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私の理想の上司像。

やれマネジメントだモチベーションだ組織づくりだなんだかんだと言われますが、人対人である以上正解も最適解もないのがチームづくりなんじゃないかと。
私はそう思います。

まだ私は責任ある役職についてマネジメントを経験したことはなくて、先輩として後輩に教えてあげる程度の経験しかないので、これから直面するであろうマネジメントのことを考えてちょこちょこ勉強したりしてきました。

そんな中でリーダーとしての心構えやちょっとしたテクニックをたくさん学びましたが、こういうリーダーでありたいというイメージがなんとなくふわっとしていて。

特に女性であるが故にまだまだ管理職として活躍している人は少なくて「こうありたいなあ」と思える理想像を持ちづらいのもひとつの原因かもしれません。

そんな中、最近になって「これだ!」と思った理想像が

"登壇やインタビューに向かう部下をなにも言わずに見送ることができる人"

これには意味が2つあって、まずひとつは登壇してほしいとかインタビューさせてほしいとかの依頼を個人に名指しでもらえるような部下をもてるか、ということ。

もちろんはじめからある程度知名度があって優秀な人が部下になる可能性もあるけれど、それはそれで部下に実力がある分自分のチームにいつづけてもらうには自分の器も要求されるし、マネジメント能力も必要です。

そしてなにより「あれをやって」「これをやって」と細かく指示をださないと動けない人には名指しで外部から仕事なんてこないので、アドバイスや指摘したいことがあってもグッと我慢してある程度放任してあげないといけない。

これって本当に人としての胆力を試されることだと思うんですよね。

人はみんな自分の考えや決断こそが正しいと思いがちなので、部下や後輩のやることにどうしても口を出したくなってしまう。

あまりに道をそれてしまいそうな時はそっと軌道修正をしてあげつつ、自由にやらせて失敗したらいつでもフォローしてあげられる状態を作っておく…。言うは易く行なうは難しです。

そして最も重要だと思った2つめの意味は部下が話す内容に不安を持たずに送り出してあげられるくらい、共有している価値観に自信があること。

個人への依頼とはいえ登壇や誌面掲載の際には会社名・部署名を公にすることが多いですし、個人の活動として肩書きなしで掲載するとしてもソーシャルでつながっている現代では本名さえわかればある程度所属なんてわかってしまうものです。

そんな時、会社全体やチームとしての価値観の共有がうまくいっていないと「あれは言うなよ」「こういう話をしてこいよ」と細かく指示しないと不安になるし、部下としてもそう言われてしまうとあれもこれも言っちゃいけないような気がして萎縮してしまうのではないでしょうか。

私は幸いかなり自由に活動させてもらっていて、寄稿記事やオウンドメディアの記事も特に細かいダメ出しなどなくのびのび思ったままに書いていますが、これが細かく "検閲"される環境だったらモチベーションも下がっていただろうなと思うんです。

なので私もいつか部下をもつ時がきたら、自由にのびのびやってもらいながらもし転びそうになったら私が抱き起こしてあげられるくらいの力をつけていきたいな、なんて。

小さなほころびを見つけたら、その問題自体をつつくのではなく根底にある価値観や大枠の方向性をうまく共有できていなかったのかも?と自省できる人でありたいと思う日曜の夜なのでした。

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