話さなくても、好きな人。
100人いたら、100人が私のことを「よくしゃべる子」と形容する。
もちろん自覚もあって、日々気づいたあれこれが溜まりに溜まって「先生、あのね」が止まらなくなることがよくある。
これでも、noteとTwitterのおかげでだいぶマシになったのだけど、ね。
もちろんいつだってしゃべりたくてしゃべっているけれど、私はそもそも沈黙が怖くてしゃべってしまうタイプだ。
隙間はすべて、きっちり埋めなければならない。
この癖は、暇さえあれば活字を読まずにはおれないところからきている気もする。
ぼーっとするのも苦手だし、誰かの時間を有益じゃないことに使うのが怖い。
まぁ、しゃべってれば有益というわけでもないのだけど、沈黙が続くと私の存在価値がないような気がしてくるのだ。これは、大袈裟でもなんでもなく。
そのくらい沈黙を忌避する性格なので、2人で会える人は極端に少ない。
冗談のような本当の話だけど、はじめて人と2人で会うときは必ず質問リストを作っていく。
さすがにメモを持って行ったりはしないけど。
人がいっぱいいるところは、私の質問リストの消費が早すぎて頭が追いつかなくなるからあまり得意じゃない。
10人くらい人がいて話さなくてもすむときは、隅っこでにこにこ話を聞くだけのときだってある。(この目撃情報は少ないけど!)
「沈黙が心地よい関係」って本当にあるの?都市伝説なんじゃないの???といつも思っている。
話が途切れるのが怖くていつものべつまくなしにしゃべりまくる私にとって、オンラインの心地よさは「会話が途切れる」という感覚がないからなのかもしれない、と思う。
好きなときに好きなことにだけ反応すればいいSNS空間が、私は好きだ。
好きということと話が弾むことは別だからこそ、遠くから眺めて「いいね」を押すくらいがちょうどいい関係というのもある。
憧れの人とか尊敬する人に会いたいという気持ちが薄いのも、会ったところで瞬時に質問リストが浮かばない気がするからだ。
ただでさえ世間話が苦手なのに、わざわざ好きな人に会ってまで上っ面の話をして自己嫌悪に陥りたくはない。
私にとって沈黙が心地いい関係とは、会わずともお互いの発信を見て「いいね」と思いあい、送り合うことだ。
noteやTwitterでみんなの発信を見ながら、そんなことを考えていた。
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