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変身・カフカ

超有名なカフカの『変身』(新潮文庫 改版 2022年4月30日121刷発行)を読んでみた。この小説を読んでひとつ思ったのは、仕事に行きたくないからといってももう大人なんだからぜったいにそこからは逃れられないんだかんなコノヤロー、なメッセージを向けた、大人のための小説だなあと。子どもの場合は、自分の意思で学校に行きたくなければ行かなくても別にいいんだかんね……。


あらすじはこうだ。朝、グレーゴル・ザムザが目覚めると、巨大な虫の姿になっていた。自分の部屋のベッドの上で、仰向け状態になっていた。体を横に向けようとしても、結局もとの仰向けの姿勢にもどってしまう。だから、寝返り打てず、起きあがることもできない。彼は、外交販売員である。仕事に行かなければならない。時計を見ると汽車に乗る時間をとうに過ぎていて、遅刻である。仕事に行ってないことを気にして、親たちが、ドアの外から声をかけてくる。「いま起きるところです」「もう支度しました」と答えておいた。ドアの鍵はしてあったので、とりあえずよかった。が、そのうち、仕事の支配人がやってきた。彼は力いっぱいベッドの下へ転げ出た。下は絨毯だったし、背中の甲羅は思ったよりも弾力があったから、落ちても大丈夫だった。部屋の外では、彼が病気ではないかと心配した。妹らが、医者と鍵屋を呼びに行ったようだ。彼は部屋の用箪笥に近づいていき、そこにすがって立つことができた。それからすぐわきにあった椅子にたくさんの足でしがみついた。彼は椅子ごとドアに寄っていって、ドアに身をつけて立った。彼は自分の口を使い、ドアの鍵を開けた。ドアを開けた。彼の姿を見て父親は泣き出し、支配人は恐怖にかられるかのように家を出ていく。彼は支配人を追いかけようとしたが、父親により、自室へと追いやられる。父親は彼を部屋に突き入れ、ドアを閉ざした……。


自分が人じゃない生き物になっている── 大人になった今じゃそんなこと思ったりもしなくなったけど(夢見る頃を過ぎちまったからな)、子どもの頃はよくそんなこと思ったりしたなぁと、この小説読んでいて思い出した。たしか犬になりたかった、とか思ったりしたよ。かわいい子犬になって草原を思う存分走り回ってみたかったよ。

虫になりたいとはいまだかつて思ったことはない。では子どもの頃この小説のように虫になっていたらどうだろうかと想像してみる。ある朝、僕は目覚めたら突然ベッドの上で大きな虫になっていた。大きいといっても子どもの僕の大きさだ。学校に行かなくてはならないが、仰向けになっていて、どうにも起き上がれない。いじめられていて学校に行きたくないが、今日も一日がんばって行かなくてはならない。起きてこないので、心配して家族がやってきた。鍵はかかっていた。仰向けのままベッドの下へ転げ出た。仰向けのままドアのほうへ寄っていき、そばの家具にしがみついたりして、どうにかドアに身を寄せて立つことができた。登校の時間になり、近くの子どもたちがやってきた。支配人、ではないな、学校の担任がきたっていい。なんとか僕は口を使って鍵を開け、ドアは開いた。はじめみんな悲鳴をあげて大変に驚く。子どもらも飛び退くが、1人の女の子が「わっ、ダンゴムシ、かわいい!」といって僕に触れ、そこから子どもたちはみなで僕を「かわいい!」といって喜ぶ。子どもたちは僕のたくさんの足と握手をする。僕は気をよくして丸まって転がってみたりする。僕を玄関まで転がしていく。玄関の外は階段だ。僕はいい気になって階段を転がってみせる。道の向こうの隣のダンゴ屋の壁にぶつかっても、甲羅は弾力があるのでぜんぜん平気だ。近くの子たちとも口をきかなかった無口な僕だったが、一転、そこからすぐに彼らと仲良しになりはしゃいでいる。大人らをちらと見ると、彼らは困惑と安心の入り混じったような、新種のリンゴでもかじったかのような、なんともいえない表情をして、手すりの向こうの遠くから、真紅の唇の間から暗い口腔をひらひらさせて、こちらを見下ろしているのだった。その朝、学校まで子どもたちが僕を転がしたり抱えたりボールのように蹴っ飛ばしたりして、登校した。教室に行き、わきおこるクラスメートの驚きと歓喜のあとで、僕はすぐにみんなの遊び相手となり溶け込んだ。いじめてた子たちとも仲良くなった。授業はだいぶ遅れたが、家にきた担任が、ことの次第を学校に報告していたからだろう。職員会議がなされたあと、「みんなぜったいにいつもどおりに過ごすこと」と先生に強くいわれたあとで、授業は通常どおりに行われていった。先生たちはなにがどうあれ授業は続けなきゃならないし、生徒たちも受け続けなければならない。午前中のうちに、僕は学年だけでなく学校中の人気者になった。家族も先生も僕の明るい変化を見てすっかり安心したはずだ。僕がずっといじめられていることは知っていたが、学校のいじめというのは、大人たちにはなにもできないもので、あきらめていたからだ。下校のあいさつのあと、まず僕だけひとりで教室を出るように先生にいわれた。生徒たちに囲まれて下校に収拾がつかなくなるからだろう。学内の生徒たちは全員教室で待たされることになった。教室を出ると、校長と教頭と用務員がいた。床には、大きな木箱があった。これに入れ、という。学校のまわりには町の者たちだけでなくどこから聞きつけたかテレビカメラの人たちも待っていて、騒ぎになっているという。箱に入れて僕を校長の車に乗せて、家に送るという。明日はとりあえず学校を休め、と。これからのことは、またあとで連絡する、という。家族も先生も僕の明るい変化を見て安心したはずなのに、事態は大変なことになってきた……。


なんかしょーもないことを書いてしまったようだが。それにしても、なぜ僕はダンゴムシをイメージしたのだろう。小説では、足のたくさんついた、背中に甲羅のある虫、とあり、その描写は続くが、何の虫かは書かれていない。ムカデかもしれないし、ゲジゲジのたぐいかもしれないし、おかしなクモのたぐいかもしれない。そのへんは、読者の想像に委ねられているようである。そのことは、ここにちゃんと書いておこう。

足のたくさんある虫とは、ほぼほぼ、人に嫌われる存在である。ムカデしかり、クモしかり、ゲジゲジしかり。そのなかで、ダンゴムシというのは特別な存在である。子供にとってはおもちゃといっしょで、簡単に手でつかまえて手のひらで丸まらせてみたり転がしてみたり。だが、大人になると、なぜか、触れたくもない気持ちの悪い虫となってしまう。ワラジムシのように。


小説を読んで、仕事行きたくないからといっても大人なんだからぜったいそこからは逃げられないんだかんなコノヤロー、というメッセージの大人向け小説だな、と思ったと最初に書いた。一方、僕の書いたしょーもない話は、何だろう。学校行きたくないからといって行かなくてもいいわけないんだぞという上と同じメッセージなのか、学校に行きたいのに行けなくなった子どもがいかに学校を取り戻すかという奪還の話なのか、学校に行きたくないなら行かなくても別にいいじゃん学校がすべてじゃないというメッセージなのか、学校に行かないで仲間つくって世界変えるもんね的ダンゴムシ革命の話になるのか、それともまさかの夢オチとか、……いろいろと話を作れそうだな。


☆ 変身・カフカ・新潮文庫・1952年7月28日発行。新潮文庫改版・2011年4月30日発行。




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