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曾祖母が残した家を売る①

長野県は広いので、南信とか北信とかと地域を分けることが多いようですがその長野県の中信に曾祖母が残した家と畑があります。

曾祖母は私が16歳の時に97歳で他界。87歳までは中信にある自宅で一人暮らしをしていました。今の時代の87歳は元気な方が多く一人暮らしをされていても珍しくはないと思いますが、今から40年前では世間的に「老人を一人にして」と指を刺されるような時代でした。曾祖母にしたら息子の嫁である祖母がこの家で暮らせばいいという考えでした。

1年に渡る家族会議の結果、曾祖母が折れた形で、息子の嫁=私の祖母が住む北海道へ88歳になる直前に引っ越すことになったのでした。約10年北海道で祖母と祖母の娘(私の母の姉)夫婦の暮らす家での生活となり、その10年で長野の自宅に一時帰宅できたのは2回くらい。結局97歳で他界する最後の最後まで長野の家に思いをはせてこの世を去りました。

そんな曾祖母が大切にしていた長野の家を私の両親が面倒をみることになったのは今から35年ほど前のこと。

涼しく自然がたくさんあったその家は子供のころは夏休みになると母と2人過ごしたり、時には北海道の従妹たちが遊びに来たり、社会人になってからもお盆にはお墓参りをするため数日過ごす家でした。

父は63歳でリタイアしてから毎年5月~10月までは長野県で、11月~4月まではちょっと便利な今の住まいで暮らすという生活を15年以上続けており、敷地内の畑で家庭菜園に毛の生えた感じのことを楽しくやってました。この家は父の実家の近所でもあるため、父の長兄が近くにいる安心もあって、母も私も父の好きなようにさせていました。

ちょっと複雑なのですが、この家はもともと祖父母が暮らすはずだったのですが、祖父が教員を戦前から樺太の真岡でしていたため、日本の敗戦とともにこの家に身を寄せたそうです。そのころ母は生後半年くらいのため全く記憶にないそうですが、母の姉妹たちには小学校に通うような年頃で、母のすぐ上の姉は私の父と同級生、母と7つ離れた2番目の姉はガキ大将だったらしく、この姉妹がそろうと父もタジタジになるくらい、子供のころの懐かしい話をよく聞かされました。今から5年くらい前までは毎年母の姉妹は1週間この家で暮らして同級生に会ったり、懐かしい場所を巡ったりと年を取っても懐かしむ場所があることはうらやましくも思い、なるべく邪魔をしないようこの場所を使ってもらっていました。

幸いにも、母の姉妹(4姉妹)は今でも元気なのですが、このコロナ禍でなかなか北海道から行くこともできず、そうこうしているうちに彼女たちも後期高齢者のゾーンに入り、今までのようにフットワーク軽く長野の家に来ることが難しくなってきたのです。

そんな2021年5月。この家で事件が起きました。

虫嫌いの母が台所の柱にシロアリが大量にいることを発見。大急ぎで駆除と対策をお向かいさんの大工さんに依頼、幸い駆除したおかげで虫は一掃されましたが、大の虫嫌いの母にはショックだったようで、

この家売ろうと思う。

ここから、彼女はいつになく素早い行動に出ます。
5月の終わりには古民家に詳しい不動産屋に査定を依頼したり、市役所にも相談したり、あっという間に売却物件の情報誌への掲載が決まりました。

そして7月。
内見希望者が来ることになりました。

続きはまた。

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