではないでしょうか。
考えれば考える程思う事は、日本語って変化球の宝庫だなぁと…。
もっと以前から「詩」文化があったからだと思いますが、遠回し遠回しで
相手に伝えるのが上手ですね。(腹黒いと言えばそれまでですが…。)
ことばで遊びすぎて今回の様にミッシング・リングができてしまうことも
あるのでしょうけど、私はこういった趣向は情緒があって良いなと
思います。
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