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真剣にやればやるほど世の中から「嫌いなもの」がなくなる不思議。

人間だもの、嫌いなものもたくさんあります。

人の「好き嫌い」というのは誰かがやったこと、作ったもの、書いた記事、言ったこと、すべてにつきまとうものだしいろんな方面から批評されます。

特に最近はネットが普及したことで芸能人までいかない、ネットのプチ有名人も増えてきて「あ〜○○さんの作品ってこうだよね〜笑」「全然才能ないじゃん」といった批評に360°晒される時代。

もちろん自分が批評する側に回ることもあります。

私はもともと頭でっかちで自信過剰な人間なのでそんな風に「批評する側」だったな、と思うのですが、最近は自分が「やる側」に回りつつあるからか批評家精神が薄くなってきました。

なぜならば、自分が本気でやっていると誰かが作ったものへの苦労がわかるようになるから。

私は普段サービスを運営してるので他社サービスを見ると特に感じるのですが、どこがいいとか悪いとかの前に「あー、ここの仕様はこういう議論の末にこのかたちになったのかな」とか「この機能つくるのチーム内で賛否両論だっただろうな〜〜〜〜」とかそういうところばっかり気になっちゃって。

もちろんダメなところはダメという指摘も必要だけど、なんだかこう、批評とはまたちょっと違う、もっと愛情のこもった「こうすればいいのになぁ、惜しいなぁ」という気持ちになります。

私の敬愛する森田たまさんも「年を重ねれば、それまでの経験から素早く判断できるようになると思っていた。でも実際にはいろんな立場の意見がわかりすぎて、逆に判断ができなくなってしまう」というようなことをおっしゃっていて、それとも通じるものがあるのかもしれません。

安全なところから高みの見物をしていた時は気づけなかったこと、見えなかったもの。

自分が直面してあがいてみてはじめて、なにかをつくることや発信することの難しさを実感できるものです。

どちらがいい、悪いはないけれど、大体の人は無意識に「批評する側」に立っているので、意識して「やる側」に回ってみると思ってもみなかった景色がそこには広がってるんだよ、ということを声を大にして言いたい。

これまで簡単に人やものやサービスに対して「やだー」「なんとなく好きじゃないー」と気軽に言っていたけれど、自分が丹精込めて作ったのと同じだけ熱量が込められたものなのだとわかるだけで、同じ「好みじゃない」ものでも扱い方が変わってくると思うんです。

目の前の人、物、環境すべて、誰かが心血を注いで大事に大事に作り育ててきたもの。
それを心から理解できるようになると、もっと肩の力を抜いて世の中を見れるようになるよ、と高校生くらいの私に伝えてあげたいなと。
あの頃よりちょっぴり大人になった私はそう思います。

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