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近況と雑感

なかなかエラいことになって長いけど、コレはエラいことなんでしょうか。世の中のニュースも雰囲気もマジでしんどくて、何がなんやらよく分からなくなってきましたけど、まぁ良いことも沢山あるから良いや。ライブやりたい。

ラウドネス・ノーマライゼーションについて、私は恐らく間違った見識をTwitterで述べたらしく(そこに関しては未だ私も腑に落ちていない部分もあるのですが)、詳しい方たちが色々前のめりに教えてくれた(マウンティングにしか感じられない程の勢いで)のですが、私アホなので、賢い人たちにガウガウ言われても、素直に飲み込めず、本題よりもコレは一体何なんだ、という方向に思い悩んでしまいました。

普段から、まぁ、みんな色々あるし、とか、それぞれ悪いやつちゃうから、とか、やられたことやり返したら同じやで、とか大人びたことを思ったり、感情を真空パックして蓋をするようにしているのですが、「間違ってはいけない立場の人」というレッテルをもんの凄い勢いで貼られ、血祭りにあげたるわ的な攻撃性をチラつかせながら理論武装で保身するという、私には到底理解できないこの感情と行動原理をなんとか理解するために、出来るだけ彼ら(私の無知を槍玉にあげた人)と同じやり方で彼らの「物言い批判」に噛みついてみました。すると、漸く「知識」の本質が浮かび上がってきました。彼らにはとても失礼だったかも知れませんが。ゴメンね。

いやはや、分かっては居たつもりでしたが、認められたいんですね。ホントに。彼らの殆どは、本当に自分自身の仕事に対して、あるいは研究分野に対して熱心で、とことん突き詰めている印象もあり、アホな私とてちょっと感動したりもしました。凄くいい本もツイートもありました。音楽の作り手として勉強になるし、そのまま他人に伝えたい知識もありました。でも、彼らの天才的な努力の何百分のいちも、私は分かっては居ないでしょう。あるいは、他の誰かがそれを分かっているかというと、多分分かっては居ないでしょう。その人は凄いんです。だから分かってもらいたいのに分かってもらえない。だから、人は理解されることを諦めるんです。

残念なことに、彼らは私に対して、ポジショントークをすることしか出来ません。多分、彼らは私のことを「賢そうな人」だと誤解をしています。アホなので、私は土俵にも乗ってません。大学で教えてるのは、私のような適当感覚人間が居ることによって自信をつける人も、少しは居るからですよ。大学は多様な価値観の坩堝です。

「賢者モード」に見えるのは、多分眼鏡と、京都出身、ていう部分ではないでしょうか。いやいや、ムラムラモヤモヤ挙動不審ですよ私。京都出身やけど。

コレは、くるりを応援していただいている多くのファンの皆さんなら知っていることだとは思いますが、私、アホですよ。勿論、なんかの天才ではあると思いますが。その部分を評価してくれる人は居るけど、ホントのところは私本人にしか分からない。

「なんかの天才」であることを、誇って、自分自身だけが分かってれば良いや、て思って生きていきたいな、と思ってます。それは、自分自身にも思いますし、私を攻撃してきた人(もしかしたら、私に攻撃されてる、と思ったかも知れない人)に対しても、同じように思います。申し訳ないけど。一所懸命やってる人は、美しいのです。

人は他人を断罪出来るほど立派なものではありません。知識や知恵を持っている人ならなおさら、無邪気でデタラメな純粋さを愛でてほしいな、と思ったり。

奇しくも、そんなどーでもいいことと少しばかりリンクするような、謎盤が出来上がりました。カップヌードルの謎肉みたいな感じです知らんけど。

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