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7,8月に読んだ本まとめ

だいぶ時間が経ってしまいましたが、7月と8月に読んだ本をまとめました。全部で7冊のうち3冊が小説(歴史小説と純文学)、その他は随筆とノンフィクション(に入るのかな)という感じです。
あまり本屋さんで見かけない本ばかりですが読書の参考になれば…!

三島由紀夫おぼえがき

古書店で初版本を買ったので、普通に販売されているバージョンとは若干違うかも?澁澤龍彦の書いたものをはじめて読んだのですが、三島由紀夫が信頼を寄せていただけあって三島作品と彼の人間性への洞察に納得感があります。これまでの三島評の中で一番好きだったかも。並行して三島が書いた「文化防衛論」を読んでいたので三島が人生を通して表現したかったことに対する認識がよりクリアに見えてきた感じ。

特にこの一節は当時の小説家と三島の世界観の違いを端的に表現しているなあと。

厭世家の緩慢な自殺と違って、純粋に死のための死を求めた三島氏の自殺は、最後の瞬間まで、エネルギーが嗅覚ぢの上昇のカーヴを描いていたような印象を与える。死がそのまま生の高揚であるという逆説、生の緊張の放出がそのまま死につながるという逆説を『太陽と鉄』によって理論的に証明してから。さて現実に彼は死んだからである。

上記を読んで「太陽と鉄」を購入したものの積読と化しているのでそろそろ読まねば。

読了済み作品の批評という意味では、「天人五衰」の書評に特に感銘を受けました。豊饒の海四部作を評する際によく使われる輪廻転生や諸行無常といった仏教由来の概念からもう一歩進んで、三島がどのような葛藤からあのような筋書きにしたのかが考察されており、再読したくなるなど。読みたいものばかり溜まっていく。忙しい。

また三島の文章として紹介された一節も、澁澤の視点を補強する一助となっています。

「あの破壊のあとの頽廃、死ととなり合せになったグロテスクな生、あれはまさに夏であつた。かがやかしい腐敗と新生の季節、夏であつた。昭和二十年から二十二、三年にかけて、私にはいつも真夏が続いてゐたやうな気がする。あれは兇暴きはまる抒情の一時期だったのである」

これを受けて、澁澤は「天人五衰」のラストの夏を「終末の夏」と表現していました。多感な時期に終戦という大きな価値観の転換を目撃した世代の作家がどうしても離れられないモチーフである「永遠の夏」。三島にとって最後の作品を締め括る舞台は、どうしても夏でならなければならなかったのだなと。

また、小説だけではなく三島が書いた戯曲にも触れているのが澁澤龍彦ならでは。後半で「サド公爵夫人」にまつわるエピソードがふんだんに綴られていて、戯曲も見てみたくなりました。江戸川乱歩の「黒蜥蜴」しかり、昔の舞台の名作が再上演される機会はなかなかないけれど、死ぬまでに一度は見てみたい。

開けられたパンドラの箱

7月26日がこの事件の発生日だったため、前後して関連コンテンツを目にする機会が増え、改めて事件や犯人の考え方を知りたいと思って手に取った一冊。

今回の事件に限らず、不祥事を起こしたりバッシングされている人に対する極論は、まさに犯人の「生きている価値のないものは殺す」という考え方につながっているのだと気づき、これは特殊な話ではなく意外と身近に溢れている考え方なのではないかと思いました。もちろん、自分の中にある無意識の偏見や醜い感情も含めて。

危ない人、よくわからない怖い人をどこかに隔離しておいてほしいというのは、重度障害者の人は接し方もわからないし、ケアも大変なので施設に入れておいてほしい、という考え方と全く一緒なんです。

あと彼の思想から派生して「重度障害者は安楽死させるべきなのか?」というテーマに対して、命の尊厳とは別の視点から安楽死の難しさを説明する下記の文章が印象的でした。

安楽死の最終実行者は医者ですから、医者の耐え難い苦しみが、安楽死がなかなか進まない原因なのかなという気がします。

老後について話すとき、「家族すら認識できない状態になったら安楽死させてほしい」という意見も聞きますが、その処置をする側の負担についてはたしかにあまり議論されていないのではないか、と。現時点でも生命維持装置を外したり、長年行方不明になっている家族の死亡届を出すといった「命を諦める行為」には辛い決断が伴います。諦めるという消極的な姿勢ですら辛いのに、積極的に命を終わらせる行為の負担、さらに職業としてそれを何度も繰り返さなければならない立場を想像してみたことはありませんでした。

命の尊厳を説明するのは難しいけれど、人の命を終わらせる際に抱く葛藤や罪悪感こそが、命の尊厳なのだろうと思います。

また精神科医の斉藤環先生の言葉も印象的でした。

彼はクレイジーではあるけれどもマッドではない。つまり極論ではありますが、頭がおかしくなって、判断力が喪失して妄想的になった結果出てきた判断ではない。

事件にまつわる他の記事でも、彼の思考自体はクリアで理論としては成立してしまっているところが他の事件との違いであり、恐ろしさでもあると言及されていました。病気ではなく自説への妄信の結果として誰かに危害を加えてしまうことがある。SNSによって同質性の高い集団内で思想が先鋭化していく可能性が高まっている今、彼と自分とを完全に切り離して考える方が危険なのではないか。誹謗中傷や迷惑な人たちに対しても、別の人種として見下すような態度の延長が彼のような凶行を生み出してしまうのではないか。

こうして出来事を丁寧に紐解いていくと、「悪」と「普通」の境界線は意外と曖昧であることに気づきます。普通に見える人たちの中にも悪の萌芽があり、それが発露される環境やきっかけ、過去の積み重ねがあったかどうかの違いでしかなかったりする。表面的な悪を排除すれば終わりではなく、悪に面したときこそ自分自身や周りの「普通」の人の中にもある危うさに目を向けるべきなのではないかと思います。

裁判官も人である

以前本屋さんで見つけてから途中まで読んでそのままになっていたのを、前述のやまゆり園事件の本を読んで思い出し、積読の山からひっぱりだしてきて最後まで通読。

裁判官がどのような視点から、どんな葛藤を抱いて正義と悪をいているのかを知りたくて手に取ったのだけれど、どちらかというと裁判官を取り巻く政治的な問題や司法制度の矛盾を中心に書かれていたので、途中でギブアップしたことを思い出す。「裁判官も人である」というタイトルは、感情や良心に左右されるというよりは、自己保身に走ってしまう部分を表しているのだなと理解。

とはいえ、思いがけず裁判官の昇進の仕組みや海外との司法制度の違いを学ぶことになり、これはこれで興味深かった。検事や弁護士から裁判官にはなれない仕組みもはじめて知った。たしかにこの3つの立場は能力次第で行き来できるようにした方がいいように思う。

もともとの期待値に一番近かったのは、死刑判決を下す際の裁判官たちの覚悟の話。凶悪事件が起きると世論では簡単に死刑にしろと断罪するけれど、国家権力がひと一人の命を奪うことの妥当性を精査する役割は責任重大。決して冤罪であってはならないし、そのときの「空気」で不当に思い刑罰を与えるのでは司法の意味がない。

そして何より、死刑判決がくだったあと「死刑を執行する」人たちがいる。執行に立ち会ったことのある元検事の描写にはリアリティがあり、こういう「結果」から目を背けることなく是非の議論をしなければと強く思いました。

この本はこの本でよかったので、それとは別に「人を裁くことの難しさ」について考える補助となりそうな本があったら読みたいなーと思う所存。

雄気堂々

本屋さんに行ったときに大河ドラマ「青天を衝け」の特集棚を見かけて手に取ってみた作品。城山三郎作品は「落日燃ゆ」をはじめ、文体が好きなのでサクサク読めました。前にTwitterでも書いたけど、司馬遼太郎より城山三郎の方が好きかもしれない(司馬作品はたまに脱線が深いところに行き過ぎて何の話だったか忘れる)。

大河ドラマも並行して見ているので「この場面はこういう描き方にしたのか〜」と違いもわかって面白い。「雄気堂々」の方もフィクションは入れてあると思うけれど、大河だと説明が飛ばされている部分も丁寧に書かれているので、幕末の動きがよくわかっていない人は補助的にこの作品を読むと大河がより楽しめるかも。

あと城山先生の文体はすっきりしていて小気味いいので、歴史小説が苦手な人でも手に取りやすいと思います。古い言い回しも少ないし、当時の用語も現代風に噛み砕いて説明されているので。

志を立てるのも、激発するのも、やさしい。しかし、堪忍するのはむつかしいし、貴重でもある。
「あの男は、物事を思いつめもするが、長七郎のように、それだけではない。思いつめていながらも、どこかでぽっと息のぬける男だ。事を成すには、ああいう男の方がいいのだ」

勝海舟に期待して見始めたのに全然でてこないまま慶喜が大政奉還してしまったので「!?!?!??!??!!」となってますが、純粋に作品としても面白いので今年は大河完走できそう!小説も下巻をちまちま読み進めてゆきます!

致富の鍵

渋沢栄一が帝国ホテル建設に関わっていた話を調べていたら、大倉喜八郎も関わっていたことを知り、彼の本を読みたいなと思って買ってみた本。タイトルのインパクトがすごい。

ちなみに大倉喜八郎はホテルオークラや大成建設の創業者であり、渋沢栄一と同様にさまざまな事業を作ってきた人物。ご維新の嵐を駆け抜けてきたお爺様たちは胆力が違うというか、武士道に商人道を融合させたみたいな感じなので言葉に勢いがある…!

働けるだけ働け、しかして公益を図れ
今日に対して遊ぶべからず。今日はすなわち働くための今日なり

幕末の頃には武器商人として財を成していたり、国営事業だった帝国ホテルを任されたあと最終的に自社グループに組み入れたりと賛否ある実業家ではありますが、意外と慎重派なところもあって、色褪せない哲学のある人だなと思いました。

特に「教育こそが慈善事業」という考え方が強く、口よりも手を動かす人を育成すべきという方針で商業高校を作ったりと、思想と行動が一致しているのもすごい。

無教育な成り上がりものは、どうも自己の本分以外の事をやりたがって困るのである。そこになると教育のある者は、推理力と反省力が進んでいるだけ、もし自己の職責意外の事をやって失敗しては、社会に対しても申し訳がないという破廉恥心と、一生浮かぶことが出来なくなるという自重心があるから、無教育のもののように悪いことはしないと思うのである

あと彼自身は大富豪になったものの、正当な競争をすべきと説いているところも面白い。渋沢栄一もそうですが、自分たちが裸一貫から大企業を築き上げ既得権益に反発してきたからこそ、たとえ子孫であれ「苦労せずに富を得る」ことに抵抗があるのかもしれないなあと。

故に私は『富の永久的独占は不当である』と信じているが、世の富者はよくこの辺を考えなければならないのである。

本当は引用したいフレーズがまだまだたくさんあるのですが、最後に大倉喜八郎の「成功のための心掛け五箇条」をどうぞ。

畢竟第一、真の成功は遅々として進歩するものであるから、早く成功しないからとて失望するには及ばずということ。第二、進歩発展は波の如き具合に一高一低で進んでゆくから、一時沈むことがあっても騒ぐに及ばざることを固く信じ、第三、自ら信じて是なりとするところに向って邁進すること。第四、陰険な手段を弄せざること。第五、何事も必ず良心と相談すること。

縷紅新草(るこうしんそう)

泉鏡花の世界観は美しくて好きなものの、言い回しが古めかしいので理解に時間がかかるところが玉に瑕だったのですが、現代語訳してある作品もあることを発見!
訳された文章も美しさが損なわれておらず、鏡花ワールドにどっぷり浸かりました。やはり花と着物の描写が抜群にうまい。

生活の苦労に満ちた毎日が、少しずつだが積み重なって、もうその日から遠くなった。年月があまりに隔たると、いい天気の下に咲いた目の前の菊の花も、遠くの満開の桜になって、夢はぼんやり霞んで消えてゆく。

この一節はまさに幽玄な怪談を思わせる、泉鏡花らしさあふれる箇所。

そして、秋草の咲く野をさっと靡かせて、一筋の藤色の風が吹き通った気がしたかと思うと、早くも、羽織がその墓を包んでいた。

鏡花作品は歌舞伎の演目にしても映えそうだなあと思いながら読みました。坂東玉三郎さま主演でぜひ…!

哈爾濱詩集 大陸の琴

哈爾濱はずっと行ってみたいところのひとつだったのですが、ネットでも旅行記などの情報が少ないので少しでも旅情を感じたくて探したらヒットしたのが室生犀星の「哈爾濱詩集/大陸の琴」。

前半が詩集で後半が哈爾濱を舞台にした小説となっているのですが、後者の作品を書くために取材旅行として訪れた際の感動を詩にうたったとのこと。ちなみに室生犀星は旅行嫌いで、このときの哈爾濱旅行が最初で最後の海外旅行だったというから驚き。逆に、普段旅行をしないからこそ新鮮な目で旅行中の出来事ひとつひとつを言葉にできたのかも。

どの詩もすっと情景を浮かべられるくらい場面の切り取りがうまいのですが、個人的には「はるはふたたび」が一番好きでした。

奉天の街なかにて
再び春に行き逢ひたり。
日本を去りたる春の気配の
この埃むら立つ街中に
ようやく春の到きつけるを見たり。

「日本をでたときにはすでに去ってしまっていた春が、遠く奉天の街に行き着き再び出会ったことを感じた」という彼の詩は、旅をしなければ生まれなかっただろうなと。現代でも海外に行くと季節の違いを感じることはありますが、この当時は船旅だったからこそ空気が変化するグラデーションをより強く感じたのかもしれません。彼の自然に対する感受性を感じさせる一編です。

後半は哈爾濱へと向かう船で偶然出会った日本人たちの物語。それぞれの事情が交差し、哈爾濱の埃っぽい空気にのまれていく様が描かれています。街の匂いすらも伝わってくるような観察眼と筆致が素晴らしい。話の設定だけ見れば日本が舞台でも問題ない内容ですが、中国の哈爾濱という舞台だからこそ表現できる底なし感や荒っぽい雰囲気を出したかったのだろうなと。
特にこの一節は日本が舞台の作品ではなかなか出てこない気がします。

此処では極端から極端な運命がのたくっていると思わざるざるをえなかった。


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近日中に9月に読んだ本もまとめて公開予定なのでお楽しみに!!!

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