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"家族"になるためには、想像以上に長い、長い時間が必要だ

ここ数年で家族の定義が広がりつつあるように思う。
結婚して夫婦になって、子供が生まれて…というだけが家族じゃなくて、もっと精神的なつながりに寄ってきている気がする。

昔から「遠くの親戚より近くの他人」という言葉もあるように、血のつながりよりもいざというとき頼りになるのは近さと信頼だったりする。

最近考えている私なりの家族の定義は
「この人は裏切らないと信頼するに値する人・集団であること」。

より具体的に言えば、もし私が有名人になったりして世間からバッシングを受けたとしても週刊誌にペラペラとあることないことしゃべったり、どうでもいい写真を売ったりしないということ。

でもそれはやっぱり相手があることだから、どんなに信頼していてもいろんな状況やちょっとしたことで裏切られてしまうかもしれない。
だからこそ信頼できる人、ではなくて信頼するに値する人にしている。
その人を信頼しようと思った自分の責任は自分でとりたい。

そしてそんな関係性の人を血のつながりに関係なくたくさんつくっていける人生にしていきたいなと思う。

今の私にはすでにそういう関係の人たちが3組いる。
私の決断をいつも心から祝福して応援してくれる人たち。
この人たちの期待に応えていきたいし、損得ではなく純粋に仲間として一緒にいたいなと思う。

でもそのどれも、今の境地にいくまでにはやっぱり5年くらいかかった。

集まり自体が自然消滅していた時期やそれぞれが仲違いしていた時期やなんとなく足が遠のいていた時期。
思い返せば楽しかったことだけじゃなくてそんな負の時期もあったなと。

その度にふとしたことで仲直りしたりまた集まるようになったりして、気づいたら側にいることが当たり前になっている関係って、こんなに贅沢なことはないと思う。

嬉しいことがあったら一番にお祝いする。
悲しいことがあったら一番に駆けつける。
楽しいことはいつも一緒にやる。
苦しいことは励まし合う。

当たり前のことに思えるけれど、これが特別な存在ってことなんじゃないかな。

キャリアを考えていく上で、人脈とか周りの環境が大事だということは私も身にしみて感じている。
でも損得だけで簡単にコミュニティを切り捨てて根無し草のように転々とするのは短期的に見てプラスでも長期的に見てマイナスな気もする。

もちろんあまりにネガティブな発言や愚痴ばっかりだったり一緒にいて疲れる人・集まりからは離れたほうがいいけれど、人もコミュニティもどんどん変わっていくものだからひょんなことからまた急に近づくこともあると思う。

慣れない人や集まりにいると居心地悪く感じることもあるけど、急に距離を縮めようとか逆に切ってしまおうとかすぐに決断するのではなく、地道に1日1日を積み重ねることが結果として一番の近道なのかもしれない。

この4、5年で信頼できる場所がいくつかできたからこそ学んだのは、家族になるには何年も何年も長い年月を重ねるしかないんだな、ということ。

逆に言えば血のつながりなんてなくたって、異性同士だって同性同士だって、どんなに年が離れていたって、いろんなことを乗り越えてそれでも一緒にいつづければそれはもう家族なんだと思う。

お互いがお互いであるということを大事にし合える仲間たち。
人生が終わるまでに、そんな関係をあといくつつくれるだろう。

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