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「いい本」の匂い

話題の本を手に取らなくなって数年が経った。意識してそう決めているわけではないのだけど、いつのまにか書店の目立つ場所に平積みされている類の本にあまり興味が持てなくなっていた。

そして人のおすすめで本を読むこともほとんどなくなった。これも意識しているわけではなく、そもそもおすすめされる機会が減ってしまったのが大きい。会話のなかでいろんな本の話がでてくることに変わりはないのだけど、まわりも読書家が多いのでそれぞれの領分をよく理解し合っている。よって、むやみに本を勧めることもないし、勧められることもない。

どんなジャンルであれ、自分にとっては最高だったけれどこの人にはあわないだろうな、と領分をわきまえられることもまたセンスのひとつだと思う。

ではどうやって新しい本と出会っているかというと、原点にもどって書店をうろうろすることが多い。しかし狩りに行くぞ!と意気込むと大抵は空振りに終わる。本の側に警戒心を与えないように、何気ない散歩のふりをしてうろうろしていると、これは、という草花に出会うように自然と必要な本に出会う。見つけたら、あとはそっと摘んで帰るだけだ。

私は元来人より鼻がきく性質なので、「いい本の匂い」というものがある気がしている。本から発せられる、馥郁とした香りのようなもの。どの本も紙とインクの集合体でしかないのだけど、そこに書き手の想いが乗っかることで、ひとつひとつが微妙に異なる香りを放っている、ような気がする。

いい匂いのする本は、読んだときにも心満たされるものが多い。

人は無意識に匂いで人の好き嫌いを判別しているというけれど、モノでも同じことがいえるんじゃないだろうか。香りでわかる相性というものも、ある。

私は自分の嗅覚に圧倒的な信頼をおいているので、まったく知らない著者でも、聞いたことのないタイトルの本でも、ピンときたものは迷わず買うようにしている。学術書の場合は経歴だけはチェックするけれど、中身の立ち読みもほとんどしない。そうやって後悔したことがほとんどないのもあるし、たとえ後悔したとしても、そのミスが私の嗅覚の精度をあげてくれる。


Googleマップを開くと、東京中が保存したピンで埋め尽くされている。ごはんを食べるにしても、ちょっとあいたじかんにカフェに行くにしても、まずはGoogleマップのなかから探す。

これはとても効率がよくて、人生の満足度をあげる行為のように思えるけれど、ある日ふと「適当にふらっと入ってみよう」と思い立ったときに、自分のセンサーがすっかり寂れてしまっていることに気付かされた。

より正確にいえば、なんとなくよさそうなお店を見つけても、自分の判断だけで入る勇気がでなかった。レビューを調べて、確認して、お墨付きをもらって安心したい。自分のセンスだけで新しい場所を開拓する能力がこんなに急激にスポイルされるなんて、利便性に浸っているあいだは思いもしなかった。

別にこれからだって、誰かのおすすめに沿って、冒険することなく、「正解」だけを選んで生きていけばいいのかもしれない。でも、そうやってフォロワーとして情報を消費しているうちは、その道のフロントランナーにはなれない。まだ誰も見つけていない原石を見出すには、自分自身の嗅覚を磨きつづけなければならない。まだ他者に評価されていないものに、自分のセンスで太鼓判を押す勇気をもたなければならない。

以前読んだ柳宗悦の随筆のなかに、宗悦が雪舟の絵を買って周囲に驚かれたときの話があった。民芸運動の中心人物も、古典的大家の作品を買うのかとあちこちで言われたらしい。それに対して宗悦は「有名無名に関わらず、いいものはいい。もののよさで見ているからこそ、有名な作者のものも買う」といった意味のことを書いていた。

無名にこだわるのは有名にこだわることのカウンターでしかなく、どちらも他者の評価に依存していることに変わりはない。自分の審美眼を信頼しているからこそ、有名無名に関わらず「いいものはいい」と判断できるのだ、という彼の主張を読んでから、私も何かを選ぶときにはこの姿勢を大事にしている。

いいもの、というのは万人にとっていいものである必要はない。自分にとって心地いいもの、これは自分のために生まれてきたのだと感じられるもの、自分の生き方にぴったりと寄り添うもの、そういう「自分」を軸にして語れるものこそがいいものなのだと私は思う。

もちろん誰にとっても心地よさを感じさせるものもたくさんあるのだけど、99人の暮らしにフィットするからといって自分にフィットするかどうかはまた別の話だ。おすすめや人気をそのまま受け取るのではなくて、自分で体験してみてひとつひとつ内省し、判断することでしか、本当の意味で自分を満たすものとの出会いは訪れないだろう。

ランキングで見れば圏外のものでも、自分にとっては生涯をともにしたいほどにぴったりくるものと出会うことがある。相性や運命と呼ばれる類の奇跡は、人間同士だけではなく、いたるところにその可能性が転がっている。

その出会いを見逃さないために、私は今日も「いい本の匂い」を嗅ぎ分ける能力を、無意識に磨き続けているのだと思う。

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