「そもそも」が好きな理由
私の口癖のひとつでもある「そもそも」。
noteで書く文章もツイートも普段の会話も、気づけばしょっちゅう「そもそも」と言っているような気がします。
この「そもそも」思考は小学生の頃から変わらずで、「なんで!なんで!」と繰り返しては「じゃあそれってそもそも◯◯なんじゃないの?」と言うような子でした。
子供としてはまったくかわいくないけれど、優秀なトヨタの社員になれそうですね…!
私がどうして「そもそも」ばかり言っているかというと、答えがシンプルになるから。
いつだって何かをやろうとするとき、その出発点はシンプルなものです。
おなかがすいたから食べたい。好きだから会いたい。
でも大人になればなるほど、その解決方法がどんどん複雑になってしまう。
それは先入観のせいもあるし、プライドのせいもあるし、経験がじゃますることもある。
なんだか同じところをぐるぐるしているなあ、と思ったときは「そもそも何がやりたかったのか」を自問自答することでふっと別の道が見つかることがあります。
押してダメなら引いてみよ。行き止まりに当たったら戻ってみよ。
袋小路にはまってぐるぐるするくらいなら、一つ前の岐路に戻ってみて、もうひとつ戻ってみて、さらにずーっと戻って一番はじめの「これがしたい」というシンプルな気持ちにまで遡ってみると今悩んでいるのは枝葉の部分でしかないことに気づきます。
私は明日がくるのが楽しみになる世界をつくりたいし、でかけるのが楽しみになる仕組みを作りたい。
自分を見失いそうになったときに立ち戻る「そもそも」があれば、自然と道は開けるものだと改めて感じるここ最近です。
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(Photo by tomoko morishige)
私のnoteの表紙画像について書いた記事はこちら。
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