舞台の感想 - 明日の卒業生たち

其原有沙ちゃんの姿をこの目で見て、声をこの耳で聴きたいんじゃあああーあああ!!

そんな理由でチケットを買ってしまった、「明日の卒業生たち」。

題名やポスターのふわっとした春の雰囲気から、良くある学園青春ものかな、なんて想像していたがさにあらず、とんでもなく斬新な快作であった。

「これより、卒業式を始めます」
教師と思しき男性の掛け声で、学生服その他の服を着た演者がどかどかと舞台に入ってくる。その場所は卒業式会場と思われるが、明らかに学生ではない者たちも紛れ込んでいる。

ネタバレは嫌いなので、筋はこれ以上書かない。この物語は、2011 年から 2023 年までの四つの時系列が、折り重なるように展開していく。

冒頭で観客の頭の中に印象的なたくさんのパズルのピースがばら撒かれ、それらが物語の進行にしたがって次第にハマっていく。そのもどかしさと心地よさの調和が絶妙で、台詞の少ない場面でも集中力をとぎらせることができない。

謎解きではないのだが、それに似た展開と見せ方。思考力をいっぱいに使って物語を追う忙しさと愉しさ。

驚くべきは、舞台ではやむなしの場面転換「待ち」が全くないこと。セットや小物は演者が登場、退場するときに用意あるいは撤去し、入れ替わる。

さらには、同じ演者が 2011 年の直後に 2023 年の場面を演技したりもする。そうして時系列が異なる場面すら、継ぎ目なく変わる。劇場という、どこまでいっても三次元に過ぎないただの空間を、擬似的に四次元世界かのように見せている。

こうして時系列すら継ぎ目なく目まぐるしく変わる展開なのに、観客は物語を追える。追う過程でパズルのピースがどんとんハマり、物語にかかっていた靄が加速度的に消えていく。

なんだこれは。
なんという発想、そして錬成か。

複数の時系列が入れ替わり展開する構成は、映画漫画ドラマ、はてはゲームでも見られる。だが、舞台という小さく限られた範囲で、生身の人間と物体のみでそれを再現する手法があるなんて、予想だにしなかった。

映像技術の発達とやらで、大好きな CM やドラマはすっかり様変わりしてしまった。怪獣や巨大ロボットではない、人間同士のやり取りですら別撮り合成が当たり前になり、俳優は「そこにいない人間があたかもいるように見える演技力」ばかりが求められる昨今は、映像を見るだに落胆することが多くなった。

舞台には、合成も CG もなければ編集すら存在しない。演者と小物と装置と照明と音響をいかに工夫しても、作品世界の「画」は表しきれないので、観客の脳内を使って補完させる必要がある。

映像に頼れないからこそ、こうした新しい試みが生まれてくる。
だから、舞台は楽しい。

人間の想像力とは、限定された条件の中でより発揮されるのだということを再認識した。

[明日の卒業生たち|imgAct5]
https://asusotu2023.studio.site/

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