ドミノ倒しな〇〇
ナースエイド3話をみて思ったこと
1つ何かを失うとドミノ倒しみたいに全部倒れちゃう
けれど生き抜くため本能が
無意識にストッパーしてくれてるんだとも思う
ドラマだと
仕事が生き甲斐でそれを失ってしまってメンタルが落ちて
それを周りが見て不安に思っている
この状況で何かあっても
暗に事件がストレートに処理される
そのことに恐怖を感じた
違和感や不自然の中にはいくらか見逃してはいけない何かがあって
それを言葉に言う
それだけじゃなくて
その根拠が地に足のついたものでないと例えそれが真実であっても
動かないし動けない
それはどこか怖いと思った
「青のSP」や「CODE」、「アバランチ」のドラマにもそのようなものが含まれてたのをみながらふと思い出した
あの人はそんなことする人じゃない
あの人がそんな決断するはずない
それを感じ取れるのは身内だけどその身内は事件に関与できないし
何を言っても客観性がないと聞く耳を持ってはくれない
だから問題や事件は迷宮いりの阻止はむずかしいのかなと無責任にも思ってしまった
そしてそれならその犯人を自ら…
ってなって本来おう必要のない罪を追ってしまう
桜庭澪の「自分がお姉ちゃんをコロした」
この一見すると罪人の自供のような発言だけど
その背景によって意味が大きく変わるんだな
って思った
似た境遇の作品、文学作品に「高瀬舟」というのがあった
罪人 弟ごろし しかし補助 されどその本意は悪でない
ギリシャ哲学に
善 ためになる
悪 ためにならない
と言う考え方があるらしい
性善説、性悪説どっちかわからなくなった
高校時代、課題の量といろんなことに曲を聞きながら推しを見ながらなんとか乗り越えた
追い風を久々に聴き当時に浸りながら
参考
となりのナースエイド(ドラマ) 3話
青のSP
「高瀬舟」 森鴎外
アドラー心理学
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