手紙は「時間」を運ぶ。
昔から、よく手紙を書いてきた。
授業中に友達と手紙を回しあったり、試合のときだけ会う他校の子達と交換したり、誕生日や行事のたびに『お気に入り』の便箋を引っ張り出してきたり。
その習慣は10年以上たった今も健在で、私は人よりよく手紙を書く方だと思うし、旅行やちょっと出かけた際にかわいい便箋を集めるのが趣味のひとつでもある。
あと、意外とまめなのでこういうのを書くのも好き。
これを書きながら『手紙を書くか書かないか』の話をしていたら、みんな意外と手紙を書かないのだな、と思ってびっくりした。
手紙の話をするとよく『LINEでいいじゃん』と言われるのだけど、LINEと手紙の大きな違いは、時間軸にあるような気がしている。
それは単に届くまでの経路にどれだけ時間がかかるかではなくて、そもそも手紙というのは一旦そこで時間が止まるようにできていると思う。
LINEは返信が同じプラットフォーム上に存在しているけれど、手紙はやりとりが毎回完結していて、時間がその瞬間瞬間で保存されているのだ。
だから、手紙において返事ありきの質問は意味をなさず、自分の中にある言葉を書かなければならない。
ラリーのようなコミュニケーションではないからこそ、文章を組み立てる時間をもつ必要があって、その時間の豊かさが好きで私はよく手紙を書いているのかもしれない、と思う。
プレゼントを選ぶという行為に関しても、私は『悩んだ時間』と『選んだ理由』に意味があると思っているので、プレゼントを渡すときには必ずそのプレゼントを選んだ理由を併記する。そして別れた後にLINEでその感想がくる瞬間が好き。
手紙は基本的に「愛情の押し付け」だと思ってるので返事は期待しないし、実際もらう機会はほとんどないけど、逆にLINEですぐに反応がもらえるのはいい時代だなと思う。
あと、アンサーソングとして『そこから考えたこと』や『自分から見た景色』を知るのはいいものだなあ、とサクちゃんのnoteを読んで思った。
毎日他愛もないことでやりとりしていても、たまにこうして時間を置いて折り重なる言葉があることは、とても豊かなことだと思う。
そして会っている時間ややりとりしている時間以外に、相手のことを考える時間を持つことは、世界を優しくする第一歩なんじゃないだろうか、とも。
『今どこにいる?』『さっきこんなことがあったよ!』をすぐに共有できる時代だからこそ、『不在とポジティブに向き合う時間』の価値が上がっていく。
そうやって考えていくと、もしかすると私が日々noteで書いていることも誰かへの手紙なのかもしれない、とふと気付いた。
でもそれは明確に『誰か』を意識して書いたものではない。
私の紡いだ言葉たちが、半年後、1年後、もしくはそれ以上先の未来で、インターネットの海を揺蕩った末に『誰か』が受け取ってくれる。
まるでボトルシップを海に放るような気持ちで、私は日々文章を書いている。
そして、同じように流れ流れて私の手元にやってきた言葉たちも、誰かが心を込めて書き上げた『手紙』なのだ。
なにかを書くという行為はその瞬間を閉じ込める力があって、自分や誰かに真摯に向き合った末に出てきた言葉は、いつか受け取った誰かの人生をちょっとだけ救ったり支えたりすることもあるかもしれない。
もちろん世の中はそんな綺麗なことばかりではないけれど、だからこそ、大切な人に書く手紙のように愛を込めた文章が、世の中に溢れますようにと願わずにはいられない。
来年も、noteがますます優しさに溢れた場所になっていきますように。
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