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書きつづけるには、歩きつづけるしかないのだ

気づけば仕事でもプライベートでも、延々と文章を書いている。人より労せず書ける性質ではあるものの、書けないときはさっぱり書けない。

「書けない」にはいくつか段階がある。まず、書きたいことやテーマが浮かばないとき。そして書きたいものはあっても、構成が浮かばないとき。さらに、ある程度道筋は見えているのに文章として肉付けがしきれないとき。

要するに、それぞれ「思いつかない」「まとまらない」「気持ちが乗らない」状態だと言える。

自分のモードによって何を書こうとしても同じところで躓いてしまうこともあれば、テーマを変えればすべて突破してするっと書けてしまうこともある。

そんなこんなで、自分をなだめすかしたりあれこれ工夫したりしながら、日々「書く」を続けている。

書いたり調べたりしていることが多いのでデスクワーク中心に思われがちだが、私は書いていない時間はよく歩いている。もはや歩くことも仕事の一部だとすら思う。煮詰まったら歩く。そうすることでしか解きほぐせないものがある。

なるべく、よく知らない道を歩く。細い脇道にもずんずん分け入っていく。そうやって家の近くでプチ迷子状態をつくると、何かの危機スイッチが入るのか「今なら書ける」という瞬間がくるので、そそくさと帰宅して書く。

「文章を書く」という行為はただひたすらに頭を使うものだと思われがちだけれども、実はもっと全身を使う、身体的な行為だと私は思う。論理的に組み立てるだけなら、ほぼ近似の「正解」が誰にでも、それこそAIにすら出せるわけで、そうではない感覚的エッセンスに人間が文章を書く意味があるとするならば、それは頭ではなく身体全体で書く、ということだろう。

よくよく考えてみると、「散歩」は歩みを散らす、と書く。なんとよくできた言葉だろうか、と思う。

私は今日も、まさに言葉そのままの、「散歩」をしている。

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