見出し画像

実家の桜と父と引っ越しと

先日めでたく、44歳の誕生日を迎えました。

おかげさまで大きな病気もなく、よい家庭にもめぐまれ、大きな不自由もありません。でも、年を重ねるたびに、人生の終わりを考えてしまいます。

「えっ? まだ、早いんじゃないの?」と言われることもありますが、これには理由があります。

私の誕生日から3週間後、おなじ春先に父を亡くしているからです。桜が満開な日でした。それ以来、誕生日を迎えると、あと少しで60歳を待たずに亡くなった父と自分を重ねて、ついついあと残り数年…と思うようになりました。

来年は45歳になり、四捨五入すれば50歳に突入です。忘れっぽい私のことですから、人生に合ったいろんなことを覚えているうちに書き残そうかと思っています。

#私の昔話 の第一回は「 実家の桜と父と #引っ越し 」の思い出を書きます。

私が実家を出たのは、23歳の時です。

新しく決まった職場が、実家から遠かったので近くに引っ越しました。

大学をでてすぐ就職したゲーム会社が、不本意にも潰れてしまって、社会人一年生で無職になりました。ぐしゃぐしゃになった心から、焦って結婚しようしたけれど、まだ学生だった彼氏と結婚できるはずもなく別れてしまいました。

それから半年ぐらい紆余曲折あって、ようやく決まった新しい職場でした。

潤沢にお金があるわけではなかったので、職場から近いことだけが取り柄のぼろアパートに引っ越しました。ユニットバスにキッチンがあるだけのワンルームでした。

全部自分で決めて、引っ越しも自分でするつもりでしたが、荷物が少ないこともあったのでしょう。父・母が引っ越しを手伝ってくれました。

実家から新居へと父の運転する車の横に乗りながら、ぽつぽつと会話をしました。もう、何を話したかは覚えていませんが、新生活気をつけろよ、みたいな話だったと思います。

これが、父とわたしの一回目の #引っ越し の思い出です。

二回目の引っ越しは、意外にはやく訪れました。

大学を卒業した彼氏が、もう一度つき合って結婚しようと言ってくれたのがその翌年だったのです。もうすぐで25歳が終わる時に、結婚しました。

独りの生活から、二人の生活になるための引っ越しでした。

この時もまた、父は車を運転してくれました。荷物も増えていたので、さすがに一往復では終わらずに、何往復もしてくれました。そして、その横には私が乗っていました。

不思議と、この時はあまり話をしませんでした。

娘が家を出てそのまま嫁いでしまうのが、父親的に寂しかったのかもしれませんし、はたまた、私が満足しているのだからと何も思ってなかったのかもしれません。

でも、一回目の引っ越しの時よりは、笑顔の多い時間でした。結婚して落ち着くことで、安心してもらえたのかなと思います。

これが、私と父との二回目の #引っ越し の思い出です。

はやくに家をでてしまい、仕事にかまけてほとんど帰らなかった私。そして、思うよりも早く、本当に早すぎるぐらいの年齢で亡くなった父。

あまり思い出が多くはありませんが、引っ越しの時に一緒に車に乗った記憶が、どうしても忘れられません。春先の桜をみるたびに思い出されます。

父と同じ年で自分が死ぬとすれば、あと16年。

私は何がしたいのか。何ができるのか。何を望まれているのか。悔いのない人生をおくりたいと思います。

まだまだ、ぜんぜん力が足りなくて、なにもなしえてはいませんが。

向こうで父にあった時に、いろんな報告ができるといいな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?