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とてもこわいこと

わたしにとって「幸せである」という定義はとても曖昧なもので「愛情」にも似て理解できないものだと思っている

育った環境が劣悪すぎて物心ついたときにはすでに「愛」とか「夢」とか「希望」みたいなポジティブな言葉やそれに類するものに嫌悪感を抱く程現実的な感覚を持つ様になっていた

サヴァイヴしすぎた幼少期は現在でも昇華させることができないままに完全な形で解けないコンプレックスとなっている(はず)

自分とは真逆のひとの考え方にどうも同調できない、正確には同じ感覚を味わったことがない為理解できないのだ

この感覚は似た境遇同士でないとわからないかもしれない

長い時間をかけ悟ることができてくると少しずつ欠けていた感覚を取り戻すことができるようになってきた

いま、実はとてもこわい

少しだけど、これがもし、ひとの言う「幸せ」的な感覚なんだとしたらこの感覚の終末はどうなるんだろうと

穏やかな日々、変わらない食卓、笑えている自分、温かい気持ち

毎日 毎日 苦痛に耐えること 我慢すること 犠牲にすること 生きていることに罪悪感を持つこと すべてに悲観すること

ねじ曲がった感情を抱かなくてよくなったいまがこわい


幸せなひとに尋ねたい

「幸せに満ち溢れたとき、それを失うことを想像しますか?」


満ち足りたひとのその喜びをいつか解り合えるように

常に慎み深く小さな息吹を逃さぬよう育んでいきたい

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