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その悪魔的サウンド〜マイルスデイビス『ダークメイガス』

マイルス・デイビスはジャズの帝王の異名を持ち、言わずもがな名盤は数知れなくあり、僕自身好きなアルバムもたくさんある。

その中で、今回僕があえて語りたいのは、『ダークメイガス』についてだ。

このアルバムは、エレクトロ期の中でも過度期のライブ盤で、もしかすると、マイルス好きの中でもこのアルバムは余り聴いてない人が多いのではないか。

実は僕にとってのマイルスのファーストインパクトがこのアルバムで、その出会いは高校二年生の時まで遡る。
当時、僕はドラム少年で、地元の同年代の子達とバンドをいくつも組んでいて、そのツテからあるギタリストを紹介された。

そのギタリストを仮にAさんとしておこう。
Aさんはアメリカ帰りの30歳越えのロングヘアのギタリストだった。
自分のギタリストとしの腕に大きな自信をもっていたAさんはアメリカでスターになることを夢見て渡米し、活動を展開したが夢は果たせずに地元に帰ってきたところだった。
アメリカの現地のミュージシャンとのセッション経験も豊富で、当時の僕にとっては他の同年代のギタリストとは技術も経験も次元が違うスーパーギタリストだった。

そのAさんのバンドに参加させてもらえる事になり、その方からは実に多くのことを学んだ。

Aさんはアメリカの現地のミュージシャンとのセッションの経験から、
「一番大事なのはテクニックよりリズムだ」
と言う自論を持っていて、演奏面でもグルーヴを最も重視していた。

その流れから「これは聴いておけ」と渡されたのが、マイルスデイビスの『ダークメイガス』だった。
説明はただ、「ジャズのトランペッターだ」とだけ。

家に帰ってから早速聴いてみて、最初の印象は、

????????!!!


というものだった。
冗談抜きで、ケースだけマイルスで中身違っちゃてるんじゃないかと思った。

まず、自分の知ってるジャズじゃない。
シンバルレガートがスイングのパターンを刻み、ムーディーに曲が展開していく、当時の自分の知ってるジャズとかけ離れてた。

非常にノイジーで黒く悪魔的な音空間とでもいえようか。
ハイハットオープンで8ビートと16ビートの中間のような絶妙な荒いグルーブを、マイルスの呪詛のようなサウンドが場を支配している。
ロックでもないが、ジャズではもっとない、聴いたことのないヤバい音が鳴っていた。

ライナーノーツを読んでいくうちに、これが紛れもないマイルスデイビスのライブ盤だと判明していく。これが、ジャズ!?
完全にカルチャーショックだった。

実際にこのアルバムを今改めて聴いてみても、その凶々しいまでのサウンドはマイルスのディスコグラフィーの中でもトップクラスに荒れ狂っている。タイトルの『ダークメイガス』も、黒魔術?悪魔術?そのような意味合いだろうが、なるほどというサウンドである。

時期的には名盤ビッチェズブリューを出したのが70年、このアルバムがリリースされたのが73年。
この時期のマイルスは75年に一旦活動を休止するまで前衛的な方向にひたすら加速している時期だ。

マイルスに関して一番凄いと思うのは、ジャズのど真ん中にいて、その音楽的な構造にどっぷり浸かり、尚且つリードしていたのが、一転してなんだかわからないものに変性していき、それを豪速球で投げてしまえるそのタガの外れっぷりである。
普通は芸術家といえども自分の帰属するスタイルや様式に依存してしまうものだ。

マイルスのこの時期のアルバムは今でこそ、クラブ界隈や、後の音楽に与えた影響などで再評価されて確固たる地位を与えられているが、リアルタイムで聴いた人は絶対、なんだこりゃ!って、なったはずである。
どう聴いても、それまでのジャズの快感原則とは異なるベクトルだからだ。

ファンクの影響があったと言われるこの時期のマイルスの音楽だが、ファンクは抑制された音数の中でこそ生まれるグルーヴ感が軸になっているのに対し、ここでのマイルスのグルーブは過剰そのものでリズムが溢れかえっていてファンクのグルーブ感とは別物である。
むしろ意識の変容にフォーカスしたその音像は、その面に関してはむしろ同時代のジャーマンプログレなんかに近いように感じる。
どちらもシュトックハウゼンに影響を受けたことをかんがえるとあながち当てずっぽうでもないと思う。

この時期のマイルスの音楽からは、過剰、混沌、呪詛、意識変容、、そのような言葉が浮かんでくる。
ジャズが音楽的な理論でその価値や斬新性、芸術性の高さを説明出来るのに対し、これはその類いではない。
その渦巻くノイズは、細胞に眠る太古の記憶を呼び覚ますようであり、変容した意識の見た景色の音像化とでも言える、他のジャズとは向いている方向が全然違うのだ。

しかし、面白いのがマイルスは確かフリージャズは否定していた。
フリージャズも意識の変容にフォーカスした部分もあり、共鳴する部分もあったはずである。
マイルスの音楽は、リズムや調性がフリーであったりする瞬間もあって、一聴フリージャズに聴こえる部分もあるがその違いはどこにあるのだろう。
フリージャズは一般的に同じ精神性を共有するミュージシャン同士で決め事は最小限にし、それぞれ自由にやることで偶然性も飲み込みながら作り上げるのに対し、マイルスの場合は自由にさせているようでバンドに対する極端な統制は常に徹底されていて、どんなミュージシャンを使っていてもバンドは不思議とマイルスの音になる。
これはどうやっていたのか、本当に謎だが、この時期のマイルスマジックの際たる部分であ理、他のフリージャズと言われるものとの違いである。

話は逸れたが、この『ダークメイガス』は、エレキマイルスのアルバムの中でも、最も過度期なサウンドで、マイルスのドキュメントの中で見ても印象的なシーンであるとは言えるのではないか。
今聴いても物凄い音である。
ドキュメントの中にこそ意味があるとも言える、新たな世界観、価値観を作り上げていく過程のギリギリのバランスで成立している。
これを鳴らすマイルスの胸中は一体どんなだったんだろう。

なんだかむしゃくしゃしてノイズにまみれたい時、そんな時はこのアルバムを爆音で聴いてほしい。僕の経験上、車を走らせながらが一番良いかもしれない。

その場合、事故、スピード違反の補償はできかねますが。

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