19世紀のルーマニア文字
8月31日はモルドバで我らが言語の日、ルーマニアでルーマニア語の日です。
ルーマニア語は19世紀にラテン文字正書法が制定されるまでルーマニア文字というキリル文字とラテン文字を混合した独自の文字体系が使用されていました。
今回はルーマニア文字について取り上げます。
キリル文字寄りのルーマニア文字
ユニコードのキリル文字ブロックによる配置を中心にした表記です。
見出しにある全角ギュメで囲まれた字母は同型のラテン字母です。
『Theoretisch-praktische Grammatik der romanischen Sprache, zum Selbstunterricht für Deutsche. 2. Aufl』(1856年)による方式で、リンク先はGoogleブックスのアーカイブです。
ユニコードに存在しない字母はゲタ記号《〓》で示しています。
【А・а《A・a》】A[アー]
【Б・〓《Ƃ・〓》】BE[ベー] - 小文字は《Б》のスモールキャピタル。本来のキリル字母は《Б・б》。
【В・в《B・ʙ》】VE[ヴェー]
【Г・г】GHE[ゲー]
【D・ԁ《D・d》】DE[デー] - コミ語旧キリル文字では《Ԁ・ԁ》。本来のキリル字母は《Д・д》。
【Е・е《E・e》】E[エー] - モルドバ語キリル文字で《Я・я》と表記されるヤ[ja]の音は〈ΕΑ〉で示される。
【Ж・ж】JE[ジェー]
【Z・z】ZE[ゼー] - 古代教会スラブ語では《Ꙁ・ꙁ》。本来のキリル字母は《З・з》。
【І・і《I・i , Ĭ・ĭ》】I[イー] - モルドバ語キリル文字は《И・и》。
【К・к《K・ᴋ》】CA[カー] - ラテン文字正書法移行後の『Metódă nouă de scriere și cetire』ではラテン文字《K・k》。
【Л・л】EL[エル]
【М・m《M・m》】EM[エム] - 本来のキリル字母は《М・м》。
【N・n】EN[エヌ] - 本来のキリル字母は《Н・н》。
【О・о《O・o》】O[オー]
【П・п】PE[ペー] - イタリック体小文字は《N》のものと同型になる。
【Р・р《P・p》】ER[エル] - 小文字はギリシャ文字ロー《ρ》に似た字形も見られる。
【С・с《C・c》】ES[エス]
【Т・т《T・ᴛ》】TE[テー] - ラテン文字正書法移行後の『Metódă nouă de scriere și cetire』ではラテン文字《T・t》で、Щの小文字は連字〈шt〉で表記。
【Ȣ・ȣ】U[ウー] - 古代教会スラブ語では《Ꙋ・ꙋ》。モルドバ語キリル文字は《У・у》。
【Ф・〓】EF[エフ] - 本来のキリル字母は《Ф・ф》。小文字は《Ф》のスモールキャピタルあるいは《ɸ》。
【Х・х《X・x》】HE[ヘー]
【Ц・ц】ȚE[ツェー] - 下部が波状になっている。異体字は《Ꚏ・ꚏ》。
【Ч・ч】CE[チェー]
【Ш・ш】ȘE[シェー]
【Щ・щ】ȘTE[シュテー] - 字母表に含まれない場合がある。モルドバ語キリル文字では連字〈ШТ〉で表記。異体字は《Ꚗ・ꚗ》。
【Ъ・ъ】Ă[ə アー] - モルドバ語キリル文字では《Э・э》。
【Ѫ・ѫ】Â[ɨ ウィー] - モルドバ語キリル文字では《Ы・ы》。語中・語末の《Â・Î》を表す場合に用いるが、字母表に含まれない場合がある。
【Ꙟ・ꙟ】ÎN[ɨn ウン] - モルドバ語キリル文字では連字〈ЫН〉。ドイツ語による字母名では〈ÜHN〉[yːn ユーン]。
【Џ・џ】GE[ヂェー] - モルドバ語キリル文字では《Ӂ・ӂ》。
ルーマニア文字のダイアクリティカルマーク
【ˊ】オクシヤ - 高アクセント記号。
【ˋ】ヴァリヤ - 低アクセント記号。
【˘】スクルタトアリャ - 二重母音の場合に《І・і》あるいは《Ȣ・ᴕ》に付加される。前者のモルドバ語キリル文字表記は《Й・й》で、ルーマニア文字では《Ĭ・ĭ》となる。
ルーマニア文字は『Walachische Sprachlehre nebst einem walachisch-deutschen und deutsch-walachischen Handwörterbuche』に記載されているルーマニア語キリル文字筆記体をベースにしていると思われ、Зではなく《Z》, Нではなく《N》になっているのは筆記体の影響のようです。
ワラキア・ルーマニア文字
『Das Buch der Schrift』(1880年)に記載されているルーマニア文字の後期形です。
【А・а《A・a》】AZ[アズ]
【Б・〓《Ƃ・〓》】BUCHE[ブケ] - 小文字は《ɓ》に似た字形。
【В・〓《B・〓》】VIDE[ヴィデ] - 小文字は《b》の上部にループが付いた字形。
【Г・г】GLAGOL[グラゴル]
【D・ԁ《D・d》】DOBLU[ドブル]
【Е・е《E・e》】EST[イェスト]
【Ɉ・ɉ】JUVETE[ジュヴェテ] - 本来のキリル字母は《Ж・ж》。ルーマニア語ラテン文字《J・j》―同型のキリル字母は《Ј・ј》―のルーツと思われる。本来のストロークは斜めになっている。
【DZ・Dz・ԁz《DZ・Dz・dz》】ZALU[ザル] - 本来のキリル字母は《Ѕ・ѕ》で、古代教会スラブ語キリル文字の字形は《Ꙃ・ꙃ》。ルーマニア語旧ラテン文字では《Ḑ・ḑ》[ʣ ヅ]。
【Z・z】ZEMLE[ゼムレ]
【І・і《I・i》】IJE[イジェ]
【Ĭ・ĭ】I[イー] - 二重母音の末尾で、ルーマニア語キリル文字及びモルドバ語キリル文字《Й・й》[j イ]に対応。
【К・k《K・k》】KAKU[カク] - 本来のキリル字母は《К・к》。ブルガリア語キリル文字では《K・k》とラテン文字のように小文字の基線が上部に伸びている。
【Л・〓】LIUDE[リュデ] - 小文字はキリル字母《л》とラテン字母《l》の合字のような字形。
【М・m《M・m》】MISLETE[ミスレテ]
【N・n】NAȘ[ナッシュ]
【О・о《O・o》】ON[オン]
【П・п】POCOI[ポコイ]
【Р・р】RÂȚĂ[ルツァ又はルィツァ]
【Ѕ・ѕ《S・s》】SLOVĂ[スロヴァ] - 本来のキリル字母は《С・с》。ラテン字母《S・s》と同型のマケドニア語キリル文字を当てている。
【Т・t《T・t》】TFERDU[トフェルドゥ]
【Ȣ・ᴕ】UCU[ウク] - 古代教会スラブ語キリル文字では《Ꙋ・ꙋ》。本来の字形はベビーガンマと同型だが、ユニコードでは国際音声記号ベビーガンマの新字体であるラムズホーン《ɤ》と統合されている。
【Ф・〓】FÂRTA[フルタ又はフィルタ] - 本来のキリル字母は《Ф・ф》。小文字は《ɸ》の上部が《ſ》のフックに変化した字形。『Theoretisch-praktische Grammatik der romänischen Sprache』にも見られる。
【Х・х《X・x》】HERU[ヘル]
【Ц・ц】ȚI[ツィー] - 本来の字形はラテン小文字《u》の右側にディセンダー記号を付加したもの。
【Ч・ч】CERVU[チェルヴ]
【Ɯ・ɯ】ȘA[シャー] - 本来のキリル字母は《Ш・ш》。
【Щ・щ】ȘTEA[シチャー] - 本来の字形は《Ɯ・ɯ》にディセンダー記号を付加したもの。
【Ъ・ъ】IER[イェル] - モルドバ語キリル文字では《Э・э》[ə ア]。ルーマニア語ラテン文字では《Ă・ă》。
【Î・î】ÎN[ウン] - モルドバ語キリル文字では《Ы・ы》[ɨ ウまたはウィ]。ルーマニア語キリル文字本来の字形は《Ꙟ・ꙟ》。ルーマニア語ラテン文字では《Â・â》又は《Î・î》。
【Џ・џ】GEA[ヂャー] - モルドバ語キリル文字では《Ӂ・ӂ》。本来の字形はラテン小文字《u》の中央部にディセンダー記号を付加したもの。
ヤ行音合字
ルーマニア文字のヤ行音[j]は文字表に記載されないのですが、多用されてきました。
【〓・〓】IU[ユー] - モルドバ語キリル文字では《Ю・ю》。イオタ化記号《Ⱶ・ⱶ》とウク《Ȣ・ᴕ》の合字《ⱵȢ・ⱶᴕ》で示されるが、ユニコードに採用されていない。にしき的フォントではU+F3A2《ⱵꙊ》とU+F3A3《ⱶꙋ》に本来のルーマニア語キリル字母が配置されている。
【Ꙗ・ꙗ】IA[ヤー] - モルドバ語キリル文字では《Я・я》。ルーマニア語ラテン文字では〈IA〉又は〈EA〉と表記される。
ラテン文字寄りのルーマニア文字
1858年頃から一時期見られるようになったラテン文字寄りになったルーマニア文字で、一部の字母がラテン字母に変化されました。
Googleブックスでは『Istoria generala a Daciei』や『Doruri și amoruri』などラテン系ルーマニア文字で書かれたアーカイブがありますが、見出しは旧ラテン文字正書法になっています。
文字はラテン文字と一部キリル文字で示しています。
見出し内の全角ギュメ内はキリル文字主体の表記です。
【A・a《А・а》】[a ア]
【Ъ・ъ】[ə ア] - 現行ラテン文字正書法では《Ă・ă》。
【B・b《В・b》】[b ブ]
【Ч・ч】[ʧ チ] - CEは〈ЧE〉[チェ], CIは〈ЧI〉[チ]。
【D・d《D・ԁ》】[d ド]
【DZ・Dz・dz《DZ・Dz・dz》】[z ズ] - 同時期に制定された旧ラテン文字の《Ḑ・ḑ》に対応。
【E・e《Е・е》】[e エ]
【F・f】[f フ]
【G・g】[ɡ グ] - GĂは〈GЪ〉[ガ], GHEは〈GE〉[ゲ], GHIは〈GI〉[ギ], GÂ・GÎは〈GÎ〉[グ], GUは〈GȢ〉[グ]。
【Џ・џ】[ʤ ヂ] - GEは〈ЏE〉[ヂェ], GIは〈ЏI〉[ヂ]。
【I・i《І・і》】[i イ]
【Î・î】[ɨ ウィ] - 現行ラテン文字正書法では《Î・î》あるいは《Â・â》。
【Ĭ・ĭ】[j ィ] - 現行ラテン文字正書法ではダイアクリティカル無しの《I・i》あるいは外来語に限り《Y・y》。
【J・j《Ј・ј》】[ʒ ジュ]
【K・k《К・k》】[k ク] - CAは〈KA〉[カ], CĂは〈KЪ〉[カ], CHEは〈KE〉[ケ], CHIは〈KI〉[キ], CÂ・CÎは〈KÎ〉[ク], COは〈KO〉[コ], CUは〈KȢ〉[ク]。
【L・l】[l ル]
【M・m《М・m》】[m ム]
【N・n】[n ヌ・ン]
【O・o《О・о》】[o オ]
【П・п】[p プ] - イタリック体はロシア式やセルビア式と著しく異なる。
【R・r】[r ル]
【S・s《Ѕ・ѕ》】[s ス]
【Ш・ш】[ʃ シュ] - 現行ラテン文字正書法では《Ș・ș》。
【T・t《Т・t》】[t ト]
【Ц・ц】[ʦ ツ] - 現行ラテン文字正書法では《Ț・ț》。
【Ȣ・ᴕ】[u ウ] - ルーマニア語キリル文字では《Ꙋ・ꙋ》。
【Ȣ̆・ᴕ̆】[w ゥ] - 現行ラテン文字正書法ではダイアクリティカル無しの《U・u》。
【V・v】[v ヴ]
【X・x《Х・х》】[x ホ] - 現行ラテン文字ではクス[ks]と読まれ、キリル文字《Х・х》に対応する字母は《H・h》となった。
【Z・z】[z ズ]
【ʼ】[無音] - アポストロフ。
新ルーマニア・キリル文字
ラテン文字の影響を受けた書体となったルーマニア語キリル文字で、一部字母が他のキリル文字使用言語と異なっています。
『Noua Testament al Domnuluī shī Mîntuītoruluī nostru Īīsus Khrīstos』で見られます。
【А・а】AZ[アズ]
【Б・〓】BUCHE[ブケ] - 小文字は《б》ではなくスモールキャピタル。
【В・в】VIDE[ヴィデ]
【Г・г】GLAGOL[グラゴル]
【Д・д】DOBLU[ドブル] - 三角状に変化し、上部にセリフが付いている異体字を用いる。
【Е・ԑ】EST[イェスト] - ギリシャ文字《Ε・ε》に合わせた字形。小文字はエネツ語リバースドZE《Ԑ・ԑ》の字形。
【ЕА・Еа・ԑа】EATI[エヤチ] - 本来のルーマニア語キリル文字では《Ѣ・ѣ》。小文字はリガチャで示される。
【Ж・ж】JUVETE[ジュヴェテ]
【ДЗ・Дз・дз】ZALU[ザル] - 本来のルーマニア語キリル文字では《Ѕ・ѕ》。
【З・з】ZEMLE[ゼムレ]
【І・і】I[イー] - キリル文字《И・и》と《І・і》と《Ї・ї》を統合。
【К・к】KAKU[カク]
【Ʌ・ʌ】LIUDE[リュデ] - 本来のキリル文字は《Л・л》。
【М・м】MISLETE[ミスレテ]
【N・ɴ】NAȘ[ナッシュ] - 本来のキリル文字は《Н・н》。ラテン文字の字形に変化したもの。
【О・о】ON[オン]
【П・п】POCOI[ポコイ]
【Р・р】RÂȚĂ[ルツァ又はルィツァ] - 大文字・小文字共に《ρ》のように丸みを帯びた形状。
【С・с】SLOVĂ[スロヴァ]
【T・t】TFERDU[トフェルドゥ]
【Ȣ・ᴕ】UCU[ウク] - 古代教会スラブ語キリル文字では《Ꙋ・ꙋ》。本来の字形はベビーガンマと同型だが、ユニコードでは国際音声記号ベビーガンマの新字体であるラムズホーン《ɤ》と統合されている。
【Ф・ф】FÂRTA[フルタ又はフィルタ] - 小文字は国際音声記号《ɸ》とほぼ同型。
【Х・х】HERU[ヘル]
【Ц・ц】ȚI[ツィー]
【Ч・ч】CERVU[チェルヴ]
【Ш・ш】ȘA[シャー]
【Ъ・ъ】IER[イェル] - モルドバ語キリル文字では《Э・э》[ə ア]。ルーマニア語ラテン文字では《Ă・ă》。
【ІȢ・Іᴕ・〓】IU[ユー] - モルドバ語キリル文字では《Ю・ю》。イオタ化記号《Ⱶ・ⱶ》とウク《Ȣ・ᴕ》の合字《ⱵȢ・ⱶᴕ》で示されることも可能だが、ユニコードに採用されていない。
【ІА{Ꙗ}・Іа・ꙗ】IA[ヤー] - モルドバ語キリル文字では《Я・я》。
【Ѳ・ѳ】THITA[ティータ] - 外来語表記用。主にタ行音[t]。
【Ꙟ・ꙟ】ÎN[ウン] - モルドバ語キリル文字では《Ы・ы》[ɨ ウまたはウィ]。ルーマニア語ラテン文字では《Â・â》又は《Î・î》。ゴート語900《𐍊》に近い字形で、小文字はスモールキャピタル。
【Џ・џ】GEA[ヂャー] - モルドバ語キリル文字では《Ӂ・ӂ》。