短歌マガジン第12回・文語部門 選考結果および選評 (選者:三好くに子)

第11回に続き「第12回・文語部門」の選者を務めさせていただきます。今回も多くの意欲的な作品に接し、それぞれの素敵な世界観を堪能させていただきました。

ご投稿いただいたすべてのみなさんに厚く御礼申し上げます。
ありがとうございました。
編集の労をくださる深水英一郎さんにも深く感謝申し上げます。

選歌と選評の結果を、以下にご報告申し上げます。

・すべて文語部門の【6月自選】【テーマ詠「光」】【自由詠】【連作】
・賞は前回に引き続き3つですが、ひとつを加え、以下の通りとさせていただきます。

◆はなまる賞!:秀歌だと三好が感じた作品
◆ふたまる賞!:こころに響くと三好が感じた作品
◆まるしたい賞!:おおいに可能性があると三好が感じた作品
◆惜しい!:あと一歩ながら言及したいと三好が感じた作品

以下、「現代文語部門」の投稿作品の選歌、選評です。

《文語部門・6月自選》

◆はなまる賞!
あめつちを朝な夕なに護りたる大黒天に蠅のいこへり / 敦田眞一

情景が浮かびます。初句と結句のつかず離れずな距離もちょうどよく、言い過ぎずに抑えた「引き算」が成功していると思いました。一首のなかに言いたいことをすべて詰め込むと失敗します。何を削るか。それは【読者をどれだけ信用できるか】にかかっています。この歌で省略されたと思われる語は「大黒天の像の描写とそれが安置されている場所の提示」だと想像できました。これらがざっくり省略され、単に「大黒天」。これでも読者にはちゃんと伝わります。また「大黒天」という庶民的な神様を選んだのも成功しています。蠅が思わずくつろいでしまうのも、なんとなく許せてしまいますね。
すべてを計算し尽くして詠まれたとしたらお見事。ここまで到達されるまでに如何ほどのチャレンジをされたのかを考えると、そのご努力に敬意を持ちたいと思います。

◆ふたまる賞!
ふたたびの逢瀬に染めるかんばせをいかなる花の色にたとへむ / 碧乃そら

これは本当は惜しいミスがあるのですが、古典和歌を下敷きにしたチャレンジに対し、ふたまる賞!とさせていただきました。
この歌の問題は「染める」だと思います。「逢瀬に」に続けるなら「染まる」。「染める」としたいなら「逢瀬が」。「逢瀬に染まる」or「逢瀬が染める」。
たった一音の助詞ですが、歌意が変わってしまうほどの致命傷にもなりえます。この歌もそういう意味では危ういながら、歌の景は伝わってきました。純朴な相聞歌(恋の歌)です。この歌のみずみずしさと奥ゆかしさに惹かれました。ただ類想詠が多いのでご注意を。(下方に述べております)
なお、「かんばせ」は「顔」と書く古語です。「あなたとの再びの逢瀬で赤らんだわたしの顔の色はどんな花にたとえようか」、というような意味でしょう。素敵な相聞歌をありがとうございました。

◆まるしたい賞!
笑い声もっと沢山聞きたくてズコーッと尻もちつく日もある / 砂葉

景と心情にとても共感できる歌です。……が、「旧仮名遣い」ではなく、「文語体」でもありません。もしかして、投稿フォームを間違えてしまわれたのかもしれません。ですが、この歌はよく詠めているので落とすには惜しく、「これから旧仮名・文語体で短歌を詠みたい」と思っている方のために、ここからどうすれば旧仮名・文語体になるのか?
……改作させていただきます。(砂葉様、失礼をお許しください)

・笑ひ声もつと沢山聞きたくてズコーッと尻もちつく日もありぬ

口語体が混じりますが、これでぎりぎり文語部門の作品になると思います。
「笑い」→「笑ひ」
「もっと」→「もつと」
「ある」→「ありぬ」(ほか沢山の終止のやり方があります)
「ズコーッ」の「ッ」は? →カタカナ語は「ッ」のままでよい
工夫する余地はまだありますが、コツとしてはこんな感じです。

◆惜しい!
例えば夜があなたなら唇でそっとまぶたに触れてきてほしい / 未多来

この作品も投稿フォームを誤ってしまわれたのか、旧仮名遣いではなく文語体でもありません。……ですが、お伝えしたいことがあり、掲載歌とさせていただきました。

初句が「例えば」であれば、河野裕子の代表歌を連想させるかもしれない。初句が著名な歌と被ってしまうのは絶対に損です。「本歌取り」という手法もあり、断じて盗作ではありませんが、類想詠、とされてしまう可能性があります。この話をもう少し書いてみます。

みなさんは、日頃どんなふうに短歌の勉強をされていますか? せめて現代歌人の歌集は読んでみてください。アンソロジーなどもあります。短歌を詠むなら、短歌の知識も重要になってきます。少しずつ学んでゆきましょう。
初句が「例えば」の河野裕子の、代表作ともいえる相聞歌をご紹介します。

たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
(河野裕子 / 『森のやうに獣のやうに』1972年)

「例えば夜が」と「たとへば君」はまったく違います。ですが、読者が別の歌を連想してしまいそうなフレーズは避けたほうがいいです。特に賞への応募作品であれば、絶対にNGです。知らず知らずであれば尚さら、さまざまな歌集を読み、知識を蓄え、知見を広げるしかありません。感受性と文才は短歌に欠かせませんが、同じくらい短歌の知識も大切だと思います。

*未多来さん、素敵な作品をありがとうございました。初句を変え、定型に整えれば必ずこの歌は良くなります。特に相聞の切なさに感銘を受けました。今後の作品も期待しております。


《文語部門・テーマ詠「光」》

◆はなまる賞!
梅雨雲に覆はれたやうな偏頭痛 金糸梅《きんしばい》のひかりが眩しい / 碧乃そら

「梅雨雲」「偏頭痛」「金糸梅」、印象的な漢語が並び、季節感の取り合わせ方が上手でとてもいい歌です。私も偏頭痛(=片頭痛)がくるたびあの〈閃輝暗点〉に苦しみます。特に梅雨どき。眩しさが辛いので、暗所で横になります。芥川龍之介『歯車』をぜひ読んでみてください。閃輝暗点を文豪が描くとこうなるのかと感心する短編小説です。(脱線、すみません)
この歌で、ただひとつ惜しいのは、金糸梅です。「ひかりが眩しい 」というほど華やかではなく、ひっそりと可憐な花です。また、何処からこの花を見ているのか。屋内にいるなら花はどこにある? 屋外にいるならもっと眩しいものがあるのでは。「〜のひかりが眩しい」の「〜」に、すこし改善の余地はありますが、叙情のゆたかなすばらしい歌だと思います。


《6月自由詠》

◆はなまる賞!
I was born 生まれ出づるは不自由と闇から駆け出す子亀のやうに / 檜山省吾

初句に英語のフレーズを置いた、そのチャレンジを讃えたいと思います。但し「I was born」は吉野弘の詩と同じフレーズですね。ここは「本歌取り」をされたと解釈しておきます。

上の句は、強い雰囲気の初句を曳く二句目と三句目。そこからの下の句への展開が巧いです。
下の句、「闇から駆け出す子亀のやうに」。惜しいのは「駆け出す子亀」です。卵が孵って生まれたばかりの子亀の様子を描くならもっと観察しましょう。現地で見なくても動画でもOK。子亀たちは穴を「這い出して」いませんか? したがって「闇へと這ひだす」の方が、上の句が、より活きてくるように思われます。「不自由」と「闇」がとても効いていて、現代社会を鋭くついた時事詠であるとも感じました。孵ったばかりの子亀は生存率が低いと言われます。そこに注目されたのもお見事でした。

◆はなまる賞!
やはらかな果実をはこぶやうそつと祖父のかひなは孫を抱きをり / 水川怜

旧仮名遣い、文語文法に誤りはまったくありません。表現のうえでも「孫」を「やはらかな果実」にたとえたのが秀逸です。「祖父のかひな」も良いですね。おそらく、それなりの皺もシミもある「かひな」(=「腕」は古語で「かいな(かひな)」と言います)。「孫」はまだ幼く、もちもちの肌。「やはらかな果実」という比喩により、「ここにはえがかれていない祖父の腕のすがた」を読者に見せてくれます。過不足なく表現され、おそらく「言葉のちから」をじゅうぶんに信じての一首です。お見事でした。

◆ふたまる賞!
会へぬ日に咲きて散るらむ朝顔は君待つ今日もまた頬染めて / 古井朔

上記の「6月自選」でも申し上げておりますが、類想詠が多いモチーフなので、いかに独自性を出せるかがポイントになると思われます。この歌は、「君」がなかなか来ないのでしょう。切なさがよく伝わってくるリアルな相聞歌です。
気になる点として、「散るらむ」。「朝顔」ですから散りません。「散るらむ」なので、「散ってしまうかもしれない」だとしても、やはり想像できるのは、「萎んでその花の生を終える朝顔」だと思います。非常に難しいところですが、もうひと工夫を期待します。
もうひとつ「咲きて」。この場合は「イ音便」を用いて「咲いて」とする方が、韻律が整います。音便には「イ音便」と「ウ音便」があります。この歌について言えば、「咲きて」は「咲いて」とした方が韻律がいい。そのように、韻律を整えるための工夫として「音便」があります。古文は深くて面白いので、ぜひ掘り下げてみてください。


《連作》

◆はなまる賞!

「奔馬」6首、檜山省吾

たたなづく青垣山のやしろには戦ひの絵馬朽ちてゆきたり
大東亞戰争記念といふ絵馬に見馴れたる姓いろはでならぶ
ひさかたの雲のうみ征くあをうまのおもひたえたるまがねのまなこは
すめらぎの腐卵のごとき旭日へ御母とどめし奔馬は去りぬ
老体はあはく語りぬわがせうとひとりは海でひとりは陸で
線香の束をほどけばくれなゐの生者年経るあぢさゐの丘

前回の檜山省吾さんは「連作のタイトル」が課題だったと思いますが、内容を踏まえた的確なタイトルの連作です。じっくり味わうと重い連作ですが、どんどん忘れられてゆく戦時体験は貴重です。いろんなかたちで、特に短歌でのこってゆくことを私は願っております。
4首目が気になりました。「腐卵」の語は辞書にないので、作者の造語だと思われます。造語も悪いとは言えませんが、私は「すめらぎの腐卵」がわかりませんでした。わからないまま「ごとき」と喩えられても尚さらピンとこない。また「旭日」は「朝日」のことなので、「腐卵のごとき旭日」がどういう意味なのかわからない。多くの「大きな語」を用いられていることから拝察いたしますが、作者自身がかなり緊張した一首だと思いました。もっと自分の言葉で、のびのびと詠われる方がよいと思います。4首目以外の5首はいずれもすぐれています。最後の一首を体言止めにされたのは、連作の一連に余韻を持たせ、効いていると思いました。


《総評》

このたびも《現代文語部門》の担当をさせていただき、改めてみなさんにお伝えしたいのは「現代文語」というジャンルは、『短歌マガジン』の中での便宜的なカテゴリーである、ということです。
仮名遣いは「新仮名遣い」と「旧仮名遣い(歴史的仮名遣い)」。文体は「口語体」と「文語体」があり、これらを組み合わせると次の4通りの組み合わせがあります。

①新仮名+口語体 ②新仮名+文語体 ③旧仮名+口語体 ④旧仮名+文語体

このうち『短歌マガジン』独自のジャンル「現代文語」は、②③④が該当しますが、圧倒的に①のパターンで応募される方が多いのです。私はこの現象にかなり面食らっており、何故だろうか、と日々考えておりました。ちなみに私が所属している短歌結社「塔短歌会」では、①が少ない印象なのです。(※個人の感想です)
結社に所属している人たちの層と、ネットで短歌を発表する層が異なるのではないか、という仮説を、私は今のところ持っております。どちらが良いか悪いかではなく、時代の趨勢なのでしょう。

第11回に続き、もう少し、旧仮名遣いについて述べさせていただきます。

パソコンと旧仮名遣いの相性はどうでしょう。
「ゐ」「ゑ」、なんとなくかっこいいけど、どうやって出すのか。キーボードがローマ字入力だとすれば、
「ゐ」はwとiを入力し、変換する。
「ゑ」はwとeを入力し、変換する。

私はスマホ(iPhone)でも「ATOK」を使用しているため、旧仮名遣いの入力に大きな不便はありませんが、多くの人が利用している「フリック入力」では、「ゐ」や「ゑ」を出すには「きゅうかな」と入力し、変換候補から選ぶ、というやり方のようです。少し煩雑ですね。

これは、旧仮名遣いの短歌が減っている大きな要因のひとつであると私は考えております。短歌をスマホで入力する層(若い世代)が多い=旧仮名遣いが減っている、ということでしょうか。それでも、旧仮名遣いは明確に「日本語」です。我々の母国語たる日本語を入力するために、スマホというツールに負けてしまっていないか。もっと自覚したいと思っております。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

今回の応募作品はいずれもハイレベルで、選ぶのを迷った作品がたくさんありました。引き続き、皆様の力作をお待ちしております ✨✨🍷✨🍷✨✨
 
三好くに子

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