『thaw』セルフライナーノーツ
皆さまいかがお過ごしでしょうか。
並行世界では、ツアーがひと段落し、日比谷野音に向けてイベント出演など、意欲的にくるりは動いているはずです。
去る3月初旬、ツアーリハを行うも、来るべき現実の中でも、最悪のケースを想定しておくべき、との判断をくだし、咄嗟に出てきた「未発表作品集をとんでもないスピードでリリースする」ということに取り組むことになりました。
ビクタースピードスターレコードの制作スタッフや、弊社スタッフの手厚い協力により、およそ1か月で皆さんのもとへ届けることが出来たことに、心より感謝いたします。
ここに収められた11曲(来月発売のCD盤は15曲です)は、ツアーに出て唾を飛ばしながら歌い演奏し、打ち上げの居酒屋で馬鹿みたいに飲み騒ぎ、キャバクラなんか行ったりして羽目を外すような並行世界だと、陽の目を見ることが無かった作品だったことでしょう。
改めて、この世界の現実のために存在していた楽曲群は、長年の冷凍冬眠を経て、いまこうして輝かしく誕生したわけです。おめでとう!
以下、各楽曲のライナーノーツになります。
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『心のなかの悪魔』
2009年『魂のゆくえ』のレコーディング期、ニューヨークのスタジオMagic Shopにて製作しました。本盤に収録されているのは、たった一回だけ行われたリハーサル・テイクです。一発録音で、ダビングやリテイク、ミックス・ダウンも行われていません。それゆえの粗さはあるものの、加工されていない生々しさが、楽曲本来の持つパーソナルな心のあり方を表現できていたとすれば、こうしてこの楽曲を世に放つことが出来たことに感謝しないといけません。
ここで歌われている「悪魔」とは、誰かにとっての自分自身であり、誰かを知らず知らずのうちに傷つけてしまっていたことへの懺悔であり、あるいは自分自身を縛り付けていたトラウマや思い込みのことなのかもしれません。
「悪魔」とは単純に敵視するもの、ではありません。当然のごとく存在するもので、普段はその存在を隠蔽し、悪魔自身も、気付かれないようにじっとしています。
重要な局面において、人間は選択を迫られることがあります。それが正しい選択だったかどうかは、選択した本人ですら、知り得ることはないでしょう。そういう時にはきまって、悪魔は現れます。時に災難や病魔のかたちをして現れるものもあれば、人のかたちを借りて現れるものもあります。どんな場合も、人が自ら生み出したそれと、タイミングを見計らうことなく対峙することになります。
レコーディング・メンバーは私と佐藤、ドラマーのBOBOとピアニストの世武裕子。NYでのレコーディング・セッションのエンジニアは『さよならストレンジャー』や『リバー』も手掛けてくれたトム・デュラック氏でしたが、この楽曲は滞在中のオフ日、翌日からの別曲のレコーディング準備のためにスタジオに訪れた私たちが行った新曲セッションを、ハウス・エンジニアだったテッドが録音してくれたものです。
テッドはアメリカ人なので、日本語で歌われているこの楽曲の内容を理解することは出来なかったはずですが、録音を終え、この曲と演奏に心から感動したと言ってくれたことを覚えています。
『鍋の中のつみれ』
2008年秋頃に、先述した『魂のゆくえ』に向けた楽曲製作をしていました。その頃現場のマネージャーがよく聴いていたエリック・サティのギター曲を私は愛聴していました。イントロ〜ヴァースで弾いているギターリフは、おそらくそこからの影響です。6th(9th)のテンションコードですが、この作品の製作以降現在に至るまで、私はたまに手グセのように使うことがあります。
当時独りでいることが多かった私は、鍋でも作ろうと思いスーパーで買っておいた食材を冷蔵庫の中で腐らせたり、使わないまま冷凍庫で凍らせておくことがありました。そんなところから、ふと出てきた歌詞でしたが、曲想とも相まって、なんとも仄暗いシリアスな色合いに仕上がりました。
真っ暗な冷凍庫とは、いったいどのような世界なんでしょうか。
エアコンディショニングされた快適な空間で、誰がどう見ても恵まれた状況で、楽しげなことに興じていたとしても、真っ暗な冷凍世界に心を置いてきぼりにしていることだって、あるわけです。
この楽曲は、私がくるりのために書いた楽曲群の中でも、群を抜いて悲しさや虚しさ、寂しさについて歌っている楽曲です。不思議なもので、悲しいことがあったからこの楽曲を書いたわけではありません。突然思いついたかのように、このような楽曲を書いていたのです。無意識のうちに、誰か、あるいは何かの悲しみに触れていたのかもしれません。
抑制の効いたトーンながらエモーショナルに歌に寄り添う世武裕子さんのピアノが素晴らしく、改めて彼女とご一緒できたことを嬉しく思います。
年末のイベントライブでも演奏し、国内でも一度録音していますが、NYでのレコーディング・セッションの際に再録、ミックスを終えましたが、『魂のゆくえ』のコンセプトから外れていると判断し、結果未収録楽曲となりました。当時のくるりの魅力を伝える素晴らしい演奏、プロダクションだと思っています。レコーディングメンバーは『心のなかの悪魔』と同じ、エンジニアはトム・デュラックです。
『ippo』
2011年3月、東日本大震災と、それに伴う福島第一原子力発電所の事故により、日本とりわけ東北、東日本は危機的状況を迎えました。被害は大きく、放射線への恐怖も相まって世の中はパニックになりました。ツアーを終了した我々は、暫く活動そのものを止めていましたが、翌4月、のちにバンドに加入することになる吉田省念、田中佑司と共にスタジオ(吉田の自宅スタジオ)入りし、セッションしながら書き上げた作品です。
忘れもしない3月11日、私たちバンドはBOBO、山内総一郎をサポートに従えた4人編成で、まさにツアーファイナルを地元京都の磔磔で迎えようとしていました。奇しくもその日の対バンはファンファンが参加していたドクロズ、そして吉田省念も観に来ていました。そして、翌12日は10-FEETとの対バンでした。地震と津波の被害は甚大で、原子力発電所の事故が起き始め、予断の許さない状況のまま情報は錯綜し、東京に残る家族を案ずるメンバーやスタッフの不安は大きいものでした。10-FEETと話し合った結果、電力不足の懸念をクリアするためアンプラグドでのアコースティック・ライブを決行しました。
被害状況が明るみになっていくにつれ、原子力発電所の事故状況は深刻化し、余震は続きます。これからどうなるかわからない、という不安と、恐怖に怯えます。そんななか、音楽を仲間と演奏する喜びを再発見し、新しいもの、価値観を作ろうと一歩踏み出したこのセッションは、その後足早に進めることになる活動に昇華されていくことになりますが、本作に参加した田中の加入〜脱退を経て、そのままお蔵入りになってしまいました。
楽曲は私と吉田、佐藤がそれぞれヴァース、ブリッジ、ミドルエイトを作曲しています。作詞は、セッションに参加した全員でランダムに言葉を紡いでいきました。録音は吉田の自宅スタジオ、山本幹宗がサウンドプロデューサー、小泉大輔氏(SIMPO)がエンジニア、石橋三喜彦氏(HEACON STUDIO)がミックスしています。
『チェリーパイ』
2000年頃、『TEAM ROCK』製作に向けて、膨大な数の楽曲アイデアをかたちにする作業が続いていました。当時くるりは未だ大規模なツアーやプロモーションを行うようなバンドではなく、頻繁にスタジオ入りし、セッションを繰り返していました。メンバーはオリジナルの3人でした。アルバム『図鑑』を経た私たちは技術的にも向上し、音楽的にも貪欲で意欲的な、いわゆる脂の乗った状態でした。
当時のアウトテイクや未完成作品など、残されている多くの音源は、『図鑑』からの流れをイメージすることもできるポストロックや、ジャズ、ヒップホップ、メタル、電子音楽、民族音楽などの要素を感じさせるもの、変拍子やテンションコードを使用したものが多く、その後シングル化された作品群と比較するに、『TEAM ROCK』のコンセプトとは随分と毛色の違うものでした。奇しくも『坩堝の電圧』あるいは『The Pier』あたり、もしくは現在制作中の作品に近いテイストを持っていました。
この楽曲はそれらの作品群とは異なり、原点回帰したかのようなミドルテンポのビートルズ的なヘヴィ・ロックで、シンプルなアンサンブルながらグルーヴィーにうねるドラム、ベースの演奏は、くるりの長い歴史のなかでもハイライトのひとつと言えるのではないでしょうか。
歴史にたらればを持ち出すのは禁物ですが、バンドとして脂の乗っていたこの時期に、余すことなく作品をきちんと世に出し、メンバーの加入や脱退もなくバンドの歩みを進めていたとしたら、その後どのような人生になっていただろう、と考えることがあります。いわゆる「名曲」ではありませんが、バンドの歩みと状態を誠実に記録した、貴重な音源だと思っています。
エンジニアは当時の作品を数多く手がけていただいた高山徹氏。
『evergreen』
2012年、新体制になり始めての公式音源として、『my sunrise』を世に出します。のち、韓国のスタジオと東京のスタジオで、アルバム『坩堝の電圧』の録音を進めます。先述した『TEAM ROCK』期に未完成音源を大量に残してしまった反省から、アイデアを余すことなく完成させ、20曲ぶんのプロダクションを進めます。
この楽曲は『my sunrise』のギターフレーズから着想し、新たにメロディーのモチーフと歌詞を書き仕上げていった楽曲です。残念ながら、膨大な楽曲群を抱えながらのレコーディングも、スケジュールや予算などの都合上、完成間近のところで作業自体を断念せざるを得ませんでした。ここまでのエンジニアは、宮崎洋一氏。
時は流れ、東日本大震災から月日が経ち、政権は再び交代、被災地の復興は進み、幾つかの経済政策は功を奏したかのように見え、2020年の東京五輪が行われることが決定しました。世界では止まぬ紛争と、大国による経済戦争がエスカレートし、日本も当然のようにそこに巻き込まれ、深刻化する気候変動、増え続ける自然災害に悩まされながら、2010年代を過ごすことになります。2019年には、事実上の生前退位ともいえる譲位が行われ、日本は令和という新しい時代を迎えます。
2019年末頃から、中国の武漢市を中心に脅威となっていた新型感染症COVID-19の影響は、2020年2月頃より日本を含む世界中に及び、社会全体が混乱し始めます。その後瞬く間に欧州、米国など世界各地に流行し、我々人類にとっての未曾有の危機を迎えることが懸念され始めました。
2020年3月初旬、日本への感染症流行の影響の懸念は、私たち音楽家と、その周囲の業界へも大きく広がりました。私はメンバーやスタッフに相談し、同月より開始予定だったライブツアーの中止と、その後の中期的な活動指針の見直しを提案しました。
たまたま過去の未発表音源を発掘しながら聴いていた佐藤と話し合い、取り急ぎ、ツアー中止の経済的補填にならないにせよ、活動を止めないことが何より重要だと意識確認し、本作『thaw』の製作を急ピッチで進めることを決定しました。レコード会社スタッフの協力もあり、所在の分からなくなっていたマスター音源の探索もうまくいったことで、できるだけ早くファンの皆さんにお届けできる見通しがつきました。
楽曲の話に戻ります。ヴォーカルの録音と、ミックスを残していたこの楽曲を仕上げるべく、今年初頭より使用しているプライベートスタジオ、STUDIO2034にてヴォーカルの録音と幾つかのデジタル編集、録音は2020年3月23日、1日置いて3月25日京都のStudio First Callにてミックス・ダウン。エンジニアは谷川充博氏。
『Hotel Evropa』
2007年、佐藤とふたり体制になったくるりは、オーストリアの首都、音楽の都ウィーンに長期滞在しながら、アルバム『ワルツを踊れ』の制作を行っていました。
長い長い制作滞在の始まり、プロダクションを始める予定だったウィーンのスタジオで機材トラブルが発生し、数日間のオフを余儀なくされることになった私たちは、お隣チェコ共和国の首都、プラハまで一泊旅行に出かけました。ヨーロッパの優雅で芳醇なイメージを色濃く持つオーストリア/ウィーンとは雰囲気が異なり、東欧の影響が色濃く残る街でした。
宿泊したホテルは言葉が悪いですが、まるで薄暗い病院のような部屋で、薄気味悪く決して快適で良いものではありませんでした。楽曲のタイトルは、ここに由来していると思います。
楽曲は全て、佐藤の手によって作られ完成しました。ミュージック・コンクレート(具体音楽、加工音楽)的な手法で、環境音の録音、カットアップなどの編集と、幾つかの楽器演奏と音響的アレンジが行われています。
勿論、『BREMEN』や『JUBILEE』など、『ワルツを踊れ』に収められている楽曲群を聴いていると、ヨーロッパの雰囲気を感じることが出来るはずですが、器楽曲(インストゥルメンタル曲)とはいえ、最もヨーロッパの雰囲気を色濃く反映させているこの小曲がアルバムに収録されなかったことと、改めてこの時代の色眼鏡を掛けてヨーロッパをイメージしてみると、よりリアルに風景が感じられ、郷愁とも旅情ともつかないイメージが想起されることが不思議でなりません。
『ダンスミュージック』
先述した『チェリーパイ』の項で述べた、 『TEAM ROCK』期の制作物のひとつです。前段で述べた通り、ポスト・ロックやジャズ、当時のシカゴ音響系に寄った作風のアイデアがもとになっています。当時のくるりは、スタジオ(狭いリハスタです)でのセッションをもとに楽曲制作を行うことが常でした。よって、当時のメンバー3人でアレンジのアイデアを出し合い、楽曲の基礎的な構造を作っていきますが、元々のアイデアやモチーフは、佐藤の手によるものです。
具体的には忘れましたが、佐藤によるカリンバと変拍子リフのアイデアを、セッションで膨らませていったんだと思います。
時代はエレクトロ、テクノ、ハウスなど、シンプルで判りやすい4拍子のダンスミュージックを求め始めていました。表向きにはその後発表した『ワンダーフォーゲル』や、『ワールズエンド・スーパーノヴァ』など、くるりはそこに接近することになります。
くるりの3人の音楽的興味は、実はもっと多面的な拡散傾向にありました。ニューオリンズ・ファンクやブロークン・ビーツのいわゆるエレクトロニカ、ジャズ/フュージョンなど、どちらかというとビートやグルーヴのモチーフが「長い」ものを演奏することにカタルシスがあったと記憶していますし、今なおそこに執着しているとも言えます。
この楽曲のミキシングを担当した上原キコウは、当時電気グルーヴなどの諸作品を手がけていた天才肌のエンジニアで、この楽曲の仕上がりやサウンド・メイキングに大きく寄与しています。
『怒りのぶるうす』
大村達身が加入し、森信行が脱退し、ドラマーを欠いた編成のくるりは、その後現在に至るまで活動のスタイルを決定付けることになります。
2003年、親交のあった矢野顕子氏の紹介で、アメリカ人ドラマー、クリフ・アーモンドとレコーディング・セッションを行うことになった私たちは、ベル・アンド・セバスチャンをはじめイギリスはグラスゴーの音楽シーンを世界的なレベルに引き上げた功労者、トニー・ドゥーガンのプロデュースのもと、イギリス(スコットランド)のグラスゴー、CAVAスタジオにてプロダクション、録音を行いました。
数曲のプロダクションのうち、『How To Go』のオリジナル・ヴァージョン、『race』、『さよなら春の日』などは陽の目を見ましたが、残念ながら数曲はお蔵入りになってしまいました。この楽曲はそのうちのひとつで、もともとはバンドのアメリカツアーに追随して行った前年のレコーディングセッション(あらきゆうこがドラム)で制作したアイデアがもとになっています。
音楽的には、12小節のブルース風モチーフがもとになっていますが、器楽的な「冗談」をコンセプトに仕上げていきました。ブルース・マナーの演奏から遠いものを落とし込む、という、言い方は悪いですが捻くれた、偽悪的で悪趣味なスノビズムに溢れています。ただ、思いつきで歌った(というより叫んだ)歌詞というには程遠い直接的なストレスの表明は、20年近くの月日が流れ、妙にリアルなものとして響くのも、皮肉なもので複雑な気持ちになります。
具体的な怒りを歌詞にしたり、音楽を作るモチベーションにすることを、しばらくのあいだ意識的に避けてきた身として思うことがあります。それは、これから先私たちが生きるこの世界において(この「日本」あるいはさらにミニマムなものかもしれません)、怒りを表明すること、の誠実さもまた、紋切り型のメッセージ以上の重要性を帯びていきそうな気がしています。
ミキシングはトニー・ドゥーガン、ドラマーはクリフ・アーモンド、ピアノを弾いているのはデルガドスというバンドのルイス・ターナーというプレイヤーです。
『Giant Fish』
時ははるか遡ります。1998年、くるりはメジャー・レコード会社と契約し、東京進出を決めます。当時はポップ・バンドとしての意識や技術も皆無に等しく、ただのグランジ/スカム/ブルースバンドだった私たちは、この機に様々なテイスト、音楽性の楽曲を大量に試作します。そのひとつが『さよならストレンジャー』や『ファンデリア』などに収められた幾つかの楽曲であり、壮大な実験は、今に至るまで続きます。
当時のくるりの3人が愛聴していた北米のバンド、ジェリーフィッシュや、イギリスのバンド、XTCなどの凝ったハーモニーを実践してみようと制作したこの楽曲は、オーセンティックなポップの構造をしています。サウンドこそグランジですが、くるりが取り組んで初めて成功した「ハーモニー・ポップ」です。
くるりは現在に至るまで「ハーモニー」を重視しています。もちろん、メロディーもリズムも、サウンドはもちろん歌詞や、CDなどの装丁に至るまで、私たちの音楽に関係する全ての要素ひとつひとつ、全てがなくてはならないものとして大切にしています。「ハーモニー」にこだわることは、「調和」の象徴だから、とかそんなことを軽々しく言うつもりは毛頭ありません。
ハーモニー、つまり複数の旋律からなるポリフォニーは、各声部がそれぞれ重要な役割を持ち、決して一元的な解釈ではない意味や色合いを生み出す手段です。「模様」や「グラデーション」、あるいは「会話」、「料理」などと重ね 合わせると分かりやすいかもしれません。
「調和」は、役割を果たした際に起こる「ご褒美」のようなものかもしれません。ただ、ハーモニーとは「約束されたご褒美」だけではなく、時に「発見」が起こりうる「実験」だと思っています。それだけに、取り組む価値と、有用かつ難解なメソッドがあり、物理学や数学に紐付けて考えることのできる「永遠の課題」だと思っています。
この楽曲の話に戻すと、当時からそんなことを考え、説明できていたわけではありませんが、この楽曲、あるいは『ハロー・スワロー』製作をきっかけに、私はハーモニーへの追求を始めたということを改めて思い出した次第です。
正式にミックス・ダウンをした音源ではありませんが、デモ音源として、東京の東中野にあったバズーカ・スタジオのハウス・エンジニア、速水直樹氏による録音です。
『さっきの女の子』
2005年頃、くるりは大村達身を加えた3人編成で、クリフ・アーモンドなどのドラマーたちと、4ピースでのロックバンドとしてライブや制作に明け暮れていました。私個人のスケジュールだけ見返しても、最も忙しかった時期でした。バンドはメンバーの加入や脱退がありましたが結成から10年近く経ち、実際には多忙、疲労からくるストレスの多かった時期だと言えます。
アメリカはマサチューセッツ州、ロング・ビュー・ファームでの長い合宿プロダクションでした。アルバム『NIKKI』に向けてのレコーディングを進めていましたが、森の中の隔離された環境。2020年4月現在なら、喜ばしい環境なのかもしれませんが、当時20代後半だった私たちにとって、刺激が欲しくなる退屈な環境だったのかもしれません。
絵に描いたようなロックンロール・ライフを夢見ていたわけではありませんが、ポップ・アーティストとして第一線にのし上がり、フェスのヘッドライナーを務めたり、雑誌のカヴァーを飾ることが普通になっていた時期です。私は女の子と仲良くなり、好きになることが、音楽を作り出し活動を活発化させるためのモチベーションでした。
そんな生活も、おそらくすぐに終わりが来るだろう、ということを考えないようにしながら、あとはバンドと好きな音楽だけを頼りに生きていました。スワンプ(沼)が広がる均一的なアメリカの森林の散歩道で、ふとそんな時代の終わりと寂しさをにじませるように、こんな楽曲を書いたのかもしれない、と今は思っています。
シャッフルの速いリズムと、くるりにしては珍しい、パンキッシュな意匠のロックンロールは、当時の私からして違和感の賜物でした。生まれるべくして生まれた異端児を、お蔵入りにしてしまいました。
こういった「尻軽な」ロックンロールの素晴らしさを、私は未だにリスナーとして共感できずにいます。もちろん、音楽的には嫌いではないのですが。ただ、「勇気を持って」、人が「裸一貫に」、「なってしまった時」に、そのしょーもなさやくだらなさこそが、愛される要素なのだという本能的な証明を、そろそろ肯定する時期が来たのかもしれません。
録音、ミックスはフラン・フラナリー。ドラムはクリフ・アーモンド。
『人間通』
幾度となく述べた通り、『TEAM ROCK』期に生み出されたアイデアの数は膨大でした。先述したように、音楽的なコンセプトは定まっていないようでいて、幾つかの傾向に沿ったものが多く、エレクトロやハウスを下敷きにしたものと、キャッチーなコーラスを持つシングル曲、ライブ演奏を見越したものはその後アルバムに収録されました。
アルバムに収録されなかったものも含め、私だけではなく、佐藤、森のペンによるアイデアも散見されました。あるいは、複数の楽曲アイデアをキメラのように組み合わせながら制作したものもありました。
この楽曲は、実験や抽象に寄った、というよりは、悪ノリが過ぎた、誰もそれを止めなかった、という風に完成にこぎつけたものでした。印象的なギターリフは、半音違いのアボイド(不協和音)の平行移動から無理やりベンドで空間を歪ませる、という「人力エフェクト」的なアイデアで、スタジオ内で笑いを取るために作ったようなものでしたが、当時のメンバー、スタッフはこのゴミのようなアイデアひとつ無駄にはしませんでした。
セッションで作り上げた構成は、演奏を繰り返すごとに変化し、気づけば歌詞もできていました。歌詞か、これは。
録音は埼玉県上尾市にあるサウンドクルースタジオで行われ、都内でダビングなどのプロダクションを重ねました。ブリッジ部の8部音符で刻まれる、ライヒ的な(そんな高尚なものではないが)ピアノの循環フレーズは、のちに『ばらの花』で陽の目をみることになります。この楽曲に取り組んでいなければ、あの楽曲は誕生していなかったのかもしれません。
悪ノリはエスカレートし、コーラス(サビ)部分の歌唱はドラマーの森、そして録音エンジニアを務めた宮島哲弘氏によるものです。彼らはそれぞれ「歌える」シンガーでもあるはずですが、彼らも同様に悪ノリし、この楽曲の色合いであるスカムっぷりを助長させています。
トドメは長いアウトロです。浮き足立ったガレージ・パンク風演奏は中途半端に終了し、ダラダラと続くマーチング・バンド風のリズムはバンド全員で一発録音したものです。もしかしたら、このパートの録音時が、今までの演奏人生で一番アドレナリンを放出した瞬間なのかもしれません。
ミキシングは上原キコウ氏。彼にも当然、悪ノリの過ぎる型破りなミックスで応酬していただいた。
デジタル配信版は、この楽曲で幕を閉じます。私は、この楽曲に込められたエネルギーこそが、くるりの真骨頂であり、未来に残された力強いメッセージだと思っています。
『Only You』
ここからはCD盤にのみ封入されるボーナストラックです。
本編『Giant Fish』と同時期に制作した楽曲。捻くれたコード感と、シンコペーションするリズムは明らかにXTCからの影響ですが、メロディーは一聴していただけばわかる通り、歌詞先行で組み立てていったパターンです。アトラクションズ(エルヴィス・コステロのバンド)的なリズム体のグルーヴに対して、私の若さと拙さが少し際立ちます。
当時京都在住だったメンバーは、レコーディングなどで上京(東下り)する際、東十条や蔵前、大門あたりのウィークリー・マンションに滞在していました。もちろん相部屋です。まだ大学生だったので細かいことは気にせず、楽しい時間を過ごしていました。
歌詞中に出てくる「都営線」はおそらく蔵前駅のある都営浅草線のことだったように記憶しています。当時付き合っていた彼女と、地下駅のホームで携帯電話で話していたら喧嘩になり、その後なんともほろ苦い気持ちになり書いた楽曲だったと記憶しています。くるりらしからぬ、甘酸っぱいモチーフの楽曲です。
珍しく私はハーモニカを吹いています。デモなのでラフミックス音源ですが、スタジオバズーカの速水氏による録音です。
『Wonderful Life』
2011年からわずかの間在籍したメンバー、吉田省念のペンによる名曲です。
『JUBILEE』以来、長らく楽曲を起用していただいたチオビタドリンクのTVCM用に急遽録音した音源でした。音源の完成直後、同じく新メンバーとして在籍していた田中佑司の離脱もあり、CD収録の機会を逃したまま、作者である吉田もバンドを脱退することになり、世に出たのはTVCMで流れたブリッジの部分だけでした。
そんな悲運の楽曲でしたが、2011年のある日、吉田から私の携帯電話に連絡が入りました。私たちはかなり頻繁に、彼のスタジオに集まり楽曲制作や演奏を繰り返していましたが、良い曲ができたので聴きにきてほしい、と彼の声が躍っていたので、オフ日でしたが、私は彼の自宅スタジオへと足を運びました。
本盤に収録されている、カリプソをイメージさせるプロダクティブなものではなく、シンプルなカントリー・フォークといった趣で、シンガーソングライターとして活躍している彼の作風のなかでも、かなりくるり寄りな路線で、シンプルだが哲学的、示唆的でもある歌詞と相まって、私は直ぐにその曲を録音しよう、と言いました。彼の弾き語りのヴァージョンも、いつかどこかで披露してほしいなと、勝手に思っています。
吉田は前述したように、シンガーソングライターとして元々活躍をしていたアーティストでした。彼の加入したくるりは、少しばかりレノン/マッカートニーのような、理想的なシンガーソングライター・チームとしての趣もあり、楽曲制作はとりわけ楽しい瞬間の連続でした。
本盤収録の『ippo』と同じく、田中佑司在籍時の音源としては、初めて世に出る楽曲となります。多彩な彼は、ドラムだけではなく様々なパーカッションや、メロディカ(鍵盤ハーモニカ)も演奏しています。蛇足ですが、田中はくるりの音源ではサウンドトラック『奇跡』の楽曲のなかで、様々な楽器を演奏してくれています。
今はなき河口湖スタジオ(奇しくもデビューシングル盤『東京』のレコーディングが行われたスタジオでもある)にて高山徹氏による録音、ミックスです。
『Midnight Train(has gone)』
2005年、アルバム『NIKKI』の制作は長期に及び、先述した米国マサチューセッツでのセッションを終えた私たちは帰国することなく、そのまま渡英、ロンドン北郊にあるトーラグというスタジオでのプロダクションを開始しました。
だらだらと夜中まで作業が続き、周りが見渡す限りの森林だったアメリカのスタジオから、ロンドンへ渡った私たちは素晴らしい環境で制作を行いました。プロデューサーはホワイト・ストライプスやジョニー・ボーイを手掛けたリアム・ワトソン。全てヴィンテージのアナログ機材によるプロダクション、パンチインや煩わしい編集のないシンプルで効率的なプロダクションだったこともあり、1日7時間、週休2日のプログラムで、余裕を持って煮詰まらずにレコーディングすることができました。
『Baby I Love You』など数曲のレコーディングは全てサウンド・プロダクション共に素晴らしく、ほとんどの楽曲をアルバムに収録しましたが、この楽曲は惜しくもアルバム未収録のまま15年の月日が過ぎました。
雰囲気のあるピアノを弾いているのは、このプロダクションで知り合い、その後も親交が続いているカーウィン・エリス(COROLAMA)です。シンガーソングライターでもある彼は、フィル・コリンズなどのサポート・セッションの傍ら、当時佐藤が手がけていた自主レーベルNoise McCartney Recordよりアルバムをリリースしたり、くるりのツアー・サポートで鍵盤やギターをプレイしたりもしています。
くるりは、夜汽車、夜行列車を題材にした楽曲をいくつも書いていますが、そのほとんどが、やけに明るい曲想のものだったりします。この楽曲では、夜行列車が過ぎ去ったあとの、誰もいない情景が静かに歌われています。
ドラマーはレコーディングに帯同していた川本真太郎。1小節のループが延々と流れるだけだが、これはプロデューサーのリアムの手作業によるアナログ・テープ芸です。
『ヘウレーカ』
2018年、NHKのテレビ番組用に書き下ろした短い楽曲です。
特に何かを語るほどの楽曲ではありませんが、サウンド・プロダクションや、番組タイトルでもある「ヘウレーカ(見つけたぞ、の意味)」の連呼は、ギャートルズなんかの世界観を彷彿とさせるようで、個人的にはこの楽曲のヴォーカル録音の際に、何かを取り戻したかのような気分になったのを覚えています。
未だ見ぬくるりの純新作は、じわじわと完成に向けてプロダクションを進めています。この『ヘウレーカ』は、新しいくるりのモードの、ちょっとしたヒントになっているような気もしないではありません。
ドラマーは朝倉真司氏、録音とミックスは宮崎洋一氏です。