近況と雑感
くるり新作アルバム『天才の愛』が発売されました。
どの曲も相当手をかけたので、長く聴き続けてもらうことで、沢山の発見があると思います。
『野球』という曲について、少し書きたいと思います。
このえらいことになり始めた頃、冬の寒い日に野村克也氏の訃報を知りました。
カープファンの私ですが、プロ野球チップスのカードを集めていたクソガキの頃から、絶賛中年まっしぐらな現在に至るまでプロ野球が大好きなのは、掘れば掘るほど面白いからです。ちなみに私は運動神経ZEROです。野球も出来ません。
麻雀(私はやりません)や将棋、株の売買(私はやりません)や不動産投資(私はやりません)のルールやシステムを考えだした人達の天才っぷりのことをたまに想像して畏怖の念を持つことがありますが、野球は私にとってその最たるものです。
元々私は人間が考えだしたいわゆる「勝負ごと」にあまり興味が無く、自分がそこに巻き込まれるとストレスを感じるというか単純に弱いので、もっとそのままそこに存在する、みたいな自然なものとか、或いはもっと雄大で恐怖さえ感じるアニミズムのようなものを志向します。
野球は、テレビで観ていてもネットで観ていても、脳内で楽しんでも最高に楽しいのですが、球場で生観戦すると、五感どころか第六感までフル動員させられるような感覚を私は覚えます。確かに人間の作り出した「ルール」や、それに付随する「スポーツ」とか「ビジネス(というよりマネーゲームか)」のイメージが強いですが、個々の「天才性」と「全体巻き込み力」のとんでもないエネルギーに驚くことが多いです。人間が作り出したもの、を超えている部分に圧倒されます。
私はダルビッシュ投手のイメージや野球に取り組んでいる(ように見える)姿勢が大好きです。日本人一般が持ち得る「根性論としてのスポーツのイメージ」と違う観点から、技術的な野球論を分かりやすく解説してくれるので、我々素人ファンは目から鱗をずっと落とし続けることができます。彼らの生き方や哲学を自分自身の仕事や人生の何かに置き換えて例えたり、一見成功者にも見える彼ら自身の深い葛藤や取り戻すことが難しい失敗すら、素晴らしい芸術作品(文化理解と言うべきなのかも知れません)として腑に落ちていきます。それは、彼らは絶望と紙一重のところで、奇跡を起こすための何かについて常にもがいているからです。
話を戻します。故、野村克也氏や、落合博満氏など「癖ありそうやけど明らかに名将、名監督の類い」の方々から私が受けている影響は測り知れません。
野村克也氏の捕手目線での投球の組み立て、勝負どころでの様々な技術論など、著書やテレビ解説の中で我々素人に対して非常に分かりやすく、かつユーモアたっぷりに伝えていただいたことは、ポップ音楽の世界でいうところのビートルズ(特にポールマッカートニー)の素晴らしさを超シンプルにど真ん中で解説されたかのような清々しさがありました。そして、彼はジョンやヨーコが持っていたであろう第六感的な天才性(長嶋茂雄氏やSHINJO氏に感じていたであろうもの)や、仏教的な感覚(諸行無常とか)、彼自身のコンプレックスや目に見えない優しさやいい加減さに対する深い理解と羨望の眼差しさえも、彼の仕事の中にキッチリ落とし込み、野球の楽しさに昇華をしてくれました。落合博満氏の講演会に行った時も、同じようなことを思いました(森繁和氏もゲストコメンテーターとして舌鋒豊かに野球論を展開しておられましたが)。
私は金村氏も好きで、彼のYouTubeチャンネルもたまに観ます。彼の野球愛は、球場でビールを飲みながら野次を飛ばしたり(選手に野次を飛ばしてはいけません)、その日の気分で試合のことや選手のことを適当に褒めたりなじったりする、いわゆる「ええ加減な野球ファン」の「それでも野球好きやねんもん」て部分を心から愛でてくれます。
私の親世代は「巨人・大鵬・卵焼き」の世代で、長嶋茂雄氏や王貞治氏がヒーローですが、私の世代にとって有り難かったのは、野茂英雄氏やイチロー氏をはじめ、日本のプロ野球選手が「本場」でとんでもない活躍をして礎を作り、野球少年から現役プロ選手は勿論のこと、我々素人ファンにさえ夢をみさせてくれたことです。
『SUKIYAKI』の大ヒットも、YMOやコーネリアスの海外での認知も、我々日本の音楽家たちに相当な夢と勇気と希望を与えていると思いますが、黒田博樹氏の活躍が(カープファンならずとも)どれだけ多くの日本にいる人たちに影響を与えたかというと、計り知れないものがあると思います。いち日本の音楽家として、野球羨ましいです。大谷翔平氏はホントすごいです。マジですごいです。
コレはホンマただの自慢話ですが、元広島東洋カープの外国人選手、ブラッド・エルドレッド氏と一度ご飯をご一緒する機会があり、英語で野球の話をたくさんしたことがありました。
能見投手の球筋の話とか、新井さんをはじめチームメイトの話とか、色々(話せる範囲で)話してくれましたが、本当に技術的な、あるいは現場で感じていらっしゃったであろうアスリートとしての超微細な話を、夢中で話しておられていたことが印象的でした。とにかくアウトローに差し込んでくる変化球種とタイミングについて、テイクバックの時の各バッターのタイミングと調子について、球審それぞれの特徴について、自身のヘッドスピードの変化についてetc、素人である私に対して眼をキラキラさせながら夢中で話をしてくれました。現役最終年でいらっしゃったので、恐らく引退や契約のことなんかを考えておられる中だったとは思いますが、彼、野球に夢中でした。あと、生ビールの飲み方豪快でした。
私は野球の他にも好きなものごとは幾らかありますが、野球はホントクッソ面白いです。私が他人になにかを勧めるのは、食べもの以外ならプロ野球観戦と、クラシック音楽のコンサートと、素潜りくらいしかありません。その程度の趣味しか有りませんが、それらは全て「体験が強烈で自らに多様な価値観を生む生ライブ」です。球場の焼きそばと生ビールのセットが生きる糧のひとつです。
コロナ禍、選手たちもチームも苦労を強いられながら頑張っていらっしゃると思いますが、私は久しく球場にもお邪魔しておりません。
『野球』という曲のファンファーレは『天理マーチ』という応援歌のモチーフを引用したものです。我々日本の野球ファンにとって、球場に行けば聴こえてくる「当たり前の景色」のような音でした。コロナ禍で、トランペットを用いるこれらのサウンドは姿を消しました。
時代と共にさまざまな文化は変容していくものですが、音楽文化だけでなく野球も、この岐路の中でさまざまな変化への受容と価値観の更新を急がされながら、多くのファンたちの期待を背負っていることと思います。
この『野球』という楽曲の中には、私が好きな選手も、そうでない選手も、伝説的な昔の人も現役バリバリの人も、特定の球団のファン以外はあまり知られていない人も出てきます。野球の歌だから出来た視点というか、愛の歌ですね。
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