電車内の親切とその後

いつものように、出社のために電車に乗っていた。座席の端に腰掛けて、スマホをいじっていた。
友人からのLINEに返信しようとしていたとき、正面に立っていたおばさんから急に小さく声をかけられた。こういうときは大抵、「スカート捲れてますよ」とか情けない指摘をされるのでちょっと身構える。

「すいません、席を譲ってもらえませんか?貧血っぽくて……」

おや、予想外。こんな声かけ初めてされたな。
これがお互いにとって運の良いことに、わたしの降りる駅に停車する直前のことだった。「ああ、わかりました、もう次で降りるんで」と、あんまり愛想はなかったかもしれないが躊躇なくさっさと席を譲った。おばさんは「すいません……」と申し訳なさそうに席に座った。電車は程なくしてわたしが下車する駅に着いた。

これで、おばさんは少し座って休憩することができて、わたしはたった2分くらい突っ立ってるだけで良い事をした人になれたわけである。誰も損していない。

誰も損をしていないのに、なんかスッキリしない。
自分でも意味が分からない。なんでこんなに胸がザワザワするのだろう。「良い事をした気持ち良さ」みたいなのが一切ない。「なんだったんだ、あの出来事」みたいな不定形の気持ちが、ある。

もちろん、このおばさんを座席強奪貧血詐欺だとは別に思っていない。顔色も悪かったし、見ず知らずの人間にそんな声かけをするのは多少なりとも勇気のいったことだろうと思う。それを無視しないくらいの人の心くらい、わたしだって持っている。というか、あと数分だけ立って電車に乗るより、おばさんの頼みを断る方が絶対に余計なエネルギーを消費する。だからこれは自分にとっても良い選択だったはずだ。

「なぜわたしに声をかけた?わたしが強そうな厳つい男性でも同じ声かけができたか?わたしが弱そうに見えたか?」と思っているのかもしれない。でもわたしに声をかけた理由は、どう考えてもただの位置関係である。たまたまおばさんの正面に座っていたのがわたしだった、ただそれだけのことだろう。

まぁ、自分が基本的に席を譲りたくない人間であることは自覚している。始発駅から乗る人には席を譲らないと決めているし(次のを待つか各駅停車に乗れば座れるはずだから)。わたしだって席に座るために電車の時間を調整しているわけだし。これがもしわたしが電車に乗った直後の出来事だったら、モヤモヤしていたことだろう。でも今回は、降りる直前のことだった。別にいいじゃないか。2分突っ立ってるだけで良い人になったんだから。

結局、良くも悪くも、全部どうでもよかったのかもな。
あと数分だけ立つことになるぐらいどうでもいいし、見ず知らずのおばさんの体調さえどうでもよかったのかもしれない。どうでもいいなりに、2択の中から全体の幸福度が高くなる方を選べたんじゃないだろうか、と思うことにする。


その夜、大雨の中をゆとりちゃんに向かって歩いていたら横を通ったデカい車にバッシャー!と水をかけられた。良い事した結果がこれかい。

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