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涙があふれるほどの言葉に、出会ったことはあるか

言葉の羅列で涙を流したのは、初めてだったかもしれない。

あえて「羅列」と書いたのは、その文章が、小説だとか、手紙だとか、そういった類いのものではなかったからだ。つまり、前後にストーリーがあったわけでも、書き手に思い入れがあったわけでもない。

その詩との出会いは、唐突だった。

私はそもそも、詩という文化そのものに関心はなかった。思考を停止させて、インターネットに体を委ねていると、ふとした時に目に飛び込んできたのだ。

三行目あたりで「あ、これはよくない」と気づいた。これ以上読んだら、泣いてしまうと直感した。けれど、私の目はその日本語を追うのをやめてくれなくて、もう五行ほど進むと、眼球のビーカーから許容量を超えた水が溢れ出していた。

なぜあんなにも泣いてしまったのか、今思い返しても、よくわからない。それくらい、あの時は脳がぐちゃぐちゃだったのだ。しかし、その瞬間の心を敢えて一言で表すならば、その言葉たちに「赦された」という感覚だった。そんなに、必死に生きる必要はないと。

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ライターという仕事を始めて6年ほどになるが、ブログをしっかりと書いた記憶はない。普段はPRや広告の仕事が多く、「顧客の居る文章」ばかりを書いてきた。それらは紛れもなく私が執筆した文章なのだが、そこに“私”はおらず、寧ろそうすることを徹底しながら仕事をしてきた。

けれど、もう少し、欲が出てきてしまって、この歳になって“私”の言葉で文章を書こうと思ってしまったのだ。私の中から湧き上がる言葉を綴ってみたいと思った。

決してこのブログで、先の私のように、読者へ偶然の激情を届けたいという意図などは微塵もない。ただ、チラシの裏ではなく、この宇宙に言葉を放り込む以上、私の言葉でもし読者が何かしらの心の動きに駆られたのなら、それはそれでまた嬉しいこととは思う。

詩「きみはかわいい」(作・最果タヒ) 

(2018.01.09執筆)

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