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近況と雑感

実家の猫が亡くなった。

20年生きた。

20年前、私は当時の事務所で徹夜仕事をしていた。朝5時頃、当時のマネージャーとフラフラになりながら事務所を出て、渋谷駅へ向かっていた時のことだ。

事務所は渋谷中央街という歓楽街の路地の突き当たりにあり、私たちは大雨降りしきるなか駅へと急いでいた。

なにやらカラスが騒がしい。路肩に目を向けると小さな小さな仔猫がカラスの攻撃を受け瀕死の状態であった。

私とマネージャーはカラスを追い払う。周りを見渡すとビルの間の隙間には乳を腫らせた母猫と兄妹。この仔猫は片方の眼が開いておらず、恐らく家族に見棄てられている。

徹夜明けの私たちは、今にも死にそうな仔猫を憐れみの目で見ることしか出来ず、手を合わせてその場を去ろうと思ったその時、恐らくセックスワーカーであろうお姉さんがその場で立ち止まり、この仔猫死にそうだから助けてあげないと、と言っている。

正直私は面倒臭い、と思った。今すぐにでも帰って寝たい、と思っていたように思う。

しかし、彼女は(随分興奮気味に)今の時間空いている獣医を探しましょう、と私たちに訴えてきた。当時はスマホはおろか、大したインターネットも無いわけだからどのように獣医を探したか忘れたが、私はノミだらけ傷だらけで死にそうなその仔猫を抱き抱え、マネージャーとセックスワーカーの彼女と一緒にタクシーに乗り込んだ。

笹塚あたりの動物病院に到着した頃には、この仔猫は息も絶え絶えになってしまっていた。

カラスにやられたであろう外傷はもとより、ウイルス性の感染症に侵されているのと眼に障害があるので、恐らく助からないでしょう、と獣医に言われた。

渋谷の死にかけの野良仔猫を連れてきた私たちは、どうしますか?と話し合った。折角連れてきたから、最善を尽くしてくださいということで、入院治療させることにした。私は女性と連絡先を交換し、帰宅した。

1週間経ち、激務のなか、仔猫のことも忘れていたような感覚だったように思う。動物病院から連絡をもらう。奇跡的に元気になったので、引き取りに来てください、とのことだった。

少しホッとしたような、なんだか良いことしたかのような、そんな気分だった。私は女性に連絡をし、入院治療費は折半にしようと予め決めておいたので、動物病院で再会することになった。

仔猫は生き生きとした顔で、病院を駆けずり回っていた。こんなに可愛い顔をしてたのかと驚いた。死にかけていたのを忘れるくらい、元気な仔猫だった。私たちは獣医に感謝し、入院治療費を払った。

私はその女性が、仔猫を引き取ってくれるものとばかり思っていたが、彼女の家にはチワワがいるので、引き取れないと言う。

マネージャーも、うちは絶対無理、と言っていた(実際仕事的にも無理だと私は理解している)。

里親を探して見つかる可能性は2割ほど、と獣医は言っていた。見つからなければ当然、殺処分、ということになる。

私は何故かその仔猫を持ち帰り、家で暫く一緒に過ごすことになった。

猫は嫌いではないが、特段愛着はない。哺乳類を飼うこと自体に、抵抗感の方が強かった(今でもそうだ)。

当時の私は毎日が旅、スタジオ缶詰、ライブの現場、という多忙っぷりで、正直猫に構っている時間はない。数日家を空けることなんてザラで、スタジオでそのまま寝たり、徹夜仕事が週の半分なんてこともあった。もしかしたら助けた仔猫を、死なせてしまうことになるかも知れない、責任なんて取れない。

しかし仔猫は元気だ。良く食べ良く眠り、そして動きがアホみたいに速く、そのエネルギーと運動能力に惚れ惚れしたものだ。そしてカリカリを食べる音とざらついた舌で舐められるときの痛さ。

私は猫カゴを手持ちで仕事の現場に連れて行くというやってはいけないことが日常になり、これはいかんということで、合宿レコーディング先で当時無職だった弟(代打でドラムを叩いてもらったが使い物にはならなかった)に預け、実家に暫く預かってもらうことにした。

私は彼(猫)には申し訳ないが邪魔者だと思っていたので、内心少しホッとしていたものの、合宿レコーディングで彼と過ごした数日間はとても楽しくあたたかな記憶だ。

ツアーから帰ってきたら再び引き取ろうと思っていたのだが、彼は実家に居付き、私の両親に可愛がられて育った。

私が実家に帰るたびに、なんだか彼は私への態度を少しずつ変え、遂に私を見つけると息を荒げ噛み付くようになってしまっていた。

時は経ち、東日本大地震が起こった翌々日のことだった。

私は実家の寝室で泥酔して寝ていたのだが、稲光のような痛みを感じ、余震か、災害か、と寝ぼけながら暗闇の中顔を触ると血塗れになっていた。左眼の横と、頬、唇を爪や牙でひどくやられてしまった。彼は私のことを殺そうとしていたのだろうか。寝込みを襲われたのだ。

私は夜中に救急病院へ向かい、手当を受けたものの、顔面にそこそこの怪我をしてしまっていた。

その後、実家に帰ることも少なくなったが、私が実家に居る時は彼は両親の部屋に閉じ込められていたので、今日の今日まで、彼と直接触れ合うことはなかった。

両親は彼をかわいがり、亡くなる直前まで面倒をみていた。もうあかんかもしれん、会いに来てやり、と報告を受けていたのだが間もなく、亡くなったと連絡がきた。

失意の両親を慰めながら、久しぶりに撫でた彼の額は綺麗で、幸せに天寿を全うしたのかな、と思うと同時に、なんともやるせない気分になった。そのまま供養し、彼の不在を悲しむ両親のことを気にかけつつも、私は彼の面倒をみてやれなかった自分の不甲斐なさに少し打ちのめされている。

彼は私と一緒にいたかったのかも知れない。だから怒って私を憎んだのかも知れない。

命はひとつひとつが重みを持ち、ほんの些細なことで運命は変わり、それらをコントロールしようと思っても叶わない。私は自分があっちに行く際には、彼と仲良くしたいと思っている。たくさん話をしたいな。

彼のいなくなったこの世の中は、なかなか難しい問題が山積みで、自分自身の無力感に絶望を感じることも少なくない。ほんの小さな希望とは自分自身が生きる力であり、それを支える愛であり、真実を見誤った自分自身を疑う本当の正しさであり、居なくなった者を忘れず慈しむことであり…。


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