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あらゆることを肯定して生きるということ

私は、自分が好きなものを全力で『好き』と言ってまわるのが好きだ。

いいものがもっと多くの人に見つかってほしいし、同じものが好きな人と『いいよね』『最高だよね』と言いたい。

でも昔からそうだったわけではなくて、思春期はもっとひねくれていて自意識も過剰だったので、何かを否定する方が自分が優位に立てると無意識に感じていたような気がする。

他者を否定することで、自己を肯定する。

これは麻薬のようなもので、たしかに一瞬は効果があるけれど長くは続かない。

なぜなら、否定によってハードルを上げることは、我が身を振り返った時に自分の首を締めることにつながってしまうからだ。

よく人の脳は主語を理解できないというけれど、そもそも何かを否定ばかりしているとどんなに表向きは強がっていてもうっすらとした自己嫌悪が心に積もっていく。

何かをやっている人に対して、行動も起こしていない自分は何をやっているのだろうかという自己嫌悪。

他者否定は、自己否定のループを作る。

これは逆に言えば、他者への肯定が自己肯定につながるということではないかと私は思っている。

人生は、与えられた分しか入ってこないようにできているのだ。

ちなみに『肯定する』というのは、単に褒めるということではない。

どちらかというと『私は私、あなたはあなただよね』と切り分けることで、いいとか悪いとかのジャッジから解き放たれた状態なのではないかと思う。

否定の反対は無条件の賛成ではなくて、あるがままを受け入れるということだ。

いいものは好きなだけ『素敵』『素晴らしい』と褒めればいい。

そして自分が理解できないもの、あまり好きではないものに対しては、わざわざ否定せず『それはそれでいいんじゃないかな』と肯定してしまうこと。

前にサクちゃんが書いていた『別の星の人』の存在を受け入れられるようになると、人生はグッと楽になる。

『私はそうじゃないけど、それもいいね』という肯定は、みんなと仲良く過ごすための考え方のコツだと思う。

そしてどうにもこうにも理解できないときは、何も言わなければいいのだ。

何かを否定したりバカにして優位に立つ快楽はジャンクな食べ物と同じで、 "Empty"なものを摂取しているに過ぎない。

『悪口というものは、決して創作につながらない。人を褒めることは、必ず創作につながります。』

小林秀雄のこの言葉が、否定と肯定にまつわるすべてを表している。

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Retail Futurist / curator。「知性ある消費を作る」をミッションに掲げています。 将来は世界一の店舗メディアを作る予定。noteの有料マガジン「余談的小売文化論」とコミュニティマガジン「消費文化総研」もよろしくどうぞ!

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本と映画と、エトセトラ。
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コメント (2)
小林秀雄、懐かしい‼『考えるヒント』や「私小説論」、よく読みました。肯定することは、勇気が要りますよね。肯定できる人は自分を確立し、そして強い人かもしれない。
肯定することは、自分の一部を相手にさらけ出すことだと思います。逆に、否定は自分の手札を何も見せることなく、外部への影響力を持とうとすること。
肯定することは、「自分はそれに共鳴する部分も持つ、そういう存在です」と相手に告げること。でも否定は、どれだけそれを重ねても、「自分の中にそれはない」というメッセージを発するだけで、相手に自分のことを肯定的に知らせることにはならない。
何かに対して「好き」と自信をもって言えるということは、自分に対する信頼が前提となっているようにも感じます。
それとも、自分への信頼は、不安の中で、それでも相手に自分を差し出すことを繰り返すことで得られることなのでしょうか。
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